第3話

文字数 6,895文字

 夕食が迫ったことを告げる銅鑼の音がコムン城塞居館の二階で鳴り響いた。次の銅鑼で事前にカシロに教えられた広間に身繕いを整えた後集合となっている。夕食のため当然正装である。
 ニコライの部屋ではフレアが彼の身だしなみを整えている。クラバットの形を整え、ウエストコートの襟や裾を確認し、埃や糸くずなどの有無を確かめる。
「さすがに慣れてるな」ニコライも慣れたものでフレアにされるがままである。「ローズ殿のご教授の賜物かな」
「それもありますが、それ以前から似たようなことはやっていました。この容姿だと隠れているより人に紛れている方が楽なんです。暗い山中に若い女なんて違和感程度ですまないと思いませんか」  
「確かにそうだ。屈強な男ならともかく君のような姿だと、たちまち捜索隊が出そうだ。脅威という意味ではなく、保護のために」
「だから、目立たないためにもいろいろと覚えました」
「それが生きるための努力ということか、今の生活はどうなんだろうか?」
「楽ですね。気を遣うことが減るのは助かります」
 何らかの物音を感じ、周囲を見回す。次に音がしてそちらに目をやると窓を覆う虫よけ網に体当たりをする甲虫の姿があった。周囲より明るい光を求めて何度も甲虫は網に向かい突撃を繰り返す。しかし、さっきの音は虫などではない。
「何かあったか?」
 フレアの急な目つきの変化にニコライが目を止めた。彼の声に反応し瞬時に少女へと戻る。
「かなり微弱ですが、音なのか気配なのか感じました」
 正確には獲物が静かに倒れる気配に近いがそこまでは言わずにおいた。
「場所はわかるか?」
「はい、おそらくこの階の反対側です」
「様子を見に行こう」
 静かに扉を開け廊下へ出る。左右を確認すると広間の向こう側の部屋の前に人影があった。
 正装したヒルスであることがすぐにわかった。
「ヒルス!」
 ニコライは友人に呼びかけ駆け寄った。それをフレアが人並みの速さで追いかける。
「お前も何か聞いたのか。ここは誰の部屋だ」 ニコライが呼びかける。
「あぁ、カシロの部屋だ」
 ニコライは目の前の扉を軽く二回ノックした。少し待つが反応はない。 ニコライが部屋のドアノブに手を伸ばしかけた解き、階段から靴音が聞こえてきた。
「皆さん、お早いですね」音の主は階段を上ってきたのはロビンスだった。彼も野良着では正装を身に着けている。
「お食事ならこちらですよ」
 三人が集まっている隣の部屋の扉を手で示した。
「もう、食事の時間か?」
 ロビンスの声を聞きつけたマルデリンが部屋から顔を出した。集まっている友人たちを見渡した後ニコライ達に向かって歩きだした。
「妙な物音を聞いたんだ」とニコライ。「ロビンス、悪いがカシロを呼んでくれないか」
「はい」ロビンスが頷き軽く扉を二回叩く。「カシロ様、お友達の方々がお待ちですよ」
「なんだ。うるさいな」とニコライは面倒くさそうに顔を出すカシロの姿を期待していたのだが、それはなく扉の向こう側は沈黙したままだ。
 ニコライはドアノブに手を掛け軽く回してみた。鍵は掛かっておらず扉は簡単に開くことができた。部屋はカシロの自室だけあって家具や私物が持ち込まれ若干窮屈に思われた。窓にも他とは違うカーテンが掛けられているが、その下に仰向けでカシロが倒れていた。
 フレアは手加減せずにカシロの元に近づいた。そして、彼の首元に手を当て、顔を口に近づけ息の有無を確かめた。後頭部なども触ってみる。
「ご心配なく、息はあるようです」 とフレア。
「そう言っても油断はできないぞ。ロビンス、医者を呼んできてくれ。念のため警備隊にも声をかけてくれ」
「おい、警備隊とはどういうことだ。ニコライ」とマルデリン。
「カシロが突然倒れるような病気を持っているとは聞いてないぞ。そうだろ」
「あぁ……」
「それにあいつが倒れている辺りの絨毯を見てみろ」
 ニコライの指差す絨毯には争ったような擦れ跡が付いている。
「他に誰かがいたようだ」
「誰だ。何の目的で」
「どなたか、カシロ様の介抱のお手伝いをお願いします」
