第3章 恐怖 – 老婆(2) 

文字数 909文字

              老婆(2)



 ところが、いつものように加圧スタジオで汗を流していると、

 そばに立つ専属トレーナーの顔付きが突然変わる。

 彼の名は宮川といって、指導中はいつもニコニコと笑顔を絶やさない。

 ところが今、眉間にシワを寄せ睨み付けるような顔を見せているのだ。

 彼が見つめている先を見ても、

 ただの白い壁だけで、特に変わった様子は見られない。

「おい、どうしたんだ? そこに何かあるのか? 」

 武井がそう声を掛けるが、

 宮川はなんでもないと、すぐに穏やかな表情へと戻る。

 それからしばらくは、

 いつもと同じメニューがいつも通りに繰り返された。 

 ところが、両腕付け根に巻かれた加圧ベルトが外された直後、

 宮川がいきなりあらぬ方を向いて声を荒げた。

「ちょっとそこのおばあちゃん! 勝手に入って来ちゃダメだよ! 」

 なんとビルの前にいた老婆が、

 既にスタジオ中央にまで入り込んでいるのだった。

 さらには、武井が老婆の存在に気付いたのを知ると、

 ツカツカと武井の方に近付いてくる。

 老婆はあっと言う間にすぐ傍まで来て、彼の耳元で何やら小声で呟いた。

 武井は思わず顔を遠ざけるが、途端にその目は泳ぎ、顔が強ばる。

 そんな彼の様子に、慌てて宮川が老婆に詰め寄り、

「ここはね、おばあちゃんのような人の来るところじゃないんだよ! 」
 
 そう言いながら手首をつかみ、スタジオの外へと連れ出そうとする。

 その時、突然宮川の身体がビクッと震えた。

 それはまるで、

 一瞬だけ感電したかのように、

 彼はその動きすべてを止めてしまうのだ。

 それからゆっくり武井を振り返り、

 あ然とした顔付きのまま何事かを口にした。

 しかしその声は武井には届かず……、

 ――見えますか?

 表情と口元の動きから、そんな言葉が思い浮かんだ。

 宮川は老婆の手首を握り締めたまま、

 再び、応えのない武井から何もない空間へと目を向ける。

 その時だった。

 宮川に向かって、老婆がいかにも嬉しそうな声を上げた。
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