第53話

文字数 796文字

 ひさしぶりにゆっくり眠れて、長い夢の一部。
 ふしぎな、ふしぎな夢。
 夜で、雨らしい。路面が濡れて光り、みな傘を手に持っている。
 人が大勢。同窓会なのか。
 
 私のそばには真澄さんがいて、でも、私は別の人と会い、その男性に口説かれている。
 幼なじみだったらしい。
 その人は私に、ずっと好きだったのに言えなかった、などと言って涙ぐんでいる。そういえばそんなような気がして、私も泣く。
 その彼とのさまざまなすれちがいの場面が浮かんでは消える――
 
 ――ような気がするのだけれども、誰だっけと思っている。
 エハラくん、ムラカミくん、どれでもない。
 
 私、せいいっぱい笑顔を作り、次に会ったら結婚してください、来世でね、などと言う。
 そのときは心の底からそう言ったのだけど、言ったとたんにそらぞらしくなる。水に落とした絵の具がさっと散っていくように、意味が薄れて、真実でなくなっていく。
 それでも彼は気づかす、泣きながらうなずく。
 誠実な人なのだ。私とちがって。
 
 私たちは階段の踊り場で話していたらしく、昇っていく彼の背中を見送るのもそこそこに、私は降りはじめる。
 結婚の直前に昔の恋人に再会してその人のもとへ走る、などというお話がよくあるけれど、あれは嘘なのだな、ああいうことは実際には起こらないのだな、昔の人は昔の人なのだなと、おだやかに驚き、たしかな幸福を感じる。
 
 真澄さんが閉じた傘を手にして静かに待っている。ひざまずきたいほどの感謝が湧いてくる、真澄さんに対しても、去った彼に対しても。
 最後にもう一度ふりかえり、そしてはっきり思い出す――
 
 私の人生にあんな男の人はいなかった。
 それに、真澄さんと結婚することもない。
 
 私、ほのかな笑いをこらえて、真澄さんから傘をもらい、開かずに、ふたりで歩き出す。
 暗い美術館の中のようでありながら、濡れた路面に灯りがさまざまに映り、光ってもいる。

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