第3話

文字数 3,258文字

 スレッティーはそのまま新市街へと向かった。連れ去られたと言った方が適切かもしれない。夜の間は塔の中で過ごし、やがて眠り込んだ。乗ったこともない船に揺られる夢から目覚めると青空が見えた。帝都とは少し風の匂いが違う。緑に囲まれている。
 夢の記憶が戻って来た。気持ちよく揺れる甲板の上で見上げるのは青い空、隣にいるのはオーラで傍に父さんと母さんもいる。みんな笑顔で空を見上げている。なぜそんな展開になったのか。そうか、馬車かもしれない。馬車の揺れに刺激されたため、揺れる船の夢を見たのか。
 体を起こすと塔のメイドであるフレア・ランドールの後ろ姿が見えた。彼女は生きた馬も鉄馬と同様に巧みにあやつることができるようだ。当の馬は彼女の正体に気が付いているのか、スレッティーは少し気になった。恐らく気が付いているだろう。動物は思いのほか敏感だ、害はないと判断し、気に留めていないだけだろうと考えた。
「おはようございます。お目覚めですか」フレアは前に視線を据えたままスレッティーに声をかけてきた。
 フレアはローズのように意識が読めるわけではなくとも、常人にはない敏感さはあ備えているようだ。
 馬車の緩やかな揺れに軽い眠気がまたぶり返してきた。
 そういえば昨夜は緊張してずっと起きていた。眠ったのはこの馬車に乗り込んでからの事か。寮を出た後の事を思い起こす。塔に連れて行かれ、そこで朝を待った。夜明けまではローズと過ごし、その後はフレアといた。彼女は何度か外に出て行き、その都度朝食や馬車を調達し戻って来た。彼女には良い知り合いがいるようだ。朝食は簡素な粥だったが温かく、馬車も内装はともかく乗り心地はよい。
「フレアさん、あなたは寝なくて大丈夫なの?」
 スレッティーはふと浮かんだ疑問を口にした。フレアは昨夜ローズと共に起きていた。彼女が自室に引き上げても食事や旅の用意でずっと忙しく動いていた。
「わたしは眠くはなりません。この体になって以来ずっと眠気というの感じなくなりました」
「体力と回復力がすごいと聞いたことがあるけど、そのおかげ?疲れることはないの?」
「気分的に疲れる時はありますね」
「そういう時は……」
「休みます。何かあれば食べるようにしています。こう見えても思いのほか人が残っているんですよ」
 スレッティーは思わず息をつめた。今の問いは安易に触れるべきではなかったか。
「あぁ……ごめんなさい」
「いいんですよ。気にしないでください。常識外れの身体能力と引き換えに食に対する欲求が増しているのは事実ですね。飢えが自制心を失わせるんです。そして、一線を越えると……ご存じの通りです」
「大変ですね」どう答えてよいかわからず、出てきたのは言葉だった。
 ある意味常人より自制心が必要という事か。それが人に紛れて長く生き延びる秘訣なのだろうとスレッティーは納得した。ローズの代理人を務め、正教会が政治的な思惑があるとしても受け入れているだけの事はあるのだ。
「今回の旅は迷惑だったのでは?」
「いいえ、いい息抜きになります」フレアは一呼吸間を置いた。「帝都はいい街なんですが、たまに縛り付けられているような気になる時があるんですよ。正体を知ってなお受け入れられている事実が逆に重荷になるというのか。それまではばれそうになったら逃げればいいでしたから」
 それからも断続的に言葉を交わしたが、また眠りについてしまったようだ。次に気が付くと馬車は止まっていた。雑踏を聞きつけ幌から身体を乗り出し外を覗くと、周囲では他の馬車と旅人が行き交っていた。町に着いたわけではなさそうだ。おそらく馬のための休憩所といったところか。そこでやっと客車を曳いていた馬とフレアが姿を消していることに気が付いた。
「お目覚めですね」左手からフレアの声が聞こえた。
「馬はお水と食事を取っています。わたし達も頂きましょう」
 フレアは木の皮の包みや布袋を抱えている。朝出がけにフレアが客車の荷物入れに詰め込んでいた覚えがある。
「はい、スレッティーさん」
 スレッティーはフレアから木の皮の包みを受け取ると座席へ戻り包みを開けた。中に入っていたのは厚切りのパンで間に干し肉と野菜が挟まれている。肉にもパンにも硬さはなく歯切れもよい。思ったよりパサつきもない。
「パンの事はよくわからないんですが、いいお肉を使っているお店なんですよ」とフレア。
「パンも全部おいしいですよ。塗ってあるからしもいい刺激になってます」
「よかった」
 フレアに目をやると彼女も同じ色の肉の塊を引き裂いていた。
「それって……」
「同じものです。わたしはパンと野菜は無理なので肉だけ頂いてます……生の方が好みではありますが」
「お互い贅沢は言えませんね」
「わかってもらえてありがたいです」
 二人は向かい合い笑い声を上げた。


