闇に潜むもの 第1話

文字数 4,180文字

 月明かりの中、新港埠頭から続く路地を足早に進む三人組。砂色の布包みを脇に抱えた男の前後を守るように歩調を合わせて駆け足で進む。広い通りから外れ、路地に漏れる明かりを避け逃れるように目的地へと向かう。
 やがて三人組は暗い空き店舗の裏口で足を止めた。先頭の男が扉を奇妙な拍子を付け数回叩いた。他の二人はしきりに辺りの様子を窺っている。ここはローズの数有る賃貸物件の一つである。借主は賃料を毎月支払っていはいるが、やっていることといえば開店休業の店を開けたり閉めたりを続けているだけである。
 彼らここを選んだのはここが無人であり、あまり近づきたがらない店舗であることを知っていたからある。その原因を作ったのは彼ら自身である。脅しや奇妙な噂を流し人を遠ざけている。
 ほどなく、扉が静かに開き三人組は素早く店内に滑り込んでいった。入ってすぐの厨房でランタン一つを点し仲間が二人待機していた。
 真ん中の男が埃が払われた調理台の上に布包みを静かに置く。
「あいつの言う通り割符を見せたら簡単に渡してくれたよ」
「ご苦労さん」
 答えた男が布包みの留め具を緩める。
「おい、大丈夫か」後ろからついて来ていた男の声。
「中身は確認しないとな。中身がガラクタじゃ何にもならないだろ」
「そりゃぁ、そうだが……」
「心配するな。すぐに元に戻す」
 砂色の布をほどき中身が顕わとなってきた。凝った飾り金具の付いた分厚い本である。
「どういうことだ。間違えたか」
 伝え聞いていたのは高価な金細工である。首飾りとイヤリング、もちろんの彼らもそれらが裸で布に包まれているなど思わない。そのため手渡されたのは専用の収納箱に入った金細工だと思い込んでいた。
「そんなはずは……」
 念のため本物の本であることを確かめるため調理台の上で表紙を捲ってみた。何かを隠すために分厚い本の中をくり抜き、そこを隠し場所に使うという話は聞いたことがある。やはり普通に本だった。やたらに硬く丈夫な紙に奇妙な図形や古めかし文字の羅列が記されている。
落乱と共に本を閉じたとき時、表紙に張り付いていた縦長の紙切れが剥がれて脇に落ちた。古びた紙の上に複雑な文様が描かれている。男の一人がそれを片手で追うが、紙切れは踊るように舞い男の手をすり抜け床へと落ちた。顔をしかめ、それを拾い上げに向かうが、一歩足を踏み出したところで体が動かなくなってしまった。驚きの声一つも上げることができない。動かなくなった視線の隅で男が最後に見たのは豪華な装丁の本が紫の靄を吐き出す様だった。

 塔からの使いであるフレア・ランドールとの集金の立ち合いは毎度緊張を強いられるが、今日のパーシー・カッピネンは他にも苛立つ案件を抱えていた。さっさと済ませてしまいたい気持ちを極限まで抑え込み平静を装っている。今日は金を少々多い目に渡してでも帰ってもらいたい気分なのだ。しかし、それは通用しない。彼女の後ろにいる姐さんアクシール・ローズには誠実さが最も重んじられる。誠実なやくざ者、これについて考えるとカッピネンはいつも笑いが込み上げてくる。
 帳簿の照会が終わり金銭の計数へ、カッピネン配下の二人によって枚数を確認された紙幣は束にまとめられ、今は硬貨類の計数となっている。板に掘られた丸い溝に硬貨を詰めていく。溝一つに百枚が収まり、埋められた数で簡単に金額がわかる仕組みだ。板前面には溝が二十掘られている。
「カッピネンさん、今日は落ち着かないようだけど……」
 フレアが硬貨の計数板から目を離すことなく声を発した。フレアの問いかけに室内での動きがすべて止まる。
「それは……」
 その場に居合わせた全員が息を止める。フレアがローズのように人の意識を読めなくとも感がよいのはカッピネンも心得ている。それで目下の懸案事項を無難な辺りまで話すことにした。後で、二、三質問に答えれば納得してもらえる確信はある。
「お嬢さんのことは信用していますが、これからの話は他言無用でお願いします」カッピネンは周りの部下に視線を向けた。全員が軽くうなずく。
 カッピネンは手下たちにも箝口令の確認をした後言葉を続けた。
「実は船荷を一つ持ち逃げされて頭にきてんですよ。うちの船を使って運んできた特別な荷物を横からかっさらっていった奴がいるんです」
「禁制品じゃないわよね?」
「あぁ、少なくとも、姐さんや特化、白服の旦那方が興味を持つもんじゃありません。宝飾品です。いるんですよ、重い金の塊をたんまりと買えるくせにその税金は払いたくねぇってやつが、まぁそのおかげで俺たちはもう受かるんですが、今回は一杯食わされたのかもしれません」
「どういうこと?」
「俺たちが受け取りに行く前に割符を使ってだまし取られてしまいました」
「面倒なことになってようね」
  フレアはそれ以上言及することはなかったが帰りがけに「扉の向こうにいる人がさっきの件にあったとしても、今回はそれぐらいにしておいてあげなさい。もし動かなくなったらさらに面倒になるわ」との言葉を残し去っていった。
 フレアが部屋から出ていくとカッピネンは背後の扉を開けた。血やら何やらの匂いも漏れていたようだ。狼人相手では誤魔化しようもない。部屋の中では頭と口から血が流し、顔をあざだらけにした男が床にうずくまっていた。 その背後で大柄の男がカッピネンからの次の指示を待っている。
「よかったな。今日はお嬢さんに免じて許してやるよ。さっさと荷物をまとめて街から出ていけ。次に顔を見るようなことがあったら運河の底に行ってもらうからな」それだけ言うとカッピネンは男の背に最後の蹴りを入れた。
「表に叩きだしとけ」
 傍に控えていた二人が男を無理やりに立たせ外へと引きずり出していった。カッピネンは男の後ろ姿を見て、今一度尻を蹴飛ばしてやりたい衝動にかられたがやめておいた。今は奴が引き起こした騒ぎの成り行きを把握することの方がよほど重要である。街の要所に人を出してはいるが、奴が小遣い代わりに割符を渡したかっぱらい共の所在は掴めていないのだ。
 意識を集中し目標に呼びかける。
「もうすぐ到着します」間髪入れずマルコの声が帰ってきた。
 
 カッピネン配下のマルコと他三人は指示された住所の裏口に到着した。辺りを確かめ戸口へと近づく。全員で扉脇に張り付きミッコに開錠を任せるが、扉は既に開いていた。マルコは思わず悪態をついた。この建物は鍵が開いたままでよい場所ではないのだ。かっぱらいが待合代わりに使っていい場所ではない。
「裏口が開いています」それを告げるだけでカッピネンからの鋭い苛立ちが脳髄に突き刺さってきた。ミッコも感じたようで顔をしかめ彼に視線を送った。
「中の様子を教えてくれ」
「了解です」
 ミッコが扉を開きマルコを先頭に店舗へ突入していく。人気のない厨房で持ち込んだランタンの灯を頼りに散開し各自発見したものを報告していく。
「火の消えたランタン」
「煙草の灰、手巻きの吸い殻が二本。何だ。鳥の骨、汚ねぇな、食べかすか」
「調理台の上に砂色の風呂敷が敷いてあります。近くに止め金具」
「それ、遮魔布ですよ。床に護符が落ちてます」
 彼はアリアスと名乗っている若い男。最近街に現れ組織へと入った。アリアスは護符をランタンの傍に置いた。ミッコが軽く腰を引き傍にいたヘンリクにぶつかった。
「大丈夫ですよ。もうただの紙切れです」
「脅かしやがって」
 ミッコが舌打ちをし、笑いが起きる。
「おい、俺たちが盗まれたのは金細工じゃなかったか。なら何でそんなもんがそこに置いてある」 カッピネンの声が頭蓋に響く。
 全員の声が止まった。困惑が静かに膨れ上がる。
「包みと金具、護符それがあって中身はどうした。そんな物何に使うか考えてみろ。どこに行った。俺たちが運んできたのは何だったんだ」
「もう、街の外に出てるんじゃないですか」
 アリアスの軽口にマルコが頭をはたく。
「それなら泣くだけでいいが、もしそれが原因でまた串刺し魔の時のような騒ぎが起こったらただじゃ済まんぞ」
「何です。串刺し魔って」
「少し前に出た殺人鬼だよ。そいつのために街中白服に絡まれてえらいことになったんだ」
 串刺し魔による一連の騒ぎ自体はローズが治め、帝都に捕らえられたのは全員外部の者だったため事なきを得たが、東の顔役たちはフレアにより改めてローズからの通達を受けることになった。
「魔器ってのはおっかねぇんだ。用心して他の場所も見てくれ」
 カッピネンの声に全員が応じる。
 厨房を出て客席側へ足を向ける。マルコは軽くため息をついた。苛立ちが込み上げてくる。カウンターの奥に設置された地下へと向かう隠し扉が開いたままとなっている。
「どうした。何があった?」カッピネンの声が頭蓋内に響く。
 声を発する前に感情の方が先にカッピネンに流れてしまったようだ。
「地下への扉が開いたままになってます」
「それなら下も見てくれ」舌打ちが聞こえる。「気を付けて行けよ」
「了解」
 マルコが答え、他の三人に目をやる。三人が静かにうなずく。扉の下側には壁に貼り付けてあるだけに見える木製の階段、踏板の足を下ろす度に微妙な振動が伝わって来る。実際この階段は有事の際は地下と上階を分断するためしっかりと固定されてはいない。
 地下室の広さは上階である客室とほぼ同じである。内装も上階と同様の壁材、床材が張り付けられている。部屋の中央には古びた木箱とガラクタが埃塗れで放置されている。これらの狙いはここが出発点ではなく終着点であると誤解させること。カウンター内の隠し扉の向こうで発見されるのは、今は使用されていない地下室であり、ガラクタを片付けたところで何もないと事を見せつけることにある。
 しかし、それは床として偽装された扉が閉じられていてこその話である。
「こっちも開いたままです。まったく何を考えてやがんのか」
「そこは閉めて一度上に戻れ、応援をやる。それまで待ってろ」
「了解です」
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