 フレアの言葉で会話は中断となった。ロビンスはすぐに部屋を出て手配へと向かった。ニコライとマルデリンは彼の窮屈な喉元や腰を緩め、ヒルスはカシロの寝台から体温確保のために毛布などを引きはがす。
「フレア、君はどんな具合だと見る」
「経験的な観点で見るとそう簡単にお亡くなりになる状態ではないと思われます。体力も十分おありでしょうし」
「フレア、君は何者なんだ」傍にいたマルデリンが尋ねた。
「あぁ、彼女は新市街の病院へ手伝いにも出ているんだ。俺たちより人の扱いはよほど慣れているよ」
「そうか、それは心強い」
 マルデリンはニコライの言葉に納得した。

 カシロは使用人達に託され他の者は談話室へと移動した。ロビンスの手配により近隣の集落から医師が呼ばれ、今診察に当たっている。その先に駐在する警備隊への通報のため人はやっているがそちらはまだ時間がかかるだろうという話だ。帝都の管轄下であっても広い原野の中でぽつぽつと集落が点在する地域とあって高価な通信機はまだ普及はしていない。最速でも馬となってしまうのだ。
 ニコライ達もすぐさま城塞の周辺、隣接の農地辺りまで見回りに出た人気は皆無だった。使用人達も不審者の出入りはないということだったが、農園での収穫のための臨時雇いなどもいるため、その中に紛れ込まれては見分けはつかないとの話だった。ここは城主の居館であると同時に彼らの拠点でもあるのだ。
「ニコライ、お前はカシロが何者かに襲われた思っているのか?」マルデリンが尋ねた。
「あれだよ。例の書きつけだ。「誰が駒鳥を殺したのか」お前たちも知っているだろ」
 この問いにフレア以外の男二人が頷いた。
「駒鳥が誰を指すかわかるだろ」
「タマリだ。あの勇ましい男が小鳥の紋章を付けていた。忘れるはずもない」
「それがカシロに送られたんだよな」
「そうだ。本人は誰かのつまらない嫌がらせだろうといっていた。実際あいつを妬んでいた奴は少なからずいたからな。あいつは勝手に言わせておけといっていた」
「お前もそれでいいと思っていたのか」
「ニコライ様、今はそれを言っても始まりません」フレアがニコライを諭す。「わたしは今回の件は憎しみや妬みに端を発するものではないように思います。不幸な行き違いなどが生んだ悲劇ではないのかと」
「どういうことだ」とマルデリン。
「犯人にはカシロ様に強い害意はなかった。その場を去ってしまったのはよくありませんが、事故に近い出来事なのかもしれません」
「なぜ、それがわかるんだね」
「カシロ様はかなりお強い方ですよね」
「そうだ」ニコライが答えた。
「そういう方が遅れを取るとしたら、何か理由があるはずです。忍び込んでの不意打ちならあの場所であの倒れ方はないでしょう。出来事はカシロ様が犯人を招き入れてから起きた。それから何らかの諍いが起きた。それでもカシロ様は手控えていた。お相手に手傷を負わせたくなかったから。絨毯の擦れた後はそれを物語っています。そのうちのカシロ様は転倒し、その際頭を打ったのでしょう。
 犯人に害意はなかったと思われるのはそのまま去った点です。倒れているカシロ様ならどうにでもできたでしょうが、あえてしなかった。犯人はむしろ起きてしまった出来事に驚き、鍵も閉めることなく出ていったのでしょう」
「となると、犯人は思ったより身近にいるということか」
「はい、無理なく城塞に出入りができて、カシロ様が招き入れるような方です」 とフレア。
 マルデリンは息をのんだ。
「ヒルス様はわたしたちより先にカシロ様の部屋に前におられたようですが、何か目撃されてはいませんか?」
「それは……」
 談話室の扉をノックする音の後、ロビンスの名乗りが続き扉が静かに開いた。明らかに困惑している使用人頭の顔に一同は警戒しつつ彼の言葉を待った。
「皆様にお知らせをいたします。カシロ様のご容態ですが、ケイシー先生のお見立てでは大事はないようです」
「それなら、あとは目を覚ますのを待つだけだな」ニコラスが安堵の息をつく。
「あぁ、一度目は覚まされたのですが……、混乱されたご様子でまだ落ち着かぬお身体でこちらに来ると言って聞かぬもので、先生の手で眠らせて頂きました」
