第2話

文字数 3,129文字

 旧市街にあるバンス・ニール邸の玄関先に漆黒の動馬車が止められている。幌が畳まれた客車には木箱が二つ縛り付けられている。名士街とも呼ばれるこの住宅街では、もはや珍しくもなくなった光景だ。この馬車の持ち主は新市街にそびえる塔の主アクシール・ローズであることを辺りの住人の誰もが知っている。ニールの元に訪れたのは塔のメイドと呼ばれている狼人フレア・ランドールだ。彼女はニールの研究を手伝うローズとの間を頻繁に行き来している。最初は吸血鬼と付き合う変わり者とされていたニールも今やそんな感情はすっかり薄れてしまった。

 ニールは砂漠から持ち帰った戦利品の展示室と化している応接室で、フレアから手渡された紙束に目を通している。脇に置かれた木箱にはそれらの原本が入っている。大規模な砂嵐に巻き込まれた渡来人のゴトー達が、その最中に避難した遺跡で発見した書物だ。遺跡を守る精霊から託されたいう方が適切か。あの時の輸送機の故障の理由は今だはっきりしていないが、あれ以来ゴトー達は調査のため何度も遺跡を訪れている。

「助かるよ。申し分ない」とニール。口角が上がり、大きな笑顔を浮かべる。

「ありがとうございます」

「どうしても、魔導書などの解析が最優先となるからね。このような生活に密着した記録は後回しになってしまう。国としてはどうしても優先度はあちらが高くなってしまうにはわからないでもないが、残念なことだよ」ニールは紙束を指で示す。

「内容は近いうちに本としてまとめられ、調査報告の会でも発表されるだろう。ゴトーさんにもそのように伝えておいて欲しい」

「はい、わかりました」

 ニールの顔に浮かんでいた笑みが消え、目つきが引き締まる。一息飲むのが感じられた。

「突然で悪いんだが、明日の夜……ローズさんは御在宅だろうか」

「……はい」芝居にはつい先日行ったばかりだ。他の催しに出向く予定もないはずだ。「急な用事がなければおられると思います」

「内密に相談したいことがあってね。そちらに出向いてもいいだろうか」

「はい、ローズ様にお伝えしておきます。夜にはお返事は出来ると思います」

「そうしてもらえると助かるよ」



 陽が沈み、帝都は夕闇に包まれた。起き出してきたローズにフレアは今日の出来事を告げる。

「ニール先生がわたしに相談?何でしょうね」

「詳細はお会いしてからということですが、ご友人が何か面倒に巻き込まれて……」

 フレアはローズの背後で漆黒の髪に櫛を入れる。艶やかに輝く長い髪はローズの数少ない生者の頃の名残だ。ローズは不死者と分類されことを常々不満に思っている。人でなくなってしまったことは自覚しているが、一度も死んだ覚えはない。ただ、呪われているだけだと、呪いに囚われ、あの世に旅立つことが出来ないだけなのだ。

 以前、それが不死者なのだと諭されたが、やはり納得は出来なかった。

「その解決に協力して欲しいということかしら。内密に……」正面を向いたまま視線だけを背後へやる。

「そんなところだと思います」

 ローズは小さなため息をついた。 

「どうしたんですか?」

「どうも最近は誰もがわたしが何か忘れてしまっているようでね」

「ローズ様と言えば新市街の実力者で、お金持ちでお芝居好きで慈善事業に出資している」 これがとりあえずの模範解答である。

「吸血鬼なのよ」

「それは皆さんご存じですよ。それを承知で皆さん受け入れてらっしゃって」

「それはいいんだけど、街の何でも相談受付を始めた覚えはないんだけど……」

「たぶん皆さん、そうは見てないかもしれません。頼まれもしないのに事件を解決して回っているんですから」

「やっぱりそう見える?」

「はい、わたしも含めてそう見られてます」

「……ニール先生にお会いしますと連絡をして」

「はい」



 翌日、ポンテオは新聞記事の切り抜きを手にテベス報道社に向かった。ゆっくりとした起床と食事を経てから部屋を出たため報道社へと到着したのは昼前になった。服装はいつも通りウエストコートにクラバットだ。休みの日まで窮屈な思いをしたくはないが、報道社の所在は官庁街と繁華街の境あたりで、今回は謝礼もかかっている。先方に舐められないようにそれなりの格好で出向いた方がいいだろうと親方から助言を受けた。

