容疑者アクシール・ローズ 第1話

文字数 4,362文字

 早朝の火災現場からの急報により、特化隊士デヴィット・ビンチとニッキー・フィックスは火災により焼け落ちた倉庫へと向かった。倉庫は一部外壁と柱を残し消し炭となっている。屋根は崩壊、屋内は黒い炭の山がいくつもできている。そして、消火に使用した水の勢いは凄まじかったらしく、炭の多くが路上まで流れ出し、周囲の倉庫の外壁には高潮を思わせる水の跡が残っている。
 これだけの火災に関わらず、周囲の倉庫は火の粉一つ被害を受けずにすんだらしい。今は水の被害の確認するため倉庫の関係者が駆け回っている。
「おいおい、あんた達。見世物じゃないんだ。他へ行ってくれるか」
 現場を眺める二人に青い兜と革コートの防災警備隊士が声をかけてきた。現場にそぐわない派手な身なりと橙色のターバンを巻いた砂漠帰りを思わせる二人連れである。現場隊士が不審を抱いても無理はない。いつものことである。彼らは騎士団と名が付けば、皆光る鎧や美麗な制服の騎士が現れると思っているのだ。ビンチとフィックスにも制服は支給されているが、隊でそれを常時身に着けているのは隊長のオ・ウィンと副官のエヴリーぐらいである。
 ビンチとフィックスは隊士にそれぞれの身分証を提示し、現場責任者への面会を要請した。
「ご苦労様です。お待ちしておりました」
 小隊長でラニアンと名乗る女性には目に見える反応はなかった。身分証の提示だけで済む手間のかからないタイプである。
「火事が起きたのは昨夜一刻頃と思われます。女性の声で倉庫から火の手が上がっていると通報がありました。こちらが到着した頃には既に鎮火し、現場は水浸しとなっていました。誰かが大量の水を使用して消火したようですが、付近の消火設備が使用された形跡はありません。元より設備を使用したところでこのような状態にはなりえません」
「魔法が使われた?海から取り寄せるとかして」
「そうだとは思いますが、量が桁違いです。うちの隊の魔導士を総動員してやっとのことでしょう。並みの使い手とは思えません」
「それでうちに応援要請を?」
「それもありますが、夜中にこのような火の気の無い場所での火災でした。そのため放火を念頭に入れて捜索を始めたところ、これが発見されました」
 ラニアンはコートの物入れから大きくはみ出している布袋を引っ張り出し二人に示した。彼女が袋から取り出したのはカジェルと呼ばれている小さな片手杖。表面は黒く染め上げられ球状になった先端には緋色の魔紋が描かれている。
 不思議なことに杖は焦げ跡一つついていない。
「これが現場から?」とフィックス。顔をしかめるビンチ。
「はい、鎮火の後、現場の捜索中に発見しました。それであなた方に連絡を入れた次第です。これは焼けた部材の下から発見されました。何者かが後で置いていくことは不可能です」
「それはこちらで預からせて頂いていいですか」
「はい、この件はお任せします」
 面倒事はお任せください魔導騎士団特化隊。このような広告を出した覚えはないのだが、彼らのは面倒事が舞い込んでくる。

 押し付けられた、ではなく預かったカジェルの正体を探るため、二人は魔導士隊の工房へと足を向けた。煩雑な申し入れの手間と待ち時間に今からうんざりしていたが、部下と話す主任分析官の姿を目にして笑みを浮かべた。少しは手間が省くことができる。
 執務室ではなく工房に居合わせた主任分析官のナナ・ケリーはつまらなそうにフィックスから渡されたカジェルを眺めている。
「これが火事の現場に?」
「はい、炭になった部材の下から見つかりました」
 工房でお揃いの白装束を纏った分析官の冷めた瞳に若干輝き生じた。
「これは面白い。それで丸焦げの死体とかは見つからなかった?」
「いいえ、倉庫は無人でした。おかげで焼けたのは火元の倉庫とその中身のみ人的被害は無しです」
「うまく逃げたのね。これが呪具であることはあなた達でもわかるわよね。こういうものは魔法を詰めた手投げ爆弾って存在で、昔は誰でも簡単に魔法をと考えられた時期があってね。まぁ百年以上前の話だけど、でも誤操作や発動した魔法に使用者自身が巻き込まれることが絶えなくて廃れたわ。結局、魔法は魔導士でという事よ」
 分析官は一時言葉を止め、二人の男が講義を飽きずに聞いているか確かめた。そして、再び視線をカジェルへと戻す。
「これに込められていたのは火焔林、知ってるとは思うけど文字通り多数の火柱を発生させる魔法よ。もう力は消えているけど、よくそれだけの被害で済んだわね、警備隊も大したものね」
「聞いたところによると、火事は防災警備隊が到着するまでに鎮火していたようです。誰かが海の水を呼び寄せるなどして水を取り寄せ、それで杖の力を抑え込んでいたようです。おかげで延焼は免れましたが、今は水の後始末で大忙しのようです」
「誰か知らないけど、これを抑え込むなんて大したものね」分析官の口元に笑みが浮かぶ。「これを作ったのはアクシール・ローズよ。ほら、ここに署名があるわ」
 球形をした先端部の飾り文様の一列を分析官が指さした。 二人はそれを見て頷くが、角ばった文様にしか見えないことは黙っておいた。
「偽物という可能性はありませんか?」ビンチが聞く。
「それはないわ。ここから先は人が描くわけじゃない」分析官は杖の先端部で指を回す。「詠唱した魔法を込めることにより浮かび上がるの、本人に紐付けられた名も同じこと。手書きでそっくりな物を作ることはできても、だませるのは素人だけ、これは力を失った本物だわ。今わたしから言えるのはこれぐらいね。詳しいことがわかれば隊長の所にあげておくわ」彼女はカジェルを元の布袋に納め、傍にいた部下に手渡した。会見はこれで終了ということである。
「よろしくお願いします」
 フィックスが部下から渡された書類に必要事項を書き込む頃には彼女は姿を消していた。
「ローズならこんな物使わずに、誰かを操って普通に火を付けさせるよな。それもあの女に火事を起こす理由があるならの話だ」とビンチ。
「俺もそう思うが、それなら誰が使った。それで誰が火を消し止めた」
「ローズの自作自演……余計にありそうにないな」
「だよな」
「だが、これを作ったのがあの女なら話を聞きに行く必要はある」
「俺は外でエールを飲みながら待っててもいいか」

 アクシール・ローズの機嫌は時を経るにつれ悪くなっていった。
「芝居は明日にしてくれ。今日は俺たちと一緒にいてもらう」
 ビンチのこの一言でローズの今夜の予定はすべて消し飛んだ。地下と最上階を開放し、帝都による臨時査察の立ち会いはフレアに任せ、ローズは一階の広間でビンチとフィックスの対応に当たっている。
 フレアは今最上階で厳めしい査察に立ち会っているはずが、ローズのイヤリングから聞こえてくるのはどこか和やかな会話ばかりで、実に楽しそうに感じられる。それが狼人としての力を発揮してのことか本当に楽しんでいるのか、声だけではローズであっても判断はできない。
 何かを探しだそうとして二人を引き離しているのは会話から、そして彼らの重厚な魔防装備の上からでもローズは読むことはできた。
 いつもは派手なゴロツキと変わらない二人が、部隊支給の黒で揃いのお仕着せ姿。何か特別な要件があるのは前の居酒屋に毎晩のように通う大工のロバートでも想像がつくだろう。
「昨夜、旧市街の倉庫で火事が起こったのは知っているか?」
 ローズは今日の新聞に小さな記事が載っていたのを思い起こした。倉庫が一棟焼失、他には延焼も怪我人もなし。それ以外は記憶にない。
「それをわたしと関連付けるならまるで見当違いよ。昨日は外にも出てない。馬車も出してないわ。近所の人たちに聞いてごらんなさい」
「それなら聞いたよ。昨日は夕暮れ前にフレアが帰った後は誰も出てきていない。店の前を馬車が通るのも見ていない」
「それじゃ何が問題なの?」
「火事の現場からこれが見つかってね」
 ビンチは派手な文様の付いたカジェルを布袋から取り出し、そっとテーブルの上に置いた。
「あんたが作った物だろ?柄が少し欠けてるのは分析のため試料を削り取ったからだ」
「調べるまでもないわ」眉をひそめるのに合わせて黒眼鏡が動く。「ここに来る前にわたしが作った物よ。二十本作ったうちの売れ残りね」カジェルをのぞき込むローズは色の薄い唇を歪めた。黒眼鏡の下も同様に違いない。
「ここ、帝都に来る前、二百年前か?」とフィックス。
「もっと昔……、エル・コンデライトを出た後だから二百七十年ってところかしら」
「詳しく聞かせてもらおうか」
「いいわ、お聞きなさい。あの頃は誰でも簡単に魔法をって考えが出始めた時でわたしもそれに乗ってみたわけよ」
「火焔林でか?」ビンチは半ば呆れ加減で尋ねた。
「あれはわたしも馬鹿だったわ。売れたのは火球と火炎樹だけ火焔林はまるで売れなかった」
「それがどうして今帝都にある?」
「それを調べるのはあなた達でしょ。あの時は軍との契約も取れて、商売も軌道に乗ってきたというのに正体がばれて、街を出ざるを得なくなった。工房内の持ち物は置いていくしかなかったわ。ばらしたのはあいつらに違いない。わたしを煙たそうに見てたから」
「あんたがどう見られようとこっちはしったこっちゃない。あんたはそれを置いてその街から逃げ出したんだな。売れ残りは何本だ?」
「五本ね」
「面倒だな。後四本はどこにある?」
「知るわけないでしょ。二百年以上前の話よ。取りあえず、木箱に一纏めにはしてあったわ」
「知らないといってもな、今どれだけ危険な状態かわかってるのか。最悪後四回の放火の危険があるんだぞ」
「わかるけど、今更それを責められてもどうしようもないわ。当時は置いて行くしかなかったんだから」
「今更じゃないんだ。俺たちは今、過去のあんたのおかげで面倒に巻き込まれてんだよ。昨夜、あれだけで済んだのはただの幸運なんだ。次はどうなるかわからん。都合よく助っ人が現れるなんてない」
「あなた達、警備隊で消し止めたんじゃないの?」
 その問いにビンチは一瞬黙り込んだ。それを目にしてフィックスが軽く肩をはたく。まだ公にする気のない情報だったようだ。「まぁ、いい。あんたほんとに火事のことは知らないようだな」フィックスは軽くため息をついた。
「だから、言ったでしょ。昨日は出てないって。旧市街のことなんて知るもんですか」 
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