第143話
文字数 1,309文字
長い夢の最後の部分。先に、つらい夢を見て泣きながら起きたのだけど、その後この面白い夢を見て、上書きされてしまった。
草が黄色く色づいてきた田舎道にいて、私は外国の少年。夏休みの宿題をやらずに遊びほうけていたらしい。
次の瞬間、厳しい担任の女の先生につかまり、私は教室に座らされている。
教室は日本の小学校のような、また近未来のオフィスビルのような、数秒ごとに雰囲気が変わる。
ともあれ、目の前に広げられた紙の束の白さが私の視界のほとんどを覆っていて、まわりどころではない。
女先生は私に、宿題をしてきたならこのプリントの内容がわかるはず。時間を少しあげるから、いまここでまとめなさいと言う。宿題をしてないのをお見通しで、意地悪半分、お慈悲半分なのだ。
女先生の中身も、じつは私なのかもしれない。
しかし私はいま少年で、それもドイツの少年で、しかも偽物のドイツの少年だから、ドイツ語が読めない。宿題をこの場でまとめるなんて無理だ。
冷や汗をかきながら、プリントを見つめていると、どうやらドイツ語ばかりでなく、かなりの部分が英語のようだ。それならまだ望みはあると思って、紙に顔を近づけると、
そこに書いてある内容に私は入ってしまって、しかもまだドイツの少年のまま、さっきの黄色い田舎道に出ている。
つまりこういう話だ。
私たちドイツの悪ガキ連の小学校に、イギリスの気さくな演出家がやってきて、授業をした。
その授業で、村の森や川がごみで汚されていることを知った私たち子どもは驚いて、一致団結してごみ拾いをしたばかりか、その過程をみんなで劇にしてしまったのだ、その演出家先生の手を借りて。
おたがい英語とドイツ語で話は通じにくいのを乗り越え、地域の大人たちも巻きこんで、その大人たちの一人一人を写真に撮って、立派なパンフレットができあがっていく。
ひげもじゃで無口そうな大柄のおじさんが、「私は、靴です」(靴の役)、などと言いながらパンフレットにおさまっていく。
やせっぽちのイギリスの演出家は私を手招きして、せっかくだから君も劇を見ていかない? と誘ってくれる。
この時点で私は日本のおばさんに戻っている。だけどもちろん劇を見たいから、喜んでついていく。
田舎道に突然しゃれた構えのコンクリートの建物が出現して、新百合ヶ丘アルテリッカに似ているけれど、ここが学校らしい。
入ると、斜めに組まれた柱と高い天井のあいだのガラス張りからさしこむ光が美しい。季節も緑の初夏に戻っているようだ。
演出家先生が子どもたちを紹介してくれて、人数は少ないながらみな笑顔で礼儀正しく、上は高校生くらいまでいるようだ。
彼らが清潔で美しいので、私はきゅうに自分のぼさぼさの頭がはずかしくなり、化粧室に飛びこんで直す。
でも、どう梳いてもぼさぼさ。
というところで起きた。
※草が黄色く色づいた田舎道、というのが、この夢を見た三か月後のいまもはっきりあれとわかるので、検索して確かめた。
アウグスト・ザンダーの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の背景だ。プロイセン、ラインラント。
でも正装の農夫さんたち自身は出てこなかった。それにもとの写真は白黒です。
草が黄色く色づいてきた田舎道にいて、私は外国の少年。夏休みの宿題をやらずに遊びほうけていたらしい。
次の瞬間、厳しい担任の女の先生につかまり、私は教室に座らされている。
教室は日本の小学校のような、また近未来のオフィスビルのような、数秒ごとに雰囲気が変わる。
ともあれ、目の前に広げられた紙の束の白さが私の視界のほとんどを覆っていて、まわりどころではない。
女先生は私に、宿題をしてきたならこのプリントの内容がわかるはず。時間を少しあげるから、いまここでまとめなさいと言う。宿題をしてないのをお見通しで、意地悪半分、お慈悲半分なのだ。
女先生の中身も、じつは私なのかもしれない。
しかし私はいま少年で、それもドイツの少年で、しかも偽物のドイツの少年だから、ドイツ語が読めない。宿題をこの場でまとめるなんて無理だ。
冷や汗をかきながら、プリントを見つめていると、どうやらドイツ語ばかりでなく、かなりの部分が英語のようだ。それならまだ望みはあると思って、紙に顔を近づけると、
そこに書いてある内容に私は入ってしまって、しかもまだドイツの少年のまま、さっきの黄色い田舎道に出ている。
つまりこういう話だ。
私たちドイツの悪ガキ連の小学校に、イギリスの気さくな演出家がやってきて、授業をした。
その授業で、村の森や川がごみで汚されていることを知った私たち子どもは驚いて、一致団結してごみ拾いをしたばかりか、その過程をみんなで劇にしてしまったのだ、その演出家先生の手を借りて。
おたがい英語とドイツ語で話は通じにくいのを乗り越え、地域の大人たちも巻きこんで、その大人たちの一人一人を写真に撮って、立派なパンフレットができあがっていく。
ひげもじゃで無口そうな大柄のおじさんが、「私は、靴です」(靴の役)、などと言いながらパンフレットにおさまっていく。
やせっぽちのイギリスの演出家は私を手招きして、せっかくだから君も劇を見ていかない? と誘ってくれる。
この時点で私は日本のおばさんに戻っている。だけどもちろん劇を見たいから、喜んでついていく。
田舎道に突然しゃれた構えのコンクリートの建物が出現して、新百合ヶ丘アルテリッカに似ているけれど、ここが学校らしい。
入ると、斜めに組まれた柱と高い天井のあいだのガラス張りからさしこむ光が美しい。季節も緑の初夏に戻っているようだ。
演出家先生が子どもたちを紹介してくれて、人数は少ないながらみな笑顔で礼儀正しく、上は高校生くらいまでいるようだ。
彼らが清潔で美しいので、私はきゅうに自分のぼさぼさの頭がはずかしくなり、化粧室に飛びこんで直す。
でも、どう梳いてもぼさぼさ。
というところで起きた。
※草が黄色く色づいた田舎道、というのが、この夢を見た三か月後のいまもはっきりあれとわかるので、検索して確かめた。
アウグスト・ザンダーの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の背景だ。プロイセン、ラインラント。
でも正装の農夫さんたち自身は出てこなかった。それにもとの写真は白黒です。