「混乱とはどのような?」
「顔は見えなかった、俺はもう誰も失いたくないとしきりに申されて暴れられて、まるで悪夢から抜け切れていないようでした。今はお薬で穏やかにお休みです。では、これで失礼いたします」
「ありがとう。ロビンス」
 ロビンスは深々と頭を上げ扉を閉めた。
「大事がないのはいいが、どんな悪夢を見ていたんだ」とマルデリン。「誰もうしないたくないとは夢で戦場に戻ってしまったのか、顔は見えなかったまではわからないが」
「その言葉は自分を意図せず手に掛けてしまった方に対してではないでしょうか。その方がご自身を含めて危険な行為に及ぶことの無いように」
「一体誰なんだそいつは」
「そろそろすべてをお話になったよいのではないですか」
 フレアは視線をヒルスへ向けた。
「そうかも知れないな」ヒルスが呟くように言った。「彼女の見立てはあっているよ。犯人は僕だ。カシロに友人としてどうしても聞いておかなければならないことがあった」
「ヒルス……」
「どういうことだ」
「ニコライ、マルデリンこれから話すことは辛い点もあるが聞いてくれ。僕は君たちに嘘をついていた。他のみんなにも……。ヒルス・リベリカ。ポワントゥ子爵家の次男、それに嘘はないげど、隠していた任務があったんだ。詳しくは言えないし知りもしないけど出兵が決まってから、父さんの伝手で討伐隊に入り込んでいる南ノルポルの協力者をあぶり出す手伝いを命じられたんだ。もちろん最初は断ったさ。けど、結局押し付けられた。内容は内偵中の人物に近づき観察、報告すること」
「その対象がカシロなのか?」
「違うよニコライ。タマリだよ」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿な話だよな。けど、上の方はかなり本気だった。だから父さんの方に回ってきたんだ。雑な講習を受けてあいつと同じ部隊に送り込まれてすぐにタマリと組まされた」
「最初の編成から仕組まれていたのか」
「そうだよ。カシロの乱入は別として他は上からの見えない力が働いていた。でも誤解しないで欲しい。みんな好きだよ。カシロもいい奴だよ。タマリだってもう任務を忘れるほど気に入ってた。だから、タマリがいなくなった時は心底堪えたよ。任務の都合上とはいえ部屋まで一緒だったんだ。当然よく話もしていた。
 タマリがいなくなってそう経たないうちに、あいつの持ち物で何か手掛かりになる物はないか調べろって指示か来た。あれは嫌だった。少しは静かにしてられないのかと怒鳴りつけてやりたかった。仕方なく調べた時、持ち物が少なくなっているように思えた。特に手帳がなくなっていた。何か書きつけているのを何度か目にしたけど、それがなくなっていた。他の奴に先を越されたのかと思ったから、一応は報告は入れたけど今だ見つかってない。後から捕まった奴も持ってなかった」
「そこからどうしてカシロが出てくるんだ」とマルデリン。
「タマリの監視という任務がなくなってからも帝都では調査が続いていたんだ。もう一人いるはずの協力者、諜報員が見つからないからね。タマリの疑惑も晴れたわけじゃないから引き続き、あいつの家も調べられていた。その結果、あいつの死後に多額の金銭が流れていることが判明した。既定の恩給なども異例の速さで給付されていた。それを辿っていくとカシロの家に行き着いた」
「それはカシロが親父さんに一筆書いたそうだよ。亡くなった友人の窮状を訴えたらそれがうまく通ったんだよ。実家もそれなりに力があるそうだ」
「それも聞いたよ。それもあって事態を変な方向に動かしてるんだ。確定できないあと一人の嫌疑にカシロも巻き込まれている。あいつ自身もあれ以来おかしな動きを続けているようで、僕自身も何が何だかわからなくなってきた」
「書きつけも関係あるのか?」 マルデリンが尋ねる。
「あれは僕が書いた。どうも僕以外にも同じ立場の奴がいたようだった。別の帝都の回し者だよ。それでカシロと隠れて話し合える状態じゃなかった。それで書いたんだ。表立って訴え出てもらえないかと」
