第2話

文字数 5,000文字

「猿……ですか」エリオットは慎重にフレアの瞳を覗き込んだ。

 相手は意思を読まないまでも小芝居の通用する相手ではない。ならば言葉を控えるしかない。

「旧市街のお話なんだけど、何か知らないかと思って」

 エリオットの前にフレアは威嚇する猿の絵が描かれた新聞記事を差し出した。彼としてはこの記事を目にするのはもう何度目になるか。だが、それ伝えない。

「あぁ、話題の猿ですね、姐さんがお探しですか」

「興味が出たみたい。わたしたちに似た二人組も絡んでるとかで、特化隊が事情を聴きに来たわ」

「そりゃ面倒でしたね。猿についてですが行方は分かりません。噂では倉庫街から出てないのは確かそうです」

「どういう猿なのそれが聞きたいわ」

「この絵の通りです。全身真っ白で長い手足に尻尾、でっかい耳に目。よく描けてるようです」

「聞きたいのはその猿の素性、正体よ。ローズ様が知りたいのは探す価値のある猿かどうか」

「聞いた話では姿からして東方の猿のようです。砂漠を越えて遥か東、暑くて湿っぽい森の中にこんな猿がいるそうです。普通は黒のようですが現れたのは白で珍種のようです」

「そんな珍しい猿がどうして帝都にいるの?」

「そこまでは分かりませんが、船の数は限られてはいても遥か東方からでも船は来ています。そこに潜り込むか、飼われていた猿が船を出て港に迷い込んだってところでしょう」

「珍しいなら捕まえて売ろうとする人が出てきそうだけど心当たりはない?」

 やはり来たかとエリオット。ローズにどんな意図があろうとこの質問が来ないわけはない。

「俺たちは関わる気はありませんが、賞金は掛かっているようです。先方は猿を飼うつもりか、はたまた連れ戻す気なのか。傷つけず元気な状態を条件にこの額です」


 フレアは賞金や連絡先の書かれた紙をエリオットから受け取るとスイサイダル・パレスから出ていった。門番からも彼女が去っていった報告が入ってきた。エリオットは息をつきソファにもたれた 。

「二人とも楽にしてくれ」

「お前もな」

 エリオットの声にホワイトが姿を現し、アイリーンが一体化していた壁から離れ普段の姿に戻った。いつもの伝統文様が入った赤い服だ。彼女の場合この服まで体の一部であることを知る者は少ない。二人ともエリオットの対面のソファーに腰を掛けた。

「心配するな。あの狼女はお前が口にした以上のことは知らん。帝都の使いに煽れたローズの指示で心当たりを回っているだけだ」 とホワイト。

「それはわかるが警備隊が見かけたという二人組の方は気にならないのか」

「それはわたしたちの事だろう。必死に駆け回っているのを見られたようだ」

「あぁ、あんた達も猿を追ってたんだったな。一体何なんだ、猫も杓子も猿、猿、猿」

「エリオット、お前は興味はないのか?」とアイリーン。

「ないね。人を使うには日当がいるんだ。他にも細かな経費が掛かる。それに生き物だと手間も増える。それで賞金といえばアイリーン、お前からから最初に貰った額の何分の一にもならん。少人数で組んで探すならともかく組織立ってやるのはわりにあわんよ」

「なるほど」

「その賞金を出すという募集主というのは何者だ。今の状況を教えてもらえないか」 ホワイトが尋ねる。

「あぁ、正体はお嬢さんにも伝えた通り旧市街の金貸しだよ。そいつがなぜ猿を探しているかは不明、飼うつもりか。売り飛ばすつもりか、誰かに頼まれて探しているのか。目撃情報や何やらいろいろと流れてくるが、今のところ猿はそいつの手元に渡ったとの情報は回ってきていない」

