第2章 罠 - 川田宏奈

文字数 1,539文字

             川田宏奈

 
 入社5年目で秘書課に抜擢され、その後、既に6年が経過している。

 つまり入社11年ものキャリアがあるのに、

 自分はどうしてこんなことをしているのか? 

 美人だ、長い髪が美しいなどとチヤホヤされているうちは良かったが、

 30歳をとうに過ぎた今では、

 どうにも邪魔者扱いされているような気がする。

 今日も本来の業務とはまるで関係のないことで、

「秘書課の女性の中で、きみが一番キャリアがあるんだから頼むよ! 色仕掛
 けでも何でもいいから、とにかく会社まで連れて来てくれ! 」

 そんなふうに言われて、彼女は渋々頷いたのだ。

 先月から副社長が出社しなくなり、

 先週は、取締役のうち2人がいきなり降格になった。
 
 どうせこんなことはすべて、社長の指示に他ならない。
 
 当の本人は先週病院を退院し、杖を突きながら数日間は出社していた。

 ところが今週になって、連絡もないまま会社に姿を見せなくなる。
 
 携帯を嫌って持とうとしない社長との連絡は、

 自宅で取れなければ後はただただ待つしかない。

 ――だからって、どうして秘書課が? よりにもよって、
   なんでこのわたしが社長を迎えに行かなきゃならないの!?

 ちょうど、そんな疑問を心の奥底で叫んだ時、

 川田宏奈の視線の先に、

 上司から聞いていた色の車が目に入った。
 
 早足に近付いて見ると、
 
 記憶にある数字がナンバープレートにも並んでいる。

 ――本当の……話なんだ……?
 
 10メートルほど先に見える濃紺のドイツ車は、

 武井のものに間違いなかった。

 ことの始まりは、宏奈が昼食を終え事務所に戻ってすぐのこと。

 社長が出社しなくなって3日目、

 重役連中が大騒ぎする最中、1本の電話が総務部に入った。

「お宅の社長さんが、用賀にある○○マンションの前にずっといらっしゃるん
 ですよ。夜も昼も車の中から動かない。とにかく気味が悪くてね……警察に
 電話したっていいんだが、そうなったらお宅の会社、困ることになるんじゃ
 ないかと思いましてね……」

 そんなことを言うだけ言って、電話は勝手に切られてしまう。

 きっとそのマンションか、少なくとも近所の住人なのだろう。
 
 仕事も警察関係かはたまた弁護士の類いなのか、

 車のナンバーから持ち主とその素性を割り出し、

 男は会社までわざわざ電話してきた。

 言葉尻はそれなりに丁寧なのだ。

 しかし男の低い声は、もしこのまま放っておくなら、

 〝どうなっても知らんぞ!〟という印象を色濃く感じさせる。

 とにかく、その電話の後すぐに宏奈が呼ばれ、

「まずは本当かどうか見て来てくれ! それでもし本当だったら、なんとして
 も出社をお願いするんだ! 」

 それでもダメなら、弁護士か重役連中を差し向けるからと言われる。

 宏奈はいくつもの地下鉄を乗り継ぎ用賀まで来て、

 目的のマンションを目前にして武井の車を発見していた。

 彼女は怖々武井の車に近付き、ウインドウから中を覗き込んでみる。
 
 薄らと見える車内には、人らしき姿はまるでない。

 トイレにでも行ったのかしら? 
 
 そう思って辺りに目を向けると、なんとすぐ後ろから、

 巨漢ともいうべき男がじっと宏奈を見つめている。

 ――何じろじろ見てるのよ! どっかに行ってよ! 

 と、最初はすぐにそう思った。

 が、男の顔を凝視した途端、

「社長……ですか? 」

 思わずそう呟いてしまうほど、

 変わり果ててしまった武井信がそこにいた。
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