第6話

文字数 3,341文字

 あれから二日経ったがオバシからの連絡はまだない。主人が忙しくポンテオと会う段取りをつけるのに手間取っているのかもしれない。それはわかるが、こちらも一週間先にはまたネブラシアへ出向かなければならない。オバシは連絡をすると言っていたが、どのような連絡を付けるつもりか。手紙か、直に訪ねて来るつもりか。

 夕方までに仕事を終えることが出来たポンテオは食事を終え自宅向かっていた。自宅にもかまどと小さな炊事台はあるがもっぱら外食に頼っている。湯を沸かすために使うのが大半だ。帝都風ネブラシア料理というのも案外いける。地元でも高価なスパイス大量に使うのは金持ち向けの店だけで、普通の家庭は具も決まっているわけではない。肉も野菜の手に入る物を使ってのあり合わせだ。それがここでは奇妙に再現され実家の味を思いだす。ひもじいなど嫌なことは多くあったが、そこに両親の落ち度はない。十分に頑張ってくれていた。

 若干の酒も入りいい気分で帰って来たポンテオだったが、それは自室のある下宿屋までだった。部屋の玄関扉の取っ手に触れた時にすぐさま酔いは醒め、すべて消し飛び素面に戻った。間違いなく今朝の出がけに閉めたはずの扉に鍵が掛かっていない。鍵を開ける時の手ごたえがないのだ。朝の記憶を手繰るがはっきりはしない。

 混乱する意識を落ち着け、一呼吸してから扉を開ける。しかし、混乱は収まることなくさらに拍車がかかる。扉の向こうの薄暗い部屋は明かりが無くともわかるぐらいに乱れている。窓から差し込む光で床の散らかりようが見て取れる。衣裳棚に収めていたはずの衣服が散らばり食器が床に転がっている。これは西の山奥から来たと言う業者から買った木製の食器だ。丈夫なもので少々の事では割れない。こちらの方がよいと勧められたが本当だった。どれも傷一つ付いていない。

 食器に感心している場合ではない。何か盗られた物はないかを確認しなければならない。どこから手を付けるか。金だ、金目の物、この部屋で最も高価な物となれば服か。それと少しではあるが蓄えはどうなっているか。

 服は床にぞんざいに置かれていたが盗まれてはいない。埃さえ掃えば何とかなりそうだ。寝台の奥に仕込んでる物入れの中の金もそのままだ。安堵のため息が出る。

「何だいこれは、何があったんだね」開いたままの扉を軽く叩く音とほぼ同時に背後から女性の声が聞こえた。

 振り向くと目を丸くした大家さんが部屋の外に立っていた。白黒の髪を結い上げ頭頂部でまとめている。小柄な初老の女性だ。旦那とこの下宿の経営をしている。この付近にはこのような間貸ししている大きな家が点在している。

「ばたばたと騒々しいからと聞いてきたら、何があったんだい」

 夢中になって大きな音を出していたらしい。大家さんの後ろに隠れるように立っている女性が知らせたのか。黒い髪の女性、顔は見たことがある。どこか工房のお針子さんだ。 ここに住んでいたのか。

「さぁ、俺にも何が何だが……帰ってくるとこの様子で……」

「大丈夫なのかい……」今度は神妙な顔だ。

「まぁ、今のところは……」とポンテオ。

「あぁ、あの鞄は鞄はどうなってる?」ポンテオの大声に針子の女性が二歩三歩と後ずさった。

 鞄は衣装入れの上に置いていた。慌てて例の鞄を探し始める。そこにはなかった。床に転がってはいない。寝台の下にも潜り込んではいない。鞄はどこからも見つからなかった。鞄は空き巣狙いに持ち去れたようだ。 



 屋敷の地下の捜索を終えたフレアは日暮れ前に塔へと戻ってきた。一抱えほどあるくすんだ色の木箱を肩に担いだ彼女の姿を多くの住人が目にしただろう。
 
 近所の住民たちはフレアが外から荷物を持ち帰ることは珍しくもないため、誰も気に留めることはない。ただ、今回の荷物の中身を知っていれば興味を持つ者は少なからずいただろう。箱にはあのビアンカの過去の手紙の他、興味を引く手紙が多数入っている。

