第4話

文字数 3,225文字

 街路に面した窓からはそこを行き交う人々の姿が見える。部屋の片側を仕切る大きな窓からは部下たちが書類を纏めている様子が見て取れる。中には談笑に励んでいるものもいるがそれはいつものことだ。
 男は通話機を耳に付け声を潜め語る。
「奴の死体が港で発見された。ほんの二日で浮かんでくるは浮かんでくるとは重りの付け方が悪かったようだな」
「……それは本当か」一瞬、先方の息を飲む音が響き、沈黙が訪れる。そして、噴き出す怒りを堪え抑えた声音が伝わってきた。よく怒鳴らなかったものだ。
「あぁ、奴の衣服に泊まっていた宿の文鎮が紛れ込んでいたようだ」
「……」またも息を詰めた沈黙。
「どこまでも手癖の悪い盗人だったようだな。そのせいもあるだろう奴の名前はすぐに割れてこちらに伝わってきた」
「……」荒い吐息が伝わってくる。
「それと奴の部屋で居合わせた女がいたようだが……」
「あぁ、女?……」また、沈黙。これは予想外だったようだ。「女がどうした!まさか……」
 先方もこちらが言わんとするところを理解したと見え、低い唸りが響いてくる。
「女は生きている」
 こちらの言葉にこれまで抑えられていた怒りが噴き出し、通話口から溢れ出してきた。
「女は例の部屋で翌朝に見つかり、そのまま病院に収容されたようだ」
 止まらない罵詈雑言を無視して、先を続ける。こちらはそんなものにかまってはいられない。
「女は、女はどこにいるかわかるか⁉」ようやく落ち着きを取り戻し、人の言葉が湧き出してきた。
「残念ながら……」
「そうか……」深い息遣いが耳に入る。
「だが、捜査は続けている。じきに行方は知れるだろう」
「その時は頼むぞ」
「わかり次第……」
 この知らせで先方では何らかの処分が下されることになる事になるかもしれないが、知ったことではない。こちらは頼まれていた仕事をこなしたまでの事だ。

