第2話

文字数 3,851文字

 ローズとしてはヴァルヤたちの相談の概要は既に掴んでいたが、本人達に話させることで詳細まで把握しやすくなる。心中に抱いている感情も発露しやすくなる。今、危機に陥っているのはポルティーとカッコの共通の友人であり、ヴァルヤの思い人でもあるマルコ・パシコルスキーである。

 ポルティーとパシコルスキーは西方、北方からヴァルヤは帝都が地元、カッコはオキシデンからやって来た。出身、身分の違いはあれど男三人は意気投合しヴァルヤとパシコルスキーは恋に落ちた。

「ここ何年か、みんな頑張ってきました」ヴァルヤはフレアが出した茶のカップを両手で包み話し始めた。「最近やっと名前を紹介してもらえるような役をもらえるようになりました。マルコは大役に挑戦し選考の結果、役を取ることができました。主役ではないにしても重要な役でタルヴィ・ウエの「冴える夕闇」のエイハヴ役です」

「それはおめでとうございます。エイハヴは重々しい鬼人で悪役ではありますが続編の「夢の印」との間を繋ぐ重要な架け橋でもあります。エイハヴ役に抜擢されたのなら若いながらも演技を認められた証拠です」

「ありがとうございます、ご存じなんですね」 ヴァルヤは微笑み、頬を赤らめる。

「えぇ、再演の度に見に行っています。エイハヴについてはどのような配役がなされるか毎回楽しみにしています。エイハヴは若く力のある役者が当てられます。毎回の関心事となっているのです」

「わたしもトミーからその話を聞き、マルコの気持ちがよくわかりました。彼としてはあのお芝居で主役を取るよりうれしかったようです」ヴァルヤは息をつき間を置いた。話はいよいよ前置きを抜ける。「それで、お祝いにみんなで飲みに行きました。場は盛り上がりました。彼は酔いつぶれるほどではありませんでした。何もおかしなところはなかったのに……それが……」

 ヴァルヤは言葉を詰まらせた。翌日からの出来事に伴う感情が蘇った来たようだ。悲しみや不安で意識が満たされ次の言葉が紡げない。ローズとしては事の顛末は既に読み取れているが,それは告げずただ待つことにした。

 やがて、ポルティーが言葉を継いだ。

「マルコも酔ってはいたけどあの時は一番しっかりしていたかな。馬車を捉まえてみんなを家まで送ってくれた。それなのにあいつは翌日芝居の稽古に出てこなかった。あいつが休むなんてない事なんで下宿屋に様子を見に行ってみると、服を着替えもせずに寝台で寝ていました。倒れていたが正しいですね。その場でいろいろやって起こそうとしたんですが起きません。眠ったままでした。それから今まで眠ったままです。あいつはあの夜以来寝たきりになっているんです」

「マルコさんは今どこに?」

「今は正教徒第一病院でお世話になっています。お医者様によると怪我や病気などは見られず、眠り続ける原因は見つからない、見つけられないとのことです」とヴァルヤ。

「今のところ、命に差し障りはないとのことなのですが……」

「心配なのはわかりますが、お医者様に任せるのが無難ですよ」

「そのようですね。でも、あの時は何かせずにいられなくて無駄に考えを巡らせていました。それで思い出したのが呪いで長い間眠ったままになっていたお姫様のお話です。これだと思ってトミーとトニーに話して調べるのを手伝ってもらったんですが……」

「見つかったのはおとぎ話か、あてにならないおまじないばかりで……」ポルティーがため息をついた。

「それで思い余って魔導書を調べようという話になったのですね」

「はい」三人が頷く。

「成り行きとしてはわからなくもないですね。魔法というのはとても危険な存在なのです。図書館があの状態なのは帝国の魔法に対する慎重姿勢の現れです。帝国は基本的に魔法を何人にも開放していません。学ぶには魔法院へ入るのみ、扱うには許可に次ぐ許可が必要です。破ればその筋の管理官が飛んできます。あまりに閉鎖的で危険周知がおろそかになっている気もしますが、それが帝国の方針です」

 ローズは言葉を止め三人の様子を伺った。もう十分に今夜の行為の反省は出来ているようだ。それなら話をもう一段進めてよいだろう。

「あなた達がもう今夜のような行為に及ばないと約束してくださるなら、わたしもマルコさんの元に赴き、何かお手伝いすることができるか探ってみたいと思いますが、それでいいでしょうか」

「はい、お願いします」

 ヴァルヤは満面の笑みを浮かべた。彼らはもう危ない考えに及ぶことはないだろう。ローズとしても重要な鬼人の役を射止めるような若者を眠らせたままにしておきたくはない。



 翌朝、フレアが正教徒第一病院に問い合わせてみると、間違いなくマルコ・パシコルスキーなる青年は確かに入院していた。入院時、友人の役者と舞台関係者に付き添われ運ばれてきた。北方―大モラヴィア王国―の家族とは連格が取れないためヴァルヤ達と劇団の座長が身元を引き受けている。