「これがルドルフが出向いたお屋敷で見つかったのね」

 目覚めて着替えを済ませたローズは木箱に押し込められていた手紙に目をやった。木箱から出された手紙は最上階にある居間のテーブルの上で山になっている。すっかり黄ばんだ封筒が大半だが、中にはまだ新しい物も含まれている。

「はい、どれがウィリスさんがビアンカさんに宛てた手紙かはわからないので、とりあえず全部持ってきました」

「そう……どういう場所だった?」

「空き家でした。建物は最低限の維持はされているかもしれませんが、庭は全く手入れされていません。古くからあるお屋敷のようですが、今はだれも住んでいないようです。出入りしているのは例の脅迫犯達で、恐らくあそこを商談の場所に使っていたんだと思います。そして、地下室を商品の保管庫に使っていた」

「その根拠はあるの」

「わりと新しく一週間も経っていない匂いが残っていました。地下は少し古くなりますが空気が籠っているおかげで感じられました」

「大勢いると思うの?」

「あそこに出入りしているのはせいぜい四、五人でしょうか」とフレア。

「ですが、あの屋敷は地上より地下室が頻繁に使われているのだと思います。地下に残っていた匂いの方が多いですし、近くの公園に進入路がありましたから、そこを使えば誰にも悟られずに出入りすることが可能です。現にそちらにも匂いが残っていたため現在も使用されていたのは確実だと思います」

「元々は脱出路だったのが、時代が変わって秘密の出入り口として使われているわけね」

「はい」

「それを知っているとしたら、それは現在の持ち主ね」

「そう思います」

「それなら、次はやることは現在の持ち主を探すことだけど……それは明日にするとして今夜は目の前の手紙を片付けることにしましょう」ローズは傍に立っているフレアに目をやった。

「いくらかは目を通した?」テーブルの上の手紙の山を指差す。

「二、三通なら……」フレアが答える。

 地下室の壁にあった作り付けの棚、そこに収められた多くの木箱、フレアはその中を検め収められた手紙を発見した。フレアは三通ほどを封筒から抜き出し目を通した。狙いの物に違いないと見たフレアは箱の一つを使い、その中にすべての手紙を放り込んだ。脅迫犯は手紙の分別していたかもしれないが、今は何もかもごちゃまぜだ。

「調べていきましょう」フレアの記憶を読んだローズは小さくため息をついた。

「ビアンカさん宛ての手紙をね。彼女の事だからウィリスさんからだけでなく他の男性、女性方の手紙も見つかるかもしれないわ」

 積まれた手紙の内容は甘いささやきばかりではない。むしろそちらは少数か。脅しに密約、共謀あらゆる不正の証拠となりゆる記録が綴られている手紙が多数ある。

「名前は言及されていないけど」手紙の山からローズは目の前に取り分けられた封筒を指差した。

「この辺りはウィリスさんからのお手紙でしょうね。ビアンカさんはご丁寧に文面まで教えてくれたわ」ローズは前夜の彼女との枕元での邂逅を思い出した。

 封筒には受取人であるビアンカの名はあるが差出人の署名はない。

「だけど、一通足りない気がする。ウィリスさんは手紙の内容には十分注意していた。けど、誰も間違いを犯す。気分が高揚していれば余計の事よ。差出人を特定できるような手紙が欠けている気がするわ。それはどこにあるのか……」

「簡単にはいきませんね。このお手紙はウィリスさんに お返しするとしても、こっちの山はどうしますか」

 フレアは乱雑に積まれた手紙の山を指差した。

「犯罪絡みの手紙は警備隊か正教会にこっそり渡しておきなさい。そうすればあちらで適正に対処してくれるはず、他は焚き付けにしてしまいなさい」

「いいんですか……」

「今更失った物が返って来ても相手は戸惑うだけでしょ。返すも手間だわ」

「そうですね、はい……」

 フレアは手紙の再選別を始めた。これによって手紙の主は脅迫犯ではなく公的機関から追われることになる。どちらが良いか。少なくとも警備隊なら一度きりで済む、ただし対価が命の場合もある。 だが、どの道自分の知ったことではない。彼女は選別に集中した。
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