第104話

文字数 1,124文字

 大きな川のほとり、流れの上に張り出したガラス張りの建物に住んでいる。泊まっているのか。
 前半は忘れた。

 母の古いベルトを私は手にしている。メッシュの、明るい色の革のベルトで、少しすりきれているけれど美しい。
 母がけげんな顔をしているので、これお母さんのベルトじゃないの? と言うと、そうだったかしらと首をかしげている。そうよ、お店で気に入って、本当は男物だけど、どうしても欲しいと言って泣いて、お母さんのサイズに合わせて切ってもらったのよ、わたし覚えてるもん。
 若かった母の細い腰に合わせたカーブの角度までありありと思い出し、そう力をこめて言うと、母もやっと思い出したような、出さないような顔をしている。

 そんなベルトはないのに、夢の中の記憶がひじょうにあざやかだ。

 母はそれどころではなく、今日の食材の配達が来ないと言って気をもんでいる。
 大きな船で配達に来るらしい。
 食材の組み合わせが日替わりで何種類かあって、そこから選べるらしい。

 白い厚手の紙に小さい黒い字で少しだけ書かれたリストのいちばん上に
 シェイクスピア
 とある。これはたしか何かのクリーム煮だ。
 今日はこれにしちゃいなさいよ、と私が言う。すでにたくさんの人が厨房に入っている気配がする。

 私はいつのまにか細長い洋風の宴会場にいる。壁もテーブルクロスも白い。
 私の教え子らしい若者が、きびきびと指揮をとっている。
 なぜかこの期におよんで、ウェイトレスのだれが偽物なのか当てるゲームをしている。
 忙しく行き交う中に、一人だけ単独で行動している女の子がいて、その子が偽物だと私が見抜く。正解だった。
 とくに何か褒美が出るわけではないらしい。
 ウェイトレスたちの制服は暗いエンジ色に白いレースで可愛らしい。

 最初のガラス張りの部屋にもどって外を見ていると、船は来ないけれどいろんな人が泳いでいて、みんな楽しんでいる。
 可愛い犬が三匹ばかり泳いでいる。私のそばにいる男の人(誰)がからかって、犬の一匹、いちばん賢そうな黒いまるっこい子に、水をかける。やめなさいよと私が言う。

 犬は憤慨したらしく、向きを変えてこちらへ向かって泳いでくる。そして口に水をふくんで、ぷうと吹きかけてくる。
 三、四度吹きかけ、そのからかった人ではなく、私に浴びせる。
 私は笑っているけれど、黒犬の真剣な表情にちょっとはっとする。

 何度か水を吹きかけてから、黒犬は私たちに背を向けて泳ぎだす。
 するとあとの二匹もおとなしく彼について泳ぎ出し、三つの小さな背中で水が分かれて筋を引いていく。

 光が水面に反射し、ゆうゆうと泳いでいく犬たちのほうが自分たちよりよほどすぐれた生き物である気がして、私は感じ入りつつ見送る。

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