 馬車は夕方までにこの日の宿泊地である村に無事到着した。馬車を預け宿へ入り部屋を取り、階下の食堂で適当に食事を済ませ、早々に部屋へと引き上げた。
「ローズさんの言う通りですね。無謀だったのがよくわかりました」
 スレッティーは部屋に入るなり吊られていた糸が切れるように寝台に座り込んだ。
「ただ座っていただけなのに疲れてしまって、これではとても辿り着けなかったでしょうね」
「お湯でももらってきましょうか」とフレア。「それかお茶がいいですか」
「お茶で、ありがとうございます」
 ほどなく階下から戻ってきた時にはスレッティーは幾らか元気を取り戻しているように見えた。やはり、気疲れが強いのかもしれない。両手に持つ温かな茶が入ったカップの一つを渡す。スレッティーは微笑みながら受け取った。
「ありがとうございます」
「初めての事ですからね。でも、あれだけ眠れていれば問題はないと思いますよ」
「寝すぎですか、それとも座りすぎですか。確かにお尻に背中は痛いですね」スレッティーは自嘲気味に顔をしかめた。
「勢い任せというのも時には必要ですが、それには時間と経験が必要になります」
「そうですよね。あなた方の活躍はたまに耳にしています」
 フレアはスレッティーの言葉が文字通り好意的な意味か判断がつかないため、とりあえず笑顔を浮かべておいた。
「あれでも、一応は打ち合わせはしているんですよ」とフレア。
「問題はローズ様であっても知り得ないことはあるわけでして、それが原因で事が荒立つことがありまして……」
「それだと、わたし達はかなり慎重に進む必要がありますね」
「はい」
「明日、現地でオーラの嫁ぎ先について聞くにしても、今一度状況を頭に入れておいた方がいいでしょうか」
 スレッティーは茶を一口飲んだだけで、カップを枕元に置き自分の鞄へと走った。さっきまでの疲れはオーラへの思いにより消し飛んだようだ。鞄の中に手を入れ、皺の入った封筒を取り出した。厚みがあるしっかりとした紙が使われている。
「オーラさんからのお手紙ですね」
「えぇ……」
 封筒から取り出した手紙には「この屋敷の人々は精霊に囚われている。誰もここからは出ることが出来ないと諦めきっている」などと綴られている。それは屋敷を支配し、その手をオーラへと伸ばしている。
「あなたに会いたい。スレッティーに会いたい。会いに来て、助けに来てスレッティー」
 文字も乱れ、内容も尋常ではない。それだけに読む者の心をざわつかせる。スレッティーがすぐにでも駆けつけたいと思うのも無理はない。
「改めて読むと身に堪えますね。早く行ってあげたい。何が起っているにしてもそれから彼女を解放してあげないと」
「でも、それには冷静さも必要ですよ」
 フレアもオーラを解放することには賛成だが、それが精霊などではなくオーラ自身にある場合は慎重を期す必要がある。フレアの存在はスレッティーのオーラに対する強い思いへの安全装置ともいえる。
 ローズは自分の安易な問いかけでスレッティーが事を決めてしまったのではないかと後悔の念を持っているようだ。そのため、事の成り行きを見守りたい。そのためにフレアを使わせた。
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