第5話

文字数 3,387文字

 夜が更けたからローズは一人で塔を出た。向かうのは旧市街のドモンジョ邸である。裏口から侵入し邸内の様子を窺う。裏口はすぐ厨房と繋がっている。わかりやすい間取りだ。邸内からは四人の気配が感じられる。厨房の傍にある部屋にいる一人は起きている。

 その部屋を扉越しに窺ってみると外から雇われた通いの看護師だった。ドモンジョ夫人、ビアンカの容態の急変に備え派遣されているようだ。フレアが目にした医師たちとは別口だ。今は夜中の巡回の合間で一人でカード遊び中だ。朝になり交代の看護師が現れ次第、ここを引き揚げ食堂に出向くつもりだ。朝食は焦げ目の付いたパンか、甘い干し葡萄の入った麦粥か迷っている。どちらにしても温かい食事がとりたいと願っている。

 他二人は住み込みの男女の使用人か。どちらも主人であったヴァーリー・ドモンジョ存命の頃から仕えている。ビアンカの容態を心配をしてはいるが、それは自分たちの仕事を心配しての事らしい。彼らの仕事はビアンカの命と現当主であるヴァーリーの息子ギブスンの一存にかかっているようだ。世知辛く切なくもあるが仕方ないだろう。彼らも生活していかなくてはならない。

 ビアンカの寝室は元気な頃から使っていた二階の一室だ。扉越しにビアンカと接触を持つとローズの内に入り込んできたのは混濁した意識だ。睡眠状態の意識ではない。理路は失われ過去と現在がない混ぜとなっている。せめてもの救いはそれが比較的穏やかな記憶で構成されていることだ。

 扉を開き部屋へと入る。確かに漂う雰囲気は身動きの自由が利かぬ者のそれに間違いない。ローズもフレアもその点には目鼻が利く。傍目には穏やかに眠っているようには見えても、彼女はもう目覚めることはないだろう。穏やかな混沌に包まれながらこの世から旅立つことだろう。

 ビアンカの意識を乱れさせたくはないが、ウィルスの手紙については聞かなければならない。ローズの問いに彼女から帰って来たのはウィリスの甘い記憶の奔流である。これも意識の制御が効かなくなっているためだろう。

 流れを乱さぬよう手紙について聞いてみる。その内容ではなく置き場所だ。なだれ込む数々の文面の流れの末にようやく手紙の保管場所を掴むことが出来た。この部屋の壁に隠し戸棚を作ってある。その中にすべての手紙を納めてあるようだ。 

 廊下側の隅に小さな収納庫が隠されている。任意の場所を強く押さえれば壁の一部が外れ鍵穴が顕わになる。ローズはビアンカの記憶を頼りに壁板を押してみた。若干の反発を感じ、手を離すと小さな壁板が下にめくれ鍵穴が現れた。場所さえわかれば造作もない。指を当て軽く開錠する。

 横長の扉を開いてみるが中には何も入っていなかった。誰かが持ち出したに違いない。こじ開けた跡が見られないため鍵を使ったのだろう。鍵はどこかと尋ねると鏡台との答えが返ってきた。備え付けの引き出しを探ってみると鍵が一つ見つかった。使ってみると問題なく閉めることが出来た。これに間違いはない。鍵の在処さえ知っていれば誰でも開けることが出来るということか。とりあえず今いる使用人達に当たってみることにした。

 当たりだった。男の使用人がビアンカが倒れた後で手紙を持ち出していた。この仕事の行き先を危ぶみ金を手に入れようとしたらしいが、いいように買いたたかれたようだ。今は売り渡したことを悔やんでいるようだ。それがばれれば信用問題に関り、次の就職に差し障りが出る。どこまでも自分本位のようだ。ローズは眠っている男の意識に枝を付けドモンジョ邸を後にした。

 明日は男を泳がせフレアにその後を付けさせることにしよう。


 正午の鐘が鳴りドモンジョ邸よりお仕着せの男が姿を現した。時間通りで短く黒い髪で白い肌の男、細身で中背、ローズに聞いた容姿と合致する。後をつけるのはあの男で間違いないだろう。隣家の屋根で待機していたフレアは男の追跡を始めることにした。

