第3章 恐怖 -    飯倉薫

文字数 983文字

                飯倉薫

 
 最上階のバーラウンジ……夜であれば、東京の夜景が一望できる、

 それは実に贅沢な空間であった。

 そして今、珍しく緊張している武井の目の前に、

 美しさと気品を独り占めにしたような女性がいる。

 本当にその美しさたるや大したもので、

 それでいて冷たい印象など微塵も感じさせなかった。

 ノースリーブから伸びる二の腕が透き通るように美しく、

 時間が止まってくれさえすれば、今すぐにでも唇を近付けたくなる……

 その匂い立つ色気だけで、これまで何人もの男たちを、

 骨抜きにしてきただろうことを容易に想像させた。

 彼女の名は飯倉薫といって、詳しいことは口にはしないが、

 相当な名家の出であるのだろう。

 とにかく嫌みなく語る内容すべてが、まさに桁違いの裕福さを感じさせた。

 武井は久しぶりに涌き上がる高ぶりを、

 微塵も悟られないよう注意深く行動した。

 ゆっくりと、時間を掛けて少しずつ距離を縮める。

 きっとその方が上手くいくんだと、

 彼は変わり果てた己の体型など無視して、そんなことを勝手に思った。

 それから、1時間ほどで席を立った薫に、

 彼は家まで送らせて欲しいと声にする。

 しかし彼女はうんともすんとも言わず、

 美しい笑顔だけ見せてさっさと歩き出してしまうのだ。

 彼は慌ててスタッフを呼び止め、急ぎの会計を願い出るが、

 そのスタッフは平然と、

「お代は、結構でございます……」

 とだけ言って、さっさとどこかに行ってしまった。

 既に支払ったということなのか? 

 薫は、席に着いてからトイレにさえ行ってはいない。

 もちろん、他の誰かが払うはずもなかった。

 ではどうして? 

 武井はそんな疑問を抱えつつも、

 とにかくエレベーターに向かう薫の元へと走った。

 エレベーターに乗り込んで扉が閉まると、

 彼は上昇する動きをその身体に感じる。

 ふたりのいたバーラウンジは、間違いなく最上階にあった。

 だからその上に行くのだとすれば、

 ビルの屋上へと向かうことになってしまう。

 ――何のために? 

 そう思った途端、エレベーターの扉がゆっくりと開き、

 彼のそんな疑問は一分と経たぬうちに解決される。
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