第4章 危機 -  不思議な再会(3) 

文字数 1,652文字

            不思議な再会(3)


 彼の眼前に女の顔があり、目を見開き、じっと武井を凝視している。

 ――なんで? 

 意味が分からなかった。

 混乱するまま、まるでお湯の中にあるような温かさをその手に感じる。

 武井は少しだけ後ずさり、己の顔を下へと向けた。

 真っ赤だった。

 ドクドクと溢れ出る血が手に伝わり、

 赤く染まった指先から......ポタポタと滴り落ちている。

 ――これは、本当に俺の手か……? 

 ふとそう感じたのと同時に、フッと吐息のような息使いを頬に感じた。

 彼が慌てて顔を上げると、そこにはもう女の顔はない。

 その時、女は腹を押さえて、ゆっくりと腰を屈めつつあった。

 武井が呆然と見守る中、

 飯田良子が荒い吐息と共に、その身を横たえていく。

 その腹には、突き刺さったままのチーズナイフがあった。

 ――大丈夫か?

 それは、微かに思っただけで声にはならない。

 幽霊などではなかったのだ。

 むせ返るような血の匂いと、 

 手に付いたその温かさが、

 生身の人間であることをしっかりと訴えている。

 武井はそれでも、床に倒れている女の指先へ手を伸ばしていった。

 触れてみるとその指先は氷のように冷たく、

 さらに顔を近付ければ、

 さっきまでの荒い息遣いは今や完全に消え失せている。

 彼はそこで初めて、自分がしでかしてしまった事の重大さを知った。

 女の絶命はもう決定的なのだ。

 身体から流れ出てしまった血の量を見ても、

 それは充分に計り知れることのように思えた。

 ――どうする? 

 倒れ込んだ女を見つめ、武井がふとそう思った時……。

 まるでそんな思念に合わせるように、突如として辺りの静寂が破られる。

 いきなりリビングにあるモニターフォンが、

 玄関に人がいることを知らせてきたのだ。

 ところが、各部屋に備え付けられた警告灯は点滅せず、

 モニター画面は真っ黒なまま。

 何者かがセキュリティをかいくぐり、

 玄関扉まで辿り着いたということか? 

 さらにそいつは事もあろうに、自らチャイムを鳴らしている。

「何なんだいったい!! 」

 今ある状況どうこうよりも、

 武井はその鳴らし方自体にむかっ腹が立った。

 本来重厚な鐘の音が鳴り響くところが、

 まるでそれは、のど自慢大会で不合格を知らせる鐘の音。

 絶え間なく押し続けるせいで、

 そんな乾いた音が途切れ途切れに聞こえてくるのだ。

 武井は瞬く間に窓際まで行き、カーテン越しに玄関先を覗いた。

 「あいつ!? 」

 驚きだった。

 思わず呟く彼の視線の先で、二度と顔も見たくなかった中津という刑事が、

 これでもかというくらいチャイムを鳴らし続けている。

 武井は中津の姿を目にしてやっと、

 今ある状況のおかしさに思い至った。

 池袋のマンションで死んでいたという女が、

 今、目の前に横たわっているのだ。

 ついさっきまで、呼吸をし、間違いなく死んでなどいなかった。

 中津という刑事が嘘を吐いたのか? 

 一瞬そんなことを思うが、そうする理由がまったくもって思い付かない。

 まさか、双子だったんじゃ!? 

 飯倉薫と飯田良子、瓜二つの2人は実在し、

 何かの事情で姓が異なる……。

 武井はそこまで考えて、

 ――もしそうなら……ここにいるのは飯倉薫か? 

 しかしそうだからといって、何も状況は変わらないじゃないか……。

 そんな結論に行き当たる。

 何がどうあれ、今この場を中津に見られたら、

 彼は有無を言わさず逮捕されるに決まっていた。

 もう逃げるしか道はない。

 武井はそう判断すると、傍らに置かれていたジャケットを小脇に挟み、

 玄関から一番遠いキッチン奥へと向かった。

 すると突然、パン! という銃声が響き渡る。

 ――そこまでやるかよ!!

 乾いた弾けるようなその音に、彼は言いようもない恐怖を感じた。

 それから続けざまに響く銃声を耳にしながら、

 一目散に裏庭へと飛び出していく。

 中津が銃によって鍵穴を壊している間に、

 武井はなんとか裏門まで走り、

 夕闇迫る住宅街を一気に駆け抜けていった。
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