 たしかにこの辺りはふらふらと遊びに来る場所ではないようだ。地味な砂色のウエストコートがよく周囲に馴染んでいる。

 テベス報道社はすぐに見つかった。現在地が表示された銘板が街路に面した建物にこまめに貼られているため、それに従い進めばよい。玄関口には簡素な看板と社章が描かれた小旗が掲げてあった。玄関先に立っていた警備員に要件を告げると入ってすぐにある受付で向かうように言われた。

 入口扉を抜け玄関広間へ、そこには窓はないが天井から下がるシャンデリアの灯火と壁のランプで暗さを感じることはない。目の前に見える受付へと進む。そこには二人の女性が並んでいる。向かって右側の女性がポンテオに反応を示したため、彼はそちらの受付嬢に足を向けた。

「こんにちは、タツヤ・ポンテオといいます。この広告の件でお伺いしたのですが」

 ポンテオは上着の内側の物入れから新聞の切り抜きを取り出し、女性の目の前に置いた。

「ポンテオ様ですね。少々お待ちください」

 女性は置かれた紙片に目を落とし、若干生返事気味の答えを返した。隣の女性も広告を覗き込む。広告に応じた者が報道社にやって来るのは珍しい事なのか。彼女らは少し戸惑ったようだが、すぐに通話機を使い上司へと問い合わせを始めた。

 ポンテオとしては珍しい事ではない。自分で呼んでおきながら部下への指示伝達が整っていない。よくあることだ。広告主がいるのはどこか。次に行くのは受付の左側にある扉の中か、それとも右側の階段の上か。

 右側の女性が会話を終え通話機を置いた。

「しばらくお待ちください」」受付嬢は軽く笑みを浮かべポンテオに告げた。

 そんな彼女の笑みが消えきらぬうちに右側の階段から駆け下りる足音が聞こえた。最後は何段か一度に飛び降りたに違いない大きな落下音だ。一拍間を置き昇降口から暗い灰色のウエストコートの男が出てきた。短めの金髪を後ろに撫でつけた中背の男だ。

「キンペイさん。こちらの方です」受付嬢が金髪の男にポンテオを手で示した。

「ようこそ、テベス報道社へ。タツヤ・ポンテオさんですね。お待ちしていました」

「こんにちは、よろしくお願いします」

 両者軽く頭を下げる。

「例の広告の件ですね。早速ですがあなたが本当にタツヤ・ポンテオさんであることを証明する書類などはお持ちでしょうか。失礼とは存じますが何分多額の金銭が絡んでまいります。ご了承ください」

「これでいいですか?」

 ポンテオはウエストコートの内側に手を入れ小物入れを取り出した。薄く手のひらほどの大きさで革製だ。 中には帝都発行の身分証と在留許可証が入っている。外国人のポンテオとしては携帯は欠かせない。

 キンペイは手渡された二通の書類に目を通し納得した様子でポンテオに返還した。

「ありがとうございます。すぐにでも要件に入りたいのですが、実は広告を出した方は別におりましてその代行を請け負っただけなのです」とキンペイ。

 元々広告というのはそんなものではないのか。

「こちらは窓口となっているだけなのです。ご手数かとは思いますが、こちらへお願いいたします」

 キンペイは懐から紙切れを取り出しポンテオに手渡した。 そこにここから少し離れた住宅街の住所が書かれていた。今日も相変わらずよく歩くことになりそうだ。
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