第5章 迷路 -  警官と少女

文字数 1,152文字

               警官と少女



「いくらご入用です? 」

「10万ほど、お借りできれば、ありがたい……です……」

 武井はもう、1歩も歩きたくなかった。

 だからタクシーでのことを頭に思い浮かべてそう告げる。

「いやあ、それは無理だなあ、だいたいわたし、そんなに持ってませんもん」

 そう言って差し出された一万円札を手にして、

 彼はその駐在所を後にした。

 10分ほど前のこと、

 疲れ果てた武井は見知らぬ家の軒先で眠ってしまい、

 いきなり誰かに肩を叩かれ目が覚めた。

 顔を上げると、若い警察官が不審げに自分を覗き見ている。

 彼は一瞬だけドキッとするが、

 それ以上に腹が空き、とことん疲れ果てていた。 

 ――車で妻と旅行中、些細なことから言い争いに、

 ――そして気が付けば置き去りにされて……。

 不意に彼の口を突いて出たのは、見事なまでのそんな大嘘。

 だから金を貸して欲しいと頼み込み、

 まんまと1万円を手にすることができた。

 もっといろいろ質問されると思ったが、

 若い警官は、案外あっさりと信用してくれる。

 そしてさらに、〝絆〟というスナックの名を挙げ、

「もうとっくに駅へのバスはないですし、この辺に旅館なんてのもありません
 から、そのスナックで時間を潰せばいいですよ。そこは客がいる間は閉めな
 い店ですから、なんなら始発の時間まで、店で寝かせてもらったらい
 い……」

 とまで言ってくれる。
 
 そうして彼は、警官の描いてくれた地図を片手に、

 そのスナック目指して薄暗い夜道をひたすら歩いた。

 歩き始めて5分くらいが経った頃、

 知らぬ間に自分の前を1人の女の子が歩いている。

 子どもの歳などよく分からないが、きっと10歳かそこらだろう。

 そんな幼い子供が夜道を歩き、

 目の前に現れた小さな酒屋に入っていった。

 誰かと一緒か? 

 と辺りを見回すが、女の子の消えた後には誰もいない。

 ――昭和の時代じゃあるまいし、

 ――まさか、あんな少女に酒を買いに行かせたのか?

 そう思いながら、暗い夜道を煌々と照らす店の明かりに、

 武井もその子に続いて吸い寄せられる。

 彼は酒屋に入るなり日本酒の量り売りを注文して、

 すぐにその場で口を付けた。

 丸一日何も口にしていない胃袋に、

 アルコールの刺激が痛いくらいに染み渡る。

 彼は手にしたままだった釣り銭をポケットに捻り込むと、

 ふとさっきの少女のことを思い出した。

 辺りを見回すと、

 少女は彼の真後ろにいて、

 薄汚れたレジ台の前でじっとしている。

「……だからダメなんだって由岐ちゃん、ごめんよ……おじちゃんはもうツケ
 じゃ売れないんだ。お金ちょうだいって、お父さんに言ってくれないかな
 あ? 」
 
 そう言って、

 少女を覗き込む店の主人の前で、

 彼女はしばらく微動だにしなかった。
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