第2話

文字数 3,624文字

 昼夜を問わぬ活動も成果を得られず、再度の被害もなかったため山狩りは一週間ほどで打ち切られた。いつまでも非常時を続けていられない。今考えると当然の結果なのだが、当時の村人の狼人に関する知識は乏しく無理もない。

 フレアにも日常が戻ってきた。家に閉じこもってばかりではいられない。お母さんに果実酒の配達を頼まれた。届け先はチョバさんの家である。大人になった子供たちは外に出て、夫のレイさんは亡くなったため大きな二階建ての家に一人で住んでいる。

 少しさみしい小道を行かなければならないことを不安に思い歩いていると、後ろから声を掛けられた。幼馴染のフランセルとそのお父さんだった。

「ミアちゃん、どこ行くの?」

「その先のチョバさんの家」フレアは人気のない一本道の先を指差した。

 フレアは手に下げた籠の中身を見せた。

「お使いか。ついていこうか」

「いいの?」不安がぬぐい切れないフレアとして渡りに船だった。

 狩りに行く途中だったようだが、特に待ち合わせがあるわけでもない。まだ人食いが消えたわけでもない。そのため父さんと共に帰りも付き添ってくれることになった。

 しばらく歩くと、チョバさんの家の前に到着した。フレアが戸口に立ち、フランセル親子は少し離れた位置に待機する。玄関扉を三回ほど叩く。

「ミアです。頼まれてた木苺のお酒持ってきました」

 少し待ってみたが反応はない。

「チョバさん、お酒持ってきました。開けてください」

 今度は強めに叩いてみた。これでだめなら裏手に回ってみた方がいいかもしれない。若干の間を置いて扉が開いた。扉の向こうに現れたのはチョバさんではなく、なぜかお父さんの猟師仲間のロサワさんだった。

「チョバさんにお届け物です」

 ロサワさんはフレアの言葉にも無言だった。普段とは違い、目つきが酷く怖かったことは憶えている。不意に彼は腕を伸ばしフレアに掴みかかってきた。フレアは手にした籠を落としフランセルたちの元へ逃げ出した。しかし、何歩も行かないうちに押し倒され、フレアの上に覆いかぶさってきた。両手で肩を地面に押さえつける。鋭い爪が肩に食い込む。恐怖に声が出ないフレアに幸運だったのはすぐそばに二人の男がいたことだった。

「ミアちゃん!」

 二人はロサワさんをフレアから引きはがし、獲物のために用意していた縄で縛り上げた。彼は縛られてもなお暴れ続けていたという。

「家まで連れて帰ってもらったんだけど、ぼんやりしてよく覚えてない」

「知らない方が幸せなこともありますよ」

「そうね。気が付いたら家の寝台の上で寝てた。爪が食い込んだ肩が痛んで気分もひどく悪かった。それで三日ぐらい寝込んでた。今思えば、あの時に人じゃなくなっていたんだと思う」

 フレアは事のあらましを両親の会話から知ることとなった。大声で会話を交わしていたわけではないが、寝室の壁は薄く筒抜けだった。

 まず、チョバさんは気の毒なことにあの時にはすでに亡くなっていた。何者かに食われ、体にはその歯形が残っていた。それは熊や狼などの獣ではなく、恐ろしいことに人の歯によるものだった。ロサワさんの様子は変わらない。むしろ、悪化しているかもしれない。チョバさんを殺めたのはロサワさんと見られ、彼は教会の地下室に閉じ込められている。暴れる獣と変わってしまったロサワさんにみんな恐怖している。なすすべがわからず、街の教会に援助を求めに馬車を持っているリゲラーさんが向かった。

「判断としてはそれでよかったんだと思う。リゲラーさんから事情を聴いた司祭様は彼が戻るより先に村に着いた。その足で教会に向かい、ロサワさんに速やかに狼人の判定を出し、呪いから解放した。有体にいえば殺したわけだけど、わたしみたいに力任せに頭を叩きつぶしたわけじゃない。心臓に銀の槍を撃ち込んで活動を停止させた。それからは普通の死体として扱われる。人に戻れるのよ。遅すぎる気はするけど」

 ロサワの最後を知った頃にはフレアの体調は元に戻り、肩に受けた爪の傷も跡形もなく消えていた。この件に於いてフレアは騒ぎの中心近くにいたのも関わらず、扱いは外に置かれた。彼女の体調の変化の意味に気付く者もいなかった。やっと子供を出た頃でまだ少女と呼ばれるような年ごろで知り合いの男に襲われた。心の動揺が大きかったのだろうと誰もが考えた。むき出しの肩を見た者も少なく傷のことも知られていない。

