第8章 収束 - 終演へ(3)

文字数 1,001文字

                 終演へ(3)


 だから、麻衣はとことん飲んで、いざという時の覚悟を決める。

 なんなら2階のベッドで寝たらいい――そう口にしたのは、

 きっと朝まで夫は帰って来ない……そんな確信を心に感じて、

 ――とにかく、台本通りにするしかない……。

「ほら、こんな美人を前にただ寝るなんて、もったいないって思わない? 」

 心にある覚めた感情を押し殺し、

 ここ何年、亭主にも聞かせたことのないような声を出した。

 それから麻衣は、ふらふらになった武井を抱えながら、

 なんとか2階まで連れていく。

 それからベッドに座らせ服を脱がすが、それがなんとも汗臭い。

 こんな身体に抱かれるのかと思うと、麻衣の覚悟も大きく揺らいだ。

 ――お願い! 早く帰って来て! 

 心で強くそう唱えながら、

 最後のブリーフに手をかけた時、

 麻衣の願いがやっと通じる。

 その後、衣服を抱え、ベランダからあたふたと逃げ出す武井の姿を、

 車の中にいるスタッフふたりが面白そうに眺めていた。

「あいつ、これからどうしますかね? 」

「さあ、どうするんだろうな……とりあえず、どこかで眠るだろう? 」

「じゃあ幹司さん、わたしが付いていきますから、落ち着いたところで車回し
 てください……」
 
 そう言って助手席の男が、携帯を顔の真横で2、3度振った。

 そしてそのまま助手席から降りかけるが、

 ふと後ろを向いて疑問の声を投げ掛ける。

「あいつ、電車賃持ってるんですか? 」

「そこは抜かりないさ。あいつはスナックで、一銭も払わないまま追い出され
 てるはずだから、一万近くポケットに残ってるよ。軽く朝飯を食べたって、
 ちょっとくらいのお釣りが戻ってくるさ。そんなことよりあの宇佐美ってや
 つ、最後までヒヤヒヤさせてくれるぜまったく……」
 
 幹司と呼ばれた男は、さっきスナックの客として一部始終を見守った後、

 この車へと乗り込んでいた。

 そして宇佐美の現れるのが後数分遅ければ、

 彼が代役として乗込むところであったのだ。

「それじゃあとにかく、後はどこに向かうか、ですね……」

「まあ、家に帰るほど馬鹿じゃないだろうし、東京に着いた頃には、電車賃で
 金も殆ど残っちゃいない。そうなりゃ、後は親しい友人か親族のところだ
 が、あいつにはそんなもんありゃしないからな」
 
 そう言って幹司という男は、

 バックミラーに小さく映る武井を見つめ、

 ニヤッと笑った。
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