第3章 恐怖 – 脱出(2)

文字数 869文字

                 脱出(2)


「父さん……」

 ふと、そんな呟きが、再び漏れた。

 その時、涙が頬を伝い、耳へと流れるのを、

 彼はしっかり感じることができていた。
 
 ――夢を……見ていたんだ。

 すぐにそんなことに気が付いても尚、夢となった記憶の中にいる父へ、

 父さん……――彼は再びそう呟いてから、

 ゆっくりと目を開けていった。

 妙に頭が重く、背中の感触も明らかにベッドなどではない。
 
 何よりも目の前の景色が、彼を現実の世界へと引きずり戻した。

 そこは依然森の中で、彼は知らぬ間に気を失い、

 地べたに倒れ込んでいたらしい。

 さっき後ろを振り返った時、すぐ目の前に見知らぬ男が立っていた。

 あれから俺は……? 

 いくら思い出そうとしても、そこからの記憶がまるでない。

 きっとあの男は、ずっと武井の後を付いて来たのだろう。

 そして、武井が立ち止まったのいいことに、ここぞとばかり近付いた。

 しかしどうして、自分は土の上に寝転んで、

 父の思い出など夢に見ていたのか? 

 そんな疑問が浮かび上がってやっと、彼は薫のことを思い出すのだ。

 ――彼女の声が聞こえて、だから、俺は振り返ったんだ……。

 思い出した途端、体温が2、3度下がった気がした。

 明らかに、彼女の身に何かが起きていた。

 まだ間に合うのか? 

 彼はそう思いながら起き上がり、それでも元いた方へと歩き出す。

 するとすぐ、うなじに違和感を覚えて、

 彼が恐る恐る手を添えてみると、手のひらにべったり血が付いた。

 それを目にした途端、彼の後頭部はズキズキと痛み出し……、
 
 ――あいつめ……。

 そんな痛みと共に、ニヤついた顔が脳裏に浮かぶ。

 その時彼を支配したのは、恐怖ではなく焦げ付くようなむかつきだった。

 そのせいか、血が出ている割に大した痛みを感じず、
 
 彼はそこから猛ダッシュを見せて、
 
 あっという間に元いた場所へと辿り着く。


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