寮生探偵団 第1話

文字数 4,892文字

 陽光を受け輝く水面、風を受け揺れる波、特に忙しくない時などはこれを眺めるためだけにフレアは港へやって来ることがある。周囲で薄く漂