第91話
文字数 1,846文字
おおぜいで泊まっている。巨大な建物。
一階が花をたくさん生けた、白い床のロビー。
二階には感じのよいレストランと、子ども向けのライブラリーがあって、小さめの箪笥くらいの書棚の上に布をかけて、人形が飾られている。
表情のあまりない西洋人形。白いふんわりした寝巻きのような服で、まっすぐ座れないから立て掛けてある。
二階でレセプションがあって、みんなさまざまに着替えて出てくる。
私にはたいした服がない。
ミムラ先生、と呼びとめられて、ふりかえると教え子の○○ちゃん(あのときはわかったのにいまは誰だかわからない)。レストランの制服を着て、満面の笑顔。
私もなつかしく、抱きあって喜ぶ。
先生がこのレストランをよく利用してくださるので、お礼を用意しました、と言う。そうだっけと思いながら、白いテーブルクロスの上を見ると、小さく切ったケーキの盛り合わせが置いてある。チョコレートの濃いのや、抹茶の色がきれいに出たのなど、すばらしい。
○○ちゃんと同じ制服の人が男も女もわらわらと出てきて、背の高い一人はケーキを作った当のパティシエらしく、みなにこやかにどうぞどうぞと勧めてくれるので、ありがたくいただこうと思うけれど、
フォークがない。
そのうち周りがざわざわしだして、着替えて出発だと言っている。
私も失礼して、いそいで自室へ向かう。
閉まりかけのエレベーターに飛び乗ると、これが電話ボックスほどの大きさしかなく、先に乗っていた客と私の二人でもういっぱいで、先方は明らかに不快そうにしている。
見ると高校の同級生のNさん。
もう綺麗に身じたくして、オードリー・ヘプバーンを気どっている。
しらけた気持ちでいると、「何階?」と訊かれ、その瞬間、何階なのだかわからないことに気づく。
あわてててきとうに十階あたりを押そうとしたら、エレベーターはもう十階を通りすぎていて、彼女は軽蔑を横目に浮かべながら十何階かで降りていく。
エレベーターが降りはじめてから、そうだ四階だったと思い出してほっとする。四階を押して開いたドアから飛び出す。
ところが、なにやら暗くて勝手が違う。
エレベーターは行ってしまった。
暗い廊下で白衣の人とすれちがう。
角を曲がると、廊下の両側にあるのは客室ではなくて、診察室だ。
この建物の上層階はホテルではなくて、病院だったのだ。
あせって三階へ降りると三階も病院。ということは、客室階は二階しかない。
気を落ちつけて二階の廊下を探しにかかる。
なのに、自室を見つける前に、またあのレストランと子どもライブラリーのところへ出てしまう。
小さめの書棚の上の人形が取り払われ、かけたクロスも巻き上げられている。その具合がどうにも気になって、クロスを引っぱって整え、上に別の人形を置いたら、せいせいした。手足も耳も長いうさぎのぬいぐるみ。
書棚ではなくアップライトピアノだったと気づく。弾く人もない。
レストランのエントランス(さっきケーキをふるまわれたところ)から外へ出る。
黒っぽい猫がいて、その子について歩いていくと、飼い主らしき陽気で大柄な白人男性があらわれて猫を抱きあげ、猫も嬉しそうだ。その人、同僚のマイクさんに似ている。
マイクさん似の飼い主さんが猫をかわいがっているあいだに、彼の後ろにある坂道を昇ってみようと思う。
坂というより崖ほどの傾斜で、赤い砂でできていて、手をかけるとさらさら崩れてくる。
どうやって昇るの、とつぶやくと、マイクさんが猫を抱いたまま
「べつに昇らなくていいデショ」
と言う。
そうだ、べつに昇らなくてよかった。
マイクさんと猫と別れ、ホテルへ戻る。ガラスの自動ドアが左右に分かれて私は入る。もう迷わずに二階の客室階に向かう。
なのに、今度は二階の廊下に病院の人たちがあふれていて通れない。
眼鏡をかけた若い研修医くん(誰)が私のおなかを嗅ぐ。
驚いていると、砂の匂いがしますね、と嬉しそうに言う。そう言われれば、さっき昇りかけてやめた赤い崖の砂が、私の体にまといついてきている気がする。
いつのまにか私、その砂のとおりの暗紅色に、ラメがきらきらしたドレスを着ていて、肩がむき出しだ。研修医くんはまだ私のおなかを嗅いでいる。彼が猫なのかもしれない。
廊下にも階段にも、折り重なるように人があふれている。
※マイケル・マクサマックさんは2017年に亡くなりました。
同僚で、先輩で、素敵な友だちでした。
