第121話

文字数 823文字

 そのつづき。黒い石のマントルピースのある部屋に、いつのまにか人が集まって食事し、談笑している。

 私は若く、学生に戻っていて、まわりも級友と恩師の集まりであるらしい。
 見知った顔がひとつもないのに、なぜか気安く、居心地はいい。

 平皿に、きれいな桃色の細切りの漬物と何かの肉を取って、私は食べようとしているのだけれども、しきりに話しかけられるから食べられない。皿を持ってちょっと席をはずす。
 廊下へ出たつもりが、外へ出てしまったようで、ガラスの壁を背にして、私は熊笹の茂みに向かって立っている。手に皿を持ったまま、流し素麺の()のような竹を割った(とい)に、きれいな水が流れていくのを感心して見ている。水ばかりで素麺はない。

 ふいに横に人が立って、見ると部屋にいた恩師の一人だ。
 いま思うに、西洋古典の荒井(ささぐ)先生だったようだ。
 眼鏡の奥でにこにこなさって、

 君ね、

を読んで書いておかないと、進級できないよ、

 と、厳しい引導を渡された。
 そのままさらりと部屋へ戻っていかれる。

 私は目の醒める思いで、はい、かならず、と先生の背中に返事をする。
 そのときは何の課題かはっきりわかっていたのに、いま、思い出せない。

 ガラスの壁の向こうに、赤や黄のクッションの暖かい色と談笑が続いていて、もはや私には戻れない。そうだそれどころではなかった、楽しく食べたり騒いだりしている場合ではなかったのだと、むしろすがすがしい気持ちで考えている。
 後輩のタケウチくんらしき人がそばに来て、何を言われたの、などと訊くけれど、私は笑って答えない。
 いつのまにか手に皿もない。

 竹の樋から流れた水は、熊笹をくぐって路地に落ち、濃い灰色の石畳を濡らして宵闇に白く光らせていく。
 その石畳を見て、私はここが異国だったことをあらためて悟る。

 私は異邦人なのだから、何事かを成さずには帰れないのだ。


※文中の荒井献先生はもちろん私の夢の中の荒井献先生で、現実の荒井献先生とは関係ありません。

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