第2章 罠 - 山瀬美咲(4) 

文字数 1,173文字

             山瀬美咲(4)

――5つの銀行に預けてある預貯金はすべて優子のものとし、

 ――それ以外の有価証券ほか、土地を除いた残りの財産はきっちり折半。

 ――国内外に所有する土地建物については、世田谷の自宅を除き、

 ――すべて優子へと譲渡する。

「もちろん、今家にある優子が欲しいと思うものは、好きに持っていって貰っ
 て構わない……」

 まるでお菓子でも分け合うように、武井がすっきりとした顔でそう言った。

 そこは岡島の勤める弁護士事務所で、

 優子との離婚条件に決着を付けるため、病院から直接やって来たのだ。

 彼は提示内容に驚いている岡島の前で、

 内ポケットから折り畳まれた書類のようなものを引っ張り出した。
 
 それは、片側だけが書き込まれ、

 あとは優子が署名すればいい状態にある離婚届。

 そんなものを差し出した後すぐ、

 武井は看護師に支えられながら事務所を後にするのだった。

「彼、最後になんと言っていたと思います? 」

 岡島が窓から遥か下の方を見つめて、

 見える筈もない武井の姿を探しながらそう言った。

「なんて言ってたんですか? 」

「幸せになってくれと、あなたに伝えて欲しいって……」

「そうですか……幸せに……ですか……」

 複雑な表情でそう応えていたのは、やはり窓際に立つ優子であった。

「しかし、ここまで折れてくるとは、なんとも凄い……これなら、充分お釣り
 が出ますよ」

「本当に、ありがとうございます 」

 岡島に続き優子がそう言って振り向いた先に、

 窓の方を向いて、しかし空を見上げている女がいた。

 女は優子に礼を言われて、少しだけ恥ずかしそうに下を向き、

 それからフッと息を吐いた。
 
 そしてゆっくりと足を一歩踏み出し、

「彼、今頃どの辺かしら? 」

 と呟いてから、2人と同じ方へと視線を向ける。

「ちょうど1階くらいかな? きっとエントランスを出たくらいじゃないです
 か? 」

「でも、まだまだ先があったのに、これで終わりなんてあまりに呆気なく
 て……彼、まさかわたしと結婚なんてこと、考えてたわけじゃないわよ
 ね? 」

「さあ、それはどうなんだろう……今の段階で、そこまでは考えていないでし
 ょう? そう簡単に結婚なんて……いくらなんでも、そこまでは……」

 岡島の戸惑ったような声に、女は急に戯けたような表情を見せる。
 
 それからさらに窓際に近付き、

 大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐き出しながら、

「でもね、本当にあっという間だったわ……笑っちゃうくらいにね……」

 遠く地上を見下ろし、

 岡島と優子の間に立って、

 山瀬美咲が......独り言のようにそう呟いた。
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