 正教徒第一病院の前庭でローズたちがハスラーから事情を聞いた翌日、フレアは術師のピーター・ウィチャーズを伴いメローの病室を訪れた。フレアの影響力を持ってすれば正教会から聖職者を連れてくるのもわけはなかったが、それはハスラーの側が敬遠をした。そこで選ばれたのが力の確かさが知れているウィーチャーズだ。
 二人は三階の看護師たちの詰所でメロー・レオニーへの面会を申し出た。フレアの顔とウィーチャーズの白い法衣の効果もあってのことだろう、面会の許可は簡単に降りた。彼女は三号室で眠っているという。それについてはローズから既に聞かされていたが、知らぬふりをしておいた。
 応答がないことはわかっているが、フレアは三回扉を軽く叩いてから病室へと入っていった。部屋に置かれた寝台では大柄で艶のある茶色の髪の女が横たわっていた。ローズから聞かされた彼女の容姿と病室内に漂うローズの匂い、この部屋で間違いない。
「どういう状態か診てあげて」隣に立っているウィーチャーズに目をやる。
「了解……」
 ウィーチャーズは前に歩み出てメローの枕元に立ち、彼女に向かって右手をかざした。
「特に異常は見られないな」とウィーチャーズ。
「じゃぁ、どうして目覚めることができないの?何が問題なの?」
「話はまだ終わってないよ。体に異常は見られないが、少し敏感過ぎる所があるようだ。力に当てられての逃避反応といったところか」
「あぁ、ローズ様の目を直に見ただけで昏倒するとか……」ウィーチャーズに指摘されフレアは思い出した。
「それだよ。似たようなものだ」
 ローズはそれを防ぐために終始視線を遮り、不意の力の漏出を抑えるため仮面に黒眼鏡、外套などを欠かさないでいる。
「恐らく彼女は眼前に現れた魔物の力にあおられ逃避反応を起こしたんだろう。自意識の深い場所へ逃げ込み、外からの呼びかけに答えることができなくなった」
「ローズ様はそのおかげで相手は彼女が死んだと早合点したんだろうと推測していたけど、あなたもそう思う?」
「召喚した魔物が物理的に攻撃を与える類いでなければあり得るね。目立つ傷がなければ勘違いも起こしやすい」
「それなら解決策は……」
「簡単に言えば、もう安全であることを呼びかけるだ」
「それはもうとっくにやってると思うけど……」
「声や接触での表面的な刺激では難しいだろう。彼女は感覚まで閉ざして深部へ逃げ込んでいる。それを解除させるには深部への呼びかけが必要だ」
「……あなたならできるわよね」
「任せてくれ」ウィーチャーズの口角が上がった。
 メローに対して手をかざし、ウィーチャーズは一度深く息をつき、目を閉じた。フレアはその時何かを感じ取ったが、それを発したのがメローか、ウィーチャーズなのか判断はつかない。
「これでいいだろう」とウィーチャーズ。
「えっ……もう?」
「もちろん、悪いが医師と看護師を呼んできてもらえないか。彼らが顔を見せる頃には彼女も目覚めているだろう」
「えぇ、わかったわ」
 フレアが医師と看護師達を連れてメローの病室へと戻ってくると、ウィーチャーズの言った通り彼女は目覚め寝台から体を起こしていた。目覚めてすぐであったためだろう彼女の表情は冴えなかったが、現れた医師に対してしっかりとした口調で質問に答えていた。
 あなたの名前は、年齢は住まいはここはどこか察しはつくか。それらの質問を着実に答えていく。この様子なら心配はないだろう。
 ウィーチャーズは医師と簡単な申し送りをした後、寝台の傍から退いた。
「ご苦労様」とフレア。
「ありがとう」ウィーチャーズが応じる。
 この後もしばらくフレアとウィーチャーズはメローと医師たちのやり取りを眺めていた。すると、開けたままだった部屋の扉を軽く叩く音が聞こえた。
 フレアがそちらに目をやると若い男が二人病室の入り口に立っていた。見た目はフレアの十歳ほど上に見える。二人とも中背で細身で顔立ちと、前髪を軽く右へと流した髪型も似通っている。違いは金と茶の髪と上衣の色ぐらいで兄弟のようによく似ている。
「こんにちは、こちらはメロー・レオニーさんのお部屋ですか」金髪の男が訊ねた。
「それで間違いないが……」ウィーチャーズが威厳をもって応じる。
「俺はキャルキャ・ブレオ」金髪の男は手慣れた様子で警備隊の身分証を懐から取り出し居合わせた全員に見せた。
「こちらは同僚のクレト・バーンズです」紹介を受けた隣にいる茶髪の男が身分証を提示し軽く頭を下げた。
「警備隊の方でしたか。今日は何の御用でしょうか?」
 理由の予想はつくが、警備隊の方からやって来たのは意外だった。例の夜の一件に何か進展があったのか。フレアは黙って展開を見守った。
「単刀直入に申しますと、先日レオニーさんが倒れていた部屋から姿を消していた男性、ジェゾ・トレカと名乗っていた宿泊客と思われる遺体が旧市街の港で発見されたのです」
 フレアを始めとして部屋にいる医師や看護師が金髪の隊士の言葉に凍りつく。最も強く反応が出たのはメローだ。彼女は目を見開き胸に手を当てる。青ざめてしまい息の乱れもあるようだ。
「それは本当ですか?」とウィーチャーズ。
「はい」と二人とも軽く頷く。「彼は件の宿「キャンメイル」の文鎮を所持しており、宿帳にも名前がありました。受付係も顔を覚えていました。恐らく、彼が部屋から姿を消した客に間違いないでしょう」
「そこで……」と茶髪のバーンズ。「警備隊としては何か有益な情報が得られないかとレオニーさんの元へ出向いた次第です」
「協力を願えませんか」とブレオ。
「事件とあれば止む終えないが……」
 医師はメローに小声で話しかけた。それに彼女は顔を強張らせながらも頷いた。
「レオニーさんはついさっき目覚めたばかりなのです。質問はくれぐれも慎重に、そして手短にお願いします」
「はい」
「わたしも傍について見ておりますので、レオニーさんへの負担が大きいようなら聴取は即中止という事でよければどうぞ」
「ありがとうございます」
二人の警備隊士は深々と頭を下げ、前に歩み出た。
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