お葬式の音楽は、ご友人の弾くブルースギターでした。
一階が花をたくさん生けた、白い床のロビー。
二階には感じのよいレストランと、子ども向けのライブラリーがあって、小さめの箪笥くらいの書棚の上に布をかけて、人形が飾られている。
表情のあまりない西洋人形。白いふんわりした寝巻きのような服で、まっすぐ座れないから立て掛けてある。
二階でレセプションがあって、みんなさまざまに着替えて出てくる。
私にはたいした服がない。
ミムラ先生、と呼びとめられて、ふりかえると教え子の○○ちゃん(あのときはわかったのにいまは誰だかわからない)。レストランの制服を着て、満面の笑顔。
私もなつかしく、抱きあって喜ぶ。
先生がこのレストランをよく利用してくださるので、お礼を用意しました、と言う。そうだっけと思いながら、白いテーブルクロスの上を見ると、小さく切ったケーキの盛り合わせが置いてある。チョコレートの濃いのや、抹茶の色がきれいに出たのなど、すばらしい。
○○ちゃんと同じ制服の人が男も女もわらわらと出てきて、背の高い一人はケーキを作った当のパティシエらしく、みなにこやかにどうぞどうぞと勧めてくれるので、ありがたくいただこうと思うけれど、
フォークがない。
そのうち周りがざわざわしだして、着替えて出発だと言っている。
私も失礼して、いそいで自室へ向かう。
閉まりかけのエレベーターに飛び乗ると、これが電話ボックスほどの大きさしかなく、先に乗っていた客と私の二人でもういっぱいで、先方は明らかに不快そうにしている。
見ると高校の同級生のNさん。
もう綺麗に身じたくして、オードリー・ヘプバーンを気どっている。
しらけた気持ちでいると、「何階?」と訊かれ、その瞬間、何階なのだかわからないことに気づく。
あわてててきとうに十階あたりを押そうとしたら、エレベーターはもう十階を通りすぎていて、彼女は軽蔑を横目に浮かべながら十何階かで降りていく。
エレベーターが降りはじめてから、そうだ四階だったと思い出してほっとする。四階を押して開いたドアから飛び出す。
ところが、なにやら暗くて勝手が違う。
エレベーターは行ってしまった。
暗い廊下で白衣の人とすれちがう。
角を曲がると、廊下の両側にあるのは客室ではなくて、診察室だ。
この建物の上層階はホテルではなくて、病院だったのだ。
あせって三階へ降りると三階も病院。ということは、客室階は二階しかない。
気を落ちつけて二階の廊下を探しにかかる。
なのに、自室を見つける前に、またあのレストランと子どもライブラリーのところへ出てしまう。
小さめの書棚の上の人形が取り払われ、かけたクロスも巻き上げられている。その具合がどうにも気になって、クロスを引っぱって整え、上に別の人形を置いたら、せいせいした。手足も耳も長いうさぎのぬいぐるみ。
書棚ではなくアップライトピアノだったと気づく。弾く人もない。
レストランのエントランス(さっきケーキをふるまわれたところ)から外へ出る。
黒っぽい猫がいて、その子について歩いていくと、飼い主らしき陽気で大柄な白人男性があらわれて猫を抱きあげ、猫も嬉しそうだ。その人、同僚のマイクさんに似ている。
マイクさん似の飼い主さんが猫をかわいがっているあいだに、彼の後ろにある坂道を昇ってみようと思う。
坂というより崖ほどの傾斜で、赤い砂でできていて、手をかけるとさらさら崩れてくる。
どうやって昇るの、とつぶやくと、マイクさんが猫を抱いたまま
「べつに昇らなくていいデショ」
と言う。
そうだ、べつに昇らなくてよかった。
マイクさんと猫と別れ、ホテルへ戻る。ガラスの自動ドアが左右に分かれて私は入る。もう迷わずに二階の客室階に向かう。
なのに、今度は二階の廊下に病院の人たちがあふれていて通れない。
眼鏡をかけた若い研修医くん(誰)が私のおなかを嗅ぐ。
驚いていると、砂の匂いがしますね、と嬉しそうに言う。そう言われれば、さっき昇りかけてやめた赤い崖の砂が、私の体にまといついてきている気がする。
いつのまにか私、その砂のとおりの暗紅色に、ラメがきらきらしたドレスを着ていて、肩がむき出しだ。研修医くんはまだ私のおなかを嗅いでいる。彼が猫なのかもしれない。
廊下にも階段にも、折り重なるように人があふれている。
※マイケル・マクサマックさんは2017年に亡くなりました。
同僚で、先輩で、素敵な友だちでした。
お葬式の音楽は、ご友人の弾くブルースギターでした。