 何よりロサワと被害者ミノとチョバに関心が払われた。九死に一生を得て落ち着いているフレアはいったん外に置かれたのが正しいかもしれない。その間にフレアは自分も気づかぬうちに変化していた。

 フレアは三日ぶりに寝室を出た。奇妙に鼻が敏感になっていたことを覚えている。しばらくろくに食事もとらず寝込んでいたフレアのためにお母さんが麦の粥を作ってくれた。フレアは腹が減っていたのも関わらず食が進まなかった。無理して口に入れ呑み込んだがついには吐き出してしまった。

「その時は体調のせいにしたけど、もう肉以外は受けつけなくなってたんでしょうね。あったかい飲み物だけ飲んで寝室に下がったわ。これがお母さんの顔を見た最後の機会になった」

 フレアは大きく息をついた。

「それで寝室に戻ってまた寝転んでたわ。そうしたら、何かの気配を感じた。茶色の大きなネズミだった。飛び掛かって素手で捕まえて気が付いたら頭からかぶりついてた。おいしいと思った。駄目だと思ったけど我慢できなくて全部食べちゃった」フレアは笑みを浮かべたが声は今にも泣き出しそうな響きを帯びていた。
 
「いろいろと考えているうちに家を出て行くことに決めた。ロサワさんのこともあるし、わたしも誰かを手に掛けることになるのか、それがお父さんやお母さんだったら、そう思ったらいても立っても居られなくなって……」

「そんなに簡単に変わっちまうもんなんですね」とカッピネン。「どうにも気になるんですが、お嬢さんがいなくなった後、村はどうなったんです。無事だったんですか?」

「気になるわよね。わたしもすごく気になってた。様子を見に行きたかった。村の人に見つかっても逃げる自信はあったけど、変な噂が立つといけないと思って近寄らずにずっと我慢してた。確かめたい気持ちが湧いては押さえつけての繰り返しを何度続けたことか。三十年近く経って、ついに成り行きを調べる決心を付けてプリエビトに入り込んだ。革細工の知識を生かして教会の傍の小物屋に臨時の手伝いで雇ってもらった。それで、教会で当時の資料を調べてみようと思った。村で人食いと呼んでいた狼人対応の記録をね。

 街で生活を始めて少ししてお店に彼、フランセルが現れた。普通に年を取って、いいおじさんというのかお父さんになってた。要件は買い物ではなく納品、村の製品の取引業務の担当を引き継いでいたようね。わたしが気が付いたように彼もすぐに気が付いた。それに動揺しているようにも見えた。消えた幼馴染そっくりの女が、その時の姿のそのままに現れたのだから無理もないでしょうね。わたしが普通のお客さんと同様に対応しているとフランセルが尋ねてきた。君はどこから来たのか。お母さんがニトラという村にいたことはないかと 。

 わたしはフランセルに店にも話した嘘の素性を聞かせて、その人と何かあったんですかと聞いてみた。彼は少しためらった後に、人食い騒ぎの顛末を話してくれた。わたしは昔、村であった人食い騒ぎの最後の犠牲者のそっくりなんだと。やって来た司祭様はわたしの失踪をさらわれたか、一連の騒ぎに恐怖しての行動と村の人達には告げていたみたい。そして、もしもの時の覚悟も必要とも言っていた。司祭様はわたしが狼人に変わってしまっていることへの覚悟を指してたとおもうけど、村では死んでいる場合の覚悟と受け止めてたようね。結局、山奥への捜索でもわたしを見つけることは出来ず、司祭様たちは引き上げて村を襲った悲劇の幕は降りた」

「ロサワってお人を変えた奴も見つからなかったんですか?」

「いろいろわかってからわたしなりに考えてみたんだけど、そいつはロサワさんを最初に襲った時に殺されていたんじゃないかと思うの。ロサワさんは錯乱状態で襲い掛かってきた人食いを止む終えず返り討ちにした。その際、手傷を負ってしまった。彼は人を殺めたことを打ち明けられず、混乱しているうちに大事になった。そんなところだと思う。あれは呪いが解けるとあっという間に死体も消える。だから、山狩りの頃には何もかも消滅していた」

「そいつが現れたは偶然だったんでしょうか?」

「意図して誰かが仲間を増やすつもりならロサワさんだけでは済まなかっただろうから、それで間違いなかったと思う。本人も何もわからず山を彷徨っていたんと思う。山の中には得体のしれないものがいろいろといるのよ。知らないだけでね」
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