「それは助かる」

「あんたは賞金目当てじゃいなよな……、飼うつもりか」

「元々、あれはわたしの猿だ」やれやれとばかりにホワイトは頭を振った。

「えっ」

 二百年前のホワイト―大魔導師リズィア・ボーデン―のペットのことなどエリオットは知る由もない。

「コーディーという名前もある。わたしが作った」

「前に行ったことがあるだろう」アイリーンが助け舟を出す。「お母様はわたしを生み出す過程で数多くの生き物を作り出した。その一体がコーディーだ」

「そういうことか。いやそんでも、なんで今になってそいつがこっちに来た。アイリーンの兄貴たちとずっと楽園にいたんだろ」

「確かにそうだ。おそらくアイラが本物のアイラ辺りだろうと思うが、彼女がに楽園を出ていく折に連れていけない他の造物の類は地下で眠らせていった。おかげで皆無事だった。コーディーはわたしが戻り地下に様子を見に行った時に、外に出してやって自由にさせていたんだがそれが災いしたらしい。好奇心からこちらへ来る馬車に忍び込み、街に着いてから迷い出たのだろう。わかったのは新聞記事になってからだ。慌てて楽園に確かめに戻ったが姿はなかった。我らがいて気が付かぬなど……」

ホワイトは肩を落とした。

「あんたが近くにいるのがわからないのかね」

「コーディーはただの猿だ。そんな力は持ち合わせておらん。それに人でも急に知らん街に連れてこられたら戸惑うだろう。今は戸惑いながらも楽園を目指しているに違いない」

「追い回されて疲れているかもしれない」 とアイリーン。

「ローズの姐さんの名前をそれとなく流しておけば、こちら側の追手の動きは少しは落ち着くだろう。姐さんの邪魔をするなといっておけば効き目がある」

「恩に着るぞ。ありがたい」

「かまわんよ。しかし、探し出すのはあんた達だ。頑張ってくれ」

「なぁに、先を越されたところでそこに攻め込み奪還するだけだ」

「アイリーン、殺しはやめておけよ。相手の方から襲ってきてもだ。ホワイト、あんたもだ。相手は眠らせて記憶を抜くだけにしておけ、後が面倒なことになる」

「心配するな。面倒は起こさん」



 夜の旧市街でも中心部を少し離れれば、人通りも少なくなる。それは新市街と同様なのだが、西のはずれは様子が違う。ぽつぽつと一人で歩く者はいるのだが、連れだって歩く者はなく、一人だけで僅かに周囲を気にしながら看板の揚げられていない建物へと入っていく。ローズとフレアの二人は行き交う人を建物の屋上で眺めている。

「お仲間が集う場所ね」

「お仲間?」

「悪い事じゃなくても、あまり表に出したくない嗜好,性行の人達が集まる集会所みたいな場所ね」

「あぁ……」

「この辺りに来るのは同じ嗜好の話し相手が欲しい人だけ気にすることはないわ」

人通りが収まり、ローズ達は屋上から飛び降りた。目標の玄関口へ向かう。この建物の玄関口には看板が出ている。

「コワル金融」その下に細かな字で業務内容が並べて書かれている。扉は施錠されていたがローズに役に立つことはない。彼女は内側から鍵を開き扉を開けた。

 玄関口から入り、衝立一枚を隔ててすぐに事務所となっていた。衝立は地味な安物だがその向こう側にある応接家具は一流品である。ローズの好みの様式はないが作りはしっかりしている。絨毯も近東ネブラシアの値打ちもの。そこで四人の男が床に倒れていた。揃いの黒のウエストコートに赤いクラバット。ここの制服かもしれない。二人がソファで伸びて、一人は事務机の上に突っ伏している。床に倒れた男の傍にはナイフが転がっていた。フレアがナイフを害のない壁に蹴り飛ばし男の脇に座り込む。口元に顔を近づけ、首筋に手を添える。仰向けに寝かせて様子を見る。小さく声は上げたが苦痛からではないようだ。

「寝てるだけのようです」とフレア。

「襲われて気を失ったとかじゃなく?」

 フレアがもう一度男の頭部などを確かめる。目立つあざなどはない。

「服の上からだと見えない部分も多いですが、たぶん」

「この全員が?」

 二人で手分けして残り三人の様子を確かめる。特に外傷もなく、誰かに殴り倒され昏倒したのではなく、その場で突然眠り込んでしまったように思える。

「一服盛られて眠らされた?」

 テーブルの上には酒瓶もカップもない。フレアは奥の扉に向かい外へ出た。そこは簡素な台所で二階に向かう階段もあった。水場や付随の棚は男ばかりの場所にしては良く片付けられている。更に見つけた扉から外へ、出た先は建物の裏手で壁際にごみ入れが置いてあった。中は近くの店から買ってきた料理の包みや食べかすの骨が捨てられている。不審なにおいなどは感じられず、ただ普通のごみである。

