第19話

文字数 850文字

 つづきだろうか、ぶじに電車を降りたらしい。
 真澄さんと私、暗くなりかけた砂を踏み、松のあいだを海のほうへ歩いていく。

 宿というのか、古いコンクリートの建物に着く。さっきの列車と同じような箱。
 私はそこの女の人たちに、あずかっている小袋を配らなくちゃならない。袋のなかみはお菓子かお化粧品。
 それぞれの袋にひとりひとりの名前が書いてあって、それを見て正しい相手に渡して、配り終えて、一人だけ、厚いピンクのビニール袋に入った塩味つき煎りアーモンド、の缶を渡す相手にだけ会えない。
 柳沢千恵というような名前。
(そんな知り合いいません。)

 片づけて帰ることにする。
 長机の上に青いボール紙の書類箱があるから、散らかった白い楽譜なんかをその箱に入れてしまって、帰ることにする。
 真澄さんは早く帰りたいようだけれど、私はあとで「あの二人はこんなに散らかしたまま帰った」と言われるのがいやだから、楽譜を箱に入れて、机や椅子もそろえて退出する。

 けっきょく、アーモンドの缶を受けとるはずの人は現れない。

 私の黒っぽいスポーツバッグの中に、その缶も入れて帰ることにする。
 いいの? と真澄さんに訊かれて、いいの! と答える。だってこの人知らない人だもん。柳沢千恵さん。
 ふっと、
 彼女が誰なのか思い出しそうになって、いそいで記憶を押さえつける。思い出さないほうがいい。思い出すと彼女を探さなきゃならなくなるから。たぶん東久留米で知りあったあの人なのだ、ゆるいウェーブの髪を肩までたらした人。めんどくさい人だから苦手なのだ。
(くりかえしますが、そんな知り合いいません。)

 だったらアーモンドの缶は持ち帰らずに置いて帰っちゃおう、と思いつく。
 柳沢千絵様という付箋を貼ったまま、古い木のベンチ(突然出てきた)の上に置く。

 列車らしいかん高い響きがして、気配が近づいてくる。

 と思ったらもう食堂車の中にいて、真澄さんと、何か肉の煮込み料理を頼んで、どちらがお金を払おうかというような相談をしている。
 りんごの甘煮もあった。

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