「あいつがそんなことするもんか。俺が偶然見つけなかったら黙ってるつもりだった奴だぞ。さんざん説得してやっと今日の集まりになったんだ」
「えっ」
「お前、あいつが隠していることを無理に聞き出そうしたんだな」
「そうだ」とヒルス。
「まったく、どいつもこいつも問題と一人で抱え込もうとする」マルデリンはため息をついた。「もう俺も黙っているわけにいかないな。実際はどうなっているのか話すことにする。これはあいつが食事の後でここで打ち明けるつもりでいた話だ」
「あいつは悔やんでいたよ。俺のいい加減な判断がタマリの命、それにニコライの腕を奪ったんだって」
 ニコライが義手を押さえ、つかの間場に沈黙が訪れる。 
「残念だが、最初に言っておくとタマリは内偵通り南側の協力者だった」マルデリンは少し間を後を続けた。
「カシロによると親父さんの病気でタマリの家は金を使い過ぎたと言ってた。そこを付け込まれ向こう側の誘いに応じたようだ。俺たちの行動を情報として流していたようだ。行く先々がもぬけの殻だってのはあいつの情報もあってのことかもしれない。じかし、カシロと会って意気投合したのは間違いない。俺たちとの仲も同様だ。あいつにはそれについて一切何の打算もない。あいつとして仲間に被害が出ないような情報を流すよう心掛けていたようだが、それもあの日までだった。
 奴らが俺たち壊滅させるための作戦の存在をタマリは知ることになった。それに恐怖し悩んだ末にタマリは自分の正体をカシロに明かした。別れを告げて、隊長に名乗り出て、自分の知り得た情報をすべて話すつもりでいた。カシロをはそれを止めた。タマリを含めて家族まで窮乏するのは目に見えていたからだ。そこで歩哨に出て偶然待ち伏せ部隊を発見という作戦を考え実行した。結果は知っての通りだ。確かに被害は最小限に食い止められたかもしれない。しかし、名乗り出ていれば、それもさえも防げてかもしれない。自分の家の影響力を最大限に利用していれば、タマリも罪から救えたのではないかと。カシロは今もそれを悔やんでいるよ。だから、それからはタマリの名誉を守るため必死になって動いたようだ。ヒルス、お前のような立場の者がいるとは知らずに」
「マルデリン、お前はいつから知ってたんだ?」とニコライ。
「つい最近かな、あいつと同じ部屋なのは知ってるだろ。頭痛止め切らしてあいつから借りようと探してたら日記を見つけた。妙な書きつけも丁寧にとってあったよ。事が事なので問い詰めて聞き出した。黙っていて悪かった。書付けを見てからは どうにも黙ってられなくて手紙に書いた」
「話してもらって助かったよ。皆つらかっただろう。これで秘密は全員で共有することになったが、この先どうすることにしようか」
「一般的にはすべてを明らかにすることが正しいとおもわれますが、それはタマリ様の二度目の死を意味します。しかし、黙っていることは後に皆さんのお身を大きく傷をつけることにもなりかねません」
 フレアの言葉に全員の視線が集中する。
「どうなさるにしても、相当のご覚悟は必要と思われます」

 それから半刻もしないうちにこの地の警備隊士がロビンスと共に談話室に現れた。代表としてニコライが立ち上がった。
「俺はこの城塞に招かれたテューピンゲン侯爵家のニコライ・ベルビューレンと申す者、隊士殿お役目ご苦労様です」
「わたしは当地を預かっております。トゥピ・モゥピと申します」隊士はニコライ達よりは十は上に見えるが相手が貴族ということで少し緊張気味に見える。
「早速ですがベルビューレン殿、賊の侵入があったとのお聞きしましたが、皆さんご無事でしょうか?」
「不意を襲われた当主のカシロに大事なく皆安堵しております。しかし、侵入ばかりか逃走まで許してしまう体たらくに頭を抱えているところです。現場はこちらです、案内しましょう」
 これに異を唱える者いない。若者達は行く道を決めたようだ。
 ニコライを先頭に警備隊士、その後にヒルス、マルデリンと続きカシロの私室へと向かっていった。
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