 フレアが室内に戻るとローズは戸棚を探っていた。取り出した書類を机の上に積んでいる。

「何かわかった?」

「特に何も、カップもごみも綺麗に片付いてて……意外ときちんとした人たちです」

「ここは思ったより客筋が良いようよ。金貸しだけじゃなく、やんごとない人たちが表ざたにしたくないこと事柄の解決も請け負っていたようね」

「そんな人たちに合わせるため綺麗にしていた」

「そういうこと、この人たちは本当に抵抗する暇もなく眠らされたようね」

 ローズは床で寝転んでいる男を指差した。

「彼がナイフを出しているところを見るに、来客があってそいつが不穏な動きを見せたのは確かだろうけど、その記憶が見つからない」

「誰にやられたか忘れてるってことですか。面倒なのが関わっているんでしょうか ?」

「いい兆候じゃない」

「いい兆候ですか……」

「そこまでやっても儲けが出るってことよ」

「猿一匹に猫も杓子も必死になってどうなってるんでしょうね」

「たぶん、猿が白いから」

「白いから……って何ですか」

「わたしがここに来る前、どの皇帝の時代だったか、そうアッハイ帝だわ。ウィング・ウェイ帝のおじいさんよ。その治世に地震や疫病でひどい時期があったのよ。世の乱れにすっかり落ち込んでるアッハイ帝の元に東方から使節団が訪問団がやってきて、お土産に白い猿を置いて帰った。訪問団によると白い猿は大変珍しく貴重であるとのこと。その猿の可愛さにアッハイ帝は心を奪われ、猿のために家一軒建てるような熱の入れようで、猿と触れ合っているうちにすっかり気持ちも落ち着いて国政も安定に向かっていったというお話があるの」

「それは単に何をやるにも心の安定が必要だという話なのでは……」

「そうなんだけど、そのきっかけをもたらしたのが珍しいとされる白い猿なのよ。神からもたらされた幸運の象徴であると、猿にすっかり夢中になっていたアッハイ帝はそう決めつけた。そして猿をますますかわいがった。末には神格化された」

「それが今回蒸し返されてるってことですか。神の使いの再来、幸運の猿となれば欲しがる人も出てくる」 とフレア。

「たぶんそんなところでしょうね。猿の行方を追うのもいいけど、この人たちを眠らせた奴も気になるわね」

「猿を追っていれば会うかもしれませんね」

「楽しみだわ」ローズが笑みを浮かべた。口角が上がりすぎ普段目にすることのない白い牙が姿を現す。

「この中に猿の捜索に関する依頼がないか調べてみましょう」

「はい」

 ローズが左手を軽く振ると机の上に積まれた書類の上半分がフレアに向かい飛んだ。フレアはそれを胸で受け止めソファーとセットとなったテーブルに置いた。同席する男たちは肘あてにもたれ眠り込んでいるため窮屈ではない。

 半分は借金の証文だが、残りは別の仕事の依頼の記録や契約書が混じり込んでいた。禁制ではないにしろあまり表ざたにできない物品の調達、内密の家出人捜索、浮気などの内偵調査まで含まれていた。書類整理は信じられな雑さだが、仕事の信用はあるようだ。

 娘の交際相手の身上調査の後に白い猿の捕獲依頼に関する書類が見つかった。健康な状態での引き渡しで彼らが受け取る成功報酬はエリオットから聞いた額と変わらない。この規模の業者ならいい儲けになるだろう。

「依頼人は思いのほか本気のようね」 とローズ。

 書類をもう一枚捲る。箇条書きにされた取り決めの最後に二名の署名がある。書類の右側が不自然に波打っているため裏返すと領収書が張り付けてあった。金額は成功報酬そのままの額。

「取引はもう終わっている。ってことは……」

「まだ内密にされているけど、猿はもう捕えられ先方に引き渡されてるわ。残念だけど」

 ローズは手元の束を机の上にある書類の山に投げた。束が書類の山に落ちるとそれは居住まいをただすように揺れ綺麗に整列した。
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