 男の名はルドルフといい主人のヴァーリーが存命の頃からこの屋敷に使えていた。未亡人のビアンカが倒れ失職の危機を感じ、幾ばくかの金を確保するため隠されていた手紙の転売を思いついたようだ。次があるかの不安にさいなまれている。やはり加齢は大きな障害か。つい最近も似たような裏切りがあった。そのために人が命を落とした。いやな世の中だ。フレアはため息をつきルドルフの後を付けた。

 ローズにより操られての事だろう。ドモンジョ邸を出たルドルフは一心不乱に歩き続け目的地に到着した。閑静な住宅地の古びた邸宅の前に着き、同時にローズが付けた枝が外れたようだ。目前の門扉に驚き、周囲を見回す。一、二歩後ずさりそれから全力で駆け去って行った。後を追うことはない。ドモンジョ邸に戻るだけだ。これでルドルフの仕事は終わりだ。

 ルドルフが立ち去り、フレアは敷地内に忍び込んだ。軽く見たところ人気はなさそうだ。庭は長く手入れをされていない。これも今現在住人がいないことを現している。しかし、人の出入りはあるようだ。玄関口に落ちていた木の葉が乱れ、幾つか踏みつぶされている。調べてみる価値はありそうだ。

 玄関口を爪を使いこじ開け邸内へ侵入する。つい数日前に誰かが訪れたらしい。二人分の匂いが漂っている。絡まり合う匂いの行先はどこなのか。匂いを追いかけ辿り着いたのは応接家具だけが置かれた広間だった。向かい合う椅子に二人分の匂いが付いている。ここで何らかの取引があったことは間違いないようだ。どちらの匂いもルドルフのそれではない。まったく別の取引が行われたということか。

 屋敷内の他の場所を当たってみる。二人は玄関から入り広間で取引をし、同じ経路を経て出て行った。少なくとも一人は客なのだろう。そのため動きが限られている。もう一人はどうか。フレアはもう一人が座っていた椅子で匂いを確認し邸内での動きを追ってみた。先の一人と同様に玄関と広間を行き来している。他の動きはあるか手繰ってみる。

 こちらは邸内の奥へと向かっている。二階へは足を向けてはいない。匂いを追ううちに厨房へとたどり着いた。もてなしのためにお茶でも入れに来たか。

「それはないわね」消え入るような声でつぶやく。

 厨房には何も置いてはいない。邸内の家具はさっきの広間の応接家具だけで他は全部取り払われている。ではなぜここまで来たか。外の様子見に来たにしては匂いが濃い。

「もしかしたら……」フレアは声を出さず口だけを動かした。

 思いついたのは貴族達が大好きな地下室だ。いい具合に古びた屋敷だ。ここにも地下室、それに地下道が設置されているかもしれない。ローズがやってくる前の血生臭い時代の遺物だ。壁や床に地下への隠し扉が仕込まれているのだ。何度も地下室を目にして探す要領は心得ている。

 さほど広い厨房ではないため場所による匂いの濃淡は少ない。他より若干濃い匂いが室内に拡散している。床や壁を探りつつこまめに押さえてみる。使い込まれていたなら他と微妙な違いが出ているはずだ。

 壁を三分の一程調べた頃、細かな段差が見つかった。見た目ではわかりにくいが手で微弱な引っかかりが捉えられた。その付近を押さえると掛け金が外れる音がした 。静かに手を放すと壁の一部がせり出してきた。そこに手を掛けゆっくりと引っ張ってみると壁の奥に空間があることがわかった。大柄な男性でも入っていられる物置のようだが、使われた形跡はない。この中にも匂いが籠もっている。今度はそこの床を探ってみる。予想通りなら床面に仕込まれた取っ手が見つかるはずだ。

 取っ手は造作なく見つかった。取っ手に手を掛け床板に力に入れると上に持ち上げることが出来た。床下には階段が続いている。階下は闇に沈んでいる。降りて調べる必要があるがそれには灯りが必須となる。フレアはローズのように光球を呼び出すことは出来ない。幾ら夜目が聞くと言ってもそれは乏しいながらも光源があってのことだ。

 厨房を探してみると戸棚の中からランタンが見つかった。油もたっぷり入っている。匂いの主が予備に置いていたか。用意がいいのはこちらも助かる。これで明かりを手に入れるため外に出るという失態は起こさずに済んだ。

 フレアはランタンに灯を入れ階下へと降りて行った。
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