第4章 危機 -  逃亡(2) 

文字数 734文字

                 逃亡(2)


「倍出すよ! 3倍だっていい! とにかく、車に戻ってくれ。この通り、お
 願いだ! 」

 そう言って、窓から両手を出して拝むような素振りを見せる。

 その時、あらぬ方を向いていた運転手の顔が、
 
 くるっと素早い動きを見せた。

 やった! 
 
 心の中で、喜びの声が一瞬上がるが、
 
 次の瞬間、武井もすぐにその動きの本当の意味を知る。

「運ちゃんよお! 」

 まだ宵の口だというのに、
 
 それはぐでんぐでんに酔っている若い男の声だった。

 さらにその男の後ろにも、やはり顔を真っ赤にした若者が2人、

 ニヤニヤしながら運転手と武井の顔を見比べている。

 そして最初に声を掛けて来た方の男が、

 顔を向けた運転手の首根っこへ腕を回し、

「なあ、新宿まで行ってくれる? ちょっと飲み過ぎちゃってさ、疲れちゃっ
 たんだ僕たち……」

 臭い息を運転手の耳元に吹き掛け、そんなことを言ってくる。
 
 かなり酔っているように思える3人の男を相手に、
 
 武井とて下手なことを言うわけにはいかなかった。

 もし警察沙汰にでもなれば、元も子もないのは目に見えている。
 
 ――くそっ! このアル中どもめ! 

 心の中では悪態をつきながら、
 
 武井はバッグから一万円札を何枚か引き抜いた。

 さらに窓から万札ごとその腕を突き出し、

「すまない! ここに先客がいるんだ。これをやるから、頼む! 他のタクシ
 ーを拾ってくれ! 」

 そう声にした途端、背後で不意にドアの開く音が聞こえた。

 それから、フッと風が吹いたような気がして……、

 いきなり目の前が真っ暗になった。

 彼の意識はゆっくりと消え掛かり、

 いざ闇の世界に堕ちいこうという時、

 どこかで微かに、笑い声が聞こえたような気がした。
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