第130話

文字数 1,015文字

 郊外の、何もない空間に、いきなり出現した駅ビルの中で、デートしている。
 相手は大学時代の初めてのボーイフレンドだったヒライズミさんらしい。らしいと言うのは、なんだか彼がいるのかいないのかよくわからないのだ。

 飲食店の入ったフロアの、やたらにガラスが多くていろいろ映りこみ、クレープだかピザだか、とにかく円形の食べ物のサンプルの蝋細工がずらりと何段にも、天井近くまで並んでいる店の前に私は立っていて、
 待ち合わせか、順番待ちらしい。

 そんなサンプルのたくさんあるお店はたいてい美味しくないので、ここを選ぶなんて彼らしくないのだけれど(このへんからもうヒライズミさんじゃなくて真澄さんになっている)、
 考えたら、ここを出てすぐの所にバス停があって、彼はそのバスに乗って帰るので、このお店にいればぎりぎりまでいっしょにいられるということなのだと気づいて、微笑ましくなる。

 なにしろこのビルのまわりは本当に何もなくて、ただ茫漠と黄色っぽく、
 実家の近所の枯れた公園か、さもなければサマルカンドの砂漠のようなのだ。

 いつのまにか私は映画の撮影にほんの端役で出ているらしく、いっしょけんめいストッキングをはきかえようとしている。それも幅のせまいエスカレーターに乗って下りながらなので、本当にはきにくい。
 あんのじょう、かかとが前に来てしまって足首のところでだぶついていて、こまる。真澄さんに見られたらはずかしい。

 私の役は聖アルソアとかいう聖女らしくて、白い生花を頭につけて、杖を持って歩く。
 とにかく健脚な人だったらしく、八十を越えたお釈迦さまといっしょに歩いて、お釈迦さまはそれでくたびれて亡くなられたそうだという説明を聞いて(誰に)、そんなの聞いたこともないので面白い。

 とはいえ、前後をはきちがえたストッキングの問題は解決していなくて、足首のところのだぶだぶに砂が入っていて歩くどころではないから、いっそ脱いでしまおうと思うのだけれど、パンティストッキングだからそれもちょっと大変。
 でも、サマルカンドの砂漠を歩くのにストッキングはそもそもだめでしょ、と思いついて、気が軽くなる。

 アルソアというのは、私が以前愛用していた濃い灰色の薬用せっけんの名前で、聖アルソアなんて聖女さまはいないと、起きてから気づく。
 それでも、白い花をつけたやたらに健脚な聖女さまというのが面白いから、そんな登場人物が出てくる戯曲をいつか書いてみたいです。

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