第5章 迷路 -  森(2) 

文字数 1,519文字

                 森(2)


 そこは長野県の外れにある、

 2000メートル級の山の中腹だと言うのだ。

 標高のわりに道程がキツく、鬱蒼と生い茂るコースが長く続くことから、

 めったに人が訪れることがないんだと2人は言った。

 しかし今いる場所から2時間も歩けば、

 麓の町に出られると聞いて、武井は珍しく丁寧に礼を述べ、

 ハイカーの指差す方へと歩き出す。

 そして何度か振り返り、手まで振って感謝の気持ちを表した。

 左右から雑草が迫って細くなった一本の筋が、

 緩やかな下り坂となって続いている。

 そこを武井は、足を取られながらもどんどん進んだ。

 しかしいくら歩いても、一向に何の道標も現れ出ない。
 
 彼は歩みを進めれば進めるほど、ますます不安になっていった。

 そして1時間ほど歩いた頃、不自然な物音に気が付き立ち止まる。

 はじめは、鳥か何かだと思った。
 
 ところが耳を澄ますと、
 
 ガサガサという音がいつまでも途切れずに聞こえてくる。

 ――近付いて……来てないか!?

 立ち尽くす彼の後方から、

 それは間違いなく近付きつつあるように思えた。

 明らかに風などではない……それなりに背丈のある何かが、

 大きく木々を揺らしながら距離を縮めている。

 ふと、先日森で遭遇した不可解な出来事が頭をよぎった。

 ――まさか、これもあいつらの仕業か? 

 そんなふうに感じて、武井は思わず走り出した。

 最初の一歩で右足のサンダルが脱げ、

 さらにもう片方が脱げてしまっても、

 彼は立ち止まることなく走り続けた。

 その時遠く後ろの方で、確かに咆哮らしきものが聞こえたのだ。

 立ち止まったら、殺される。

 まさにそんな恐怖を彼は感じた。

 そして、ヘトヘトになり足も止まりかけた頃、

 いきなり目の前の道が途切れる。

 代わって現れ出た眼前の景色に、

 武井はただ呆然と立ち尽くすのだった。

 ――どうして? 道を……間違えたのか? 

 今、愕然とする彼の足元に、断罪絶壁の岩肌があった。

 少しだけ顔を出し下を向けば、

 遥か遠くに細い筋となった川の流れを見下ろせる。

 麓へのコースは一本道で、

 それをただまっすぐ進めば下山出来るんじゃないのか? 

 まさか……あいつら俺を、からかった……? 

 何にせよ、武井の進むべき道はここで終わっていた。

 彼は悪態をつきながら、仕方なく来た道を戻り始める。

 緩やかだが上りの道は思いの外キツく、

 何度も足を止めては座り込んだ。

 そうして2時間ほど歩いた頃、
 
 幻覚か!? 

 そう思ってしまう武井の前に、
 
 行きにはなかったもの突如として現れ出る。

 ――どうして!? 

 ――さっきは見落としたのか? 

 ――いや、そんなことあるわけない! 

 目を見張る彼の前に、それぞれが異なる方を向く2つの道標があった。

 比較的新しい感じで朽ち果てた印象もなく、

 誰の目にも留まるように、道の分かれ目にしっかりと立てられている。

 1つは、このまま進むと行き止まりであることを告げ、

 もう一方こそが、

 麓へのコースであることを指し示しているのだ。

 なぜ、さっきは通った時気付かなかったのか? 

 まったくもって最悪の気分だった。

 最悪ではあったが、何はともあれ麓への道は見つかった。

 それから武井は、敢えて分かれ道に入らずまっすぐ歩き続け、

 脱げたサンダルを拾い、道標まで戻ってくる。

 そうして麓への道に入り、

 30分くらいでより整備されたハイキングコースに出ることができた。

 さらに舗装された道に出るのは夕闇迫る頃で、

 それからも彼はひたすら下って行き、

 やっと遠くに小さな明かりを見つける。

 武井は朦朧とする意識の中、

 懸命にその明かり目指して歩き続けた。
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