第3話

文字数 3,265文字

 不意に心臓が停止し死亡する。帝都ともなれば日に何人かはいるだろう。だが、それが限られた四人のうちの二人となれば話が別だ。裏に何かあるのではないかと疑わざるを得なくなってくる。当然憶測も飛び始める。

「そちらから要請もあったので詳細に診てみてみましたが、不審な点は見つかりませんでした」

 監察医から手渡された報告も簡潔な内容だ。様々な所見により嫌疑が明確に否定されている。

「病死ですか?」

 警備隊隊士シャーリー・ジェロダンは監察医の所見に疑問を呈しているわけではない。ただ、確認しているだけだ。横にいるダニエル・アーランドも同様だ。

「酒が過ぎて彼の内臓には病変が見られ深刻な域に達しているが、まぁ、そちらは少なくとも今回の原因ではない。人の手が下されていないのは間違いないと思う。身体にこれといった外傷もなく、毒を盛られた様子もない」 これが死亡したオーベストに対しての見解だ。

 それからも少し監察医と話した後、書面を受け取ると二人は軽く礼をしその場を後にした。人気のない廊下を歩き病院の出口へと向かう。

「偶然……なのかな」とアーランド。

「それを考えるのはまだ先の事……」

 亡くなった二人に共通するのは死因とクレマ・デ・ファジョーレを騙っていたことぐらいだ。どちらも名乗りを上げたに過ぎない。お互い顔も知らない間柄だ。オーベストはわからないが、ステラはもう騒ぎに関わる気は失せていた。

「ステラさんは奥さんの横で寝ていた。何か起こればすぐにわかる。彼女が手に掛けたとしても対格差が大きくて、とてもできることじゃない。彼女の周辺からも不審な物は何も見つからない。オーベストさんに至っては一人きり、窓も扉も閉ざされていた部屋の中で倒れていた」

 二人が相次いで倒れたことが報道されるや無責任な憶測が飛び交い始めた。その中に他のデ・ファジョーレが彼らの命を狙ったのではないかというものまで混ざっていた。警備隊も遊んではいない。素人が考えるような説は既に当たり、その疑いを片っ端から潰して回っている。残りの二人にも会い、事情を聴いたが亡くなった二人には面識どころか名前も知らなかった。新聞社は共同の催事にて彼らを引き合わせるつもりでいたようだ。それまでは互いの名前は伏せておくつもりでいた。それでは他のクレマ・デ・ファジョーレは狙いようもない。たとえ、狙ったところで何の意味はないが。

 奇妙なところと言えばクレマ・デ・ファジョーレを探しているという人物の詳細が不明なことだ。広告を出したツジ・ユアンも訪れた客が持ち込んだ原稿を出稿しただけで依頼人の素性は知らないと言っていた。

 広告掲載後は何度か先方から代理人がユアンの事務所に顔を出し、集まった情報を回収しに来ただけだと。身分を明かしたがらない依頼人は珍しくない。ユアンとしては報酬のため詮索はしないでいたという主張だ。警備隊はユアンに次回代理人が現れた際は連絡をするように要請をするだけに留めておいた。

「毒とか盛られたとかじゃないのなら、後は魔法か」とアーランド。

「やめてよ、あんなのもうこりごりよ」 ジェロダンの視線にアーランドは思わず頭を下げた。



 フレアが開店して間もないインフレイムスへ訪れると、いつもと違う果実の甘い香りが漂っていた。そう言えば期間限定の商品が発売されるとこの前に来た時に話していたか。その時は最終調整の段階を越え、常連客に試食品を配っていた。それがいよいよ、発売となったらしい。

「おはようございます」

 開け放たれた裏口の脇から顔を出し朝の挨拶をした。

「フレアさん、おはようございます」

 フレアの顔を目にした菓子職人たちが口々に朝の挨拶をする。

 ほどなく、奥から大きな木箱を両手で抱え店員のコハクが現れた。フレアなら造作もなく抱え上げることが出来るが、同程度の体格である人の女性がそれを抱えているのを目にすると、彼女は菓子で体を痛めてしまわないか心配でならなくなる。最後はフレアも手を添え箱を床へと降ろした。

「ありがとうございます。フレアさん」コハクは箱を降ろし息をついた。やはり、重いようだ。

「いえいえ、限定のお菓子は発売になったんですね」

「えぇ、……あぁ、もう表ご覧になりましたか」

「いいえ、匂いでわかりました」

「匂いで……」

「人よりは鼻が利くもので」

「……そうでしたね」コハクはフレアが何者か思い出したようだ。

 だが、フレアに関しては人を襲うことはない。正教会のお墨付きがある。

「売れてますか?」

「えぇ、好調で少しばかり増産する予定です。でも、仕入れたお酒や果物が尽きればそれまでなので、お求めになりたい場合はお早めにとお伝えください」

 コハクはいつも営業も忘れないが、肉しか口にできないフレアとして出来るのはそれを知り合いに伝えることだけだ。

「ニコライ様は御存じですか」 菓子と繋がる知人と言えば彼ぐらいだ。

「あの方は初日にお取り置きで昼前にイェスパーさんが来られて持ち帰られました」

「さすがですね」

 彼も抜かりはないようだ。

「予約された方の大半はもうお買い上げ済みで、中には二度三度と来れられる方も……あぁ、そういえばあの方まだ来られていないですね」

「どんな方ですか」

 フレアは話の流れで聞いてみた。

「最近になって週一度ぐらいの間隔でお見えになるようになったお客様で、たぶん外国から来られた方でしょうね。言葉遣いや立ち居振る舞いからそれなりの身分はある方だと思います。ターバンを頭巾みたいにして顔を隠して……」

「お忍びで街を徘徊って感じですか」

「そうですね。最初来られた時は持ち合わせがなかったようで、他の子がこのお菓子を薦めたようです」コハクは足元に置かれた木箱を指差した。「これなら量り売りで一個から買えますし、いつも大量にまとめ買いされる方お得意様がいるとかお勧めして……」

「……間違いはないですね」フレアは軽く笑い声を上げた。

「それ以来週に一度は来られるようになりました」

「その方が最近はお見えになっていない……」

「最後は……あのクレマ・デ・ファジョーレ騒ぎの前ですね。それ以来誰もあの方は目にしていないと思います」


 二人のクレマ・デ・ファジョーレが死亡するに至って、新聞社が用意していた企画はすべて取り止めとなった。しかし、彼らは転んでもただでは起きない。今度は亡くなった両氏の死の真相を追うとして大量の憶測を流し、残りの二人に万が一の事態が起こることを期待する記者たちは二人の住居の張り込みを続けた。
 
 警備隊も玄関口に配置され、興味本位で眺める人々が取り囲む様はまるでクレマ・デ・ファジョーレここにありと狼煙を上げているも同然となった。それに加えて大きな篝火まで焚いているようにも見える、ここに敢えて何者かが突入するならまさに「飛んで火にいる夏の虫」となるだろうと思われていた。

 そんな中で、女性で唯一クレマ・デ・ファジョーレとして名乗り出たエチェレイテ・アンドの夫ジェットは、真夜中に喉が裂けんばかりの悲鳴を上げ、部屋から飛び出してきた。支離滅裂な言葉を発しつつも傍にいた警備隊士に部屋の中を指差した。そこで発見されたのは事切れて間もないエチェレイテの姿だった。取り乱したジェットが涙を流したのは、それから幾分経って気持ちが落ち着いてからの事だった。

 ジェットによると夜中に嫌な気配を感じ目を覚ました。目を開けると横で寝ているエチェレイテの横に黒装束の男が立っており、手には巨大な草刈り鎌を持っていた。何と不気味な姿か。ジェットが体を起こすと黒装束は靄のように姿を消した。

「夢か、……脅かすんじゃねぇよ」ジェットは大きく息をついた。

 寝台に横たわり目を閉じた。しかし、胸騒ぎが収まらないためエチェレイテの様子を確認した。

「そこで奥さんが無くなっていることに気が付いたんですね」 と警備隊士。

「はい……」ジェットは消え入るような声で答えた。
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