 容態は三人から聞いた通り、怪我などの不具合が見つからないにも関わらず入院以来眠り続けているという。体調面では今のところ問題はない。彼らが懸念を抱いていた呪いについても考慮にいれられ、魔法医の招聘も今後の予定に入っている。

 今夜はポルティーが短い間ではあるが、見舞いに行くということなので二人で同行することにした。フレアは表の車止めでポルティーと合流しパシコルスキーの病室へ赴くつもりだ。

 ここ三十年近く病院に出入りしているフレアも病棟に入ることはあまりない。ローズとしては病院ができてから初めてのことである。彼女が裏から大量の現金をつぎ込んでいるといっても正教徒向けの病院である。正教会の教えにより食人を止めたとの触れ込みのフレアはともかく、吸血鬼を表だって招き入れるわけにはいかない。ローズもそれは心得ており、正教会とは―表向きは―無断でお金出す以外のことはしないことにしている。

 さほど待つこともなくトニー・ポルティーは貸馬車で姿を現した。車止めに降り立ちフレアを発見したポルティーは真っすぐ彼女の元へやって来た。

「こんばんは、フレアさん!」ポルティーは軽く片手をあげた。

「こんばんは、トニーさん」

「ローズさんはどこに……」

「ローズ様は病室に直接向かわれるそうです。吸血鬼が正教会の建物に表から入るわけにいかないそうです」

「あぁ……そういうことですか」

 ローズの仮面の下の素顔を見ることのない一般人の多くは、彼女のことを変わり者のお金持ち程度にしか認識していない。東端の住民も大親分として恐れてはいるが、彼らの中でも吸血鬼としての認識は薄れている。

「それじゃ、マルコさんの部屋までお願いできますか」

 パシコルスキーの病室の場所は既に聞いているが案内はポルティーに任せるのが無難だろう。

「えぇ、部屋は三階にあります。ついて来てください」

 パシコルスキーの病室は三階の二人部屋に一人でいた。三階の看護師詰め所に挨拶をした後部屋へと向かう。病室は寝台が二つと見舞客のための椅子や物入れが置いてあるだけの簡素な部屋である。パシコルスキーは暗い病室の寝台で穏やかに眠りについていた。フレアは部屋の様子を窺ったが何かが潜んでいる気配はない。二つあるランプを点すと部屋は明るくなり、パシコルスキーの寝顔の詳細が見て取れた。感情が抜けてよくできた人形のように見える。

 部屋の窓が開き、外のローズが姿を現した。上空から降りてきた彼女は窓から病室へと入ってきた。窓は出入り口として作られていないため長身の体には窮屈だが、それでも浮かぶことができるため無様に転がり込むことは免れた。

「こんばんは、トニーさん」

「こんばんは、ローズさん。本当に窓から入って来るんですね」

 ポルティーの興奮が伝わってきた。彼の知る吸血鬼は―物語や脚本に限られるが―皆窓から忍び込んでくることが多いようだ。それを目の当たりにし興奮をしている。

「普通に戸口から入って来ると思いますよ。今回は吸血鬼がこの格好で正教会の建物内をうろつくのも何ですから、窓からお邪魔しました」

「そうなんですか」多少がっかりしたようだ。

「ですが、お芝居の演出としてはそれでよいと思います。突然開け放たれた窓の向こうに浮かぶ侵入者という図は観客に衝撃を与えることができるでしょう」

「なるほど演出の問題、そうですよね」

 ポルティーが納得したところでローズは室内の様子を眺めた。不審な気配は感じられない。迷う精霊もここには居ないようだ。眠るパシコルスキーの肩に手を当てる。体内にも何も潜んでいない。ただ、自分の中に閉じこもり眠り込んでいる。

「この部屋には何もいません。恐らく清浄といってよいでしょう。彼の体にも何も憑りついてはいません」

「では、やはり病気なのですか……?」

「病気についてはわたしにはわかりません。何者かに操られ眠りに落ちたのなら、わたしでも起こすこともできるでしょう。ですが無理をするのは危険です。何があったか彼に問いかけることが得策でしょう」

「そんなことができるんですか?」

「えぇ、ローズ様にかかれば人の意識を読むことなど何の造作も……」ローズが軽く手を上げ遮った。「今回はそう簡単にいかない。フレア、わたしが彼の話を聞いている間この体の見張りをお願いね」

「見張りってローズ様どこに行くつもりですか?」

「彼の中、そこで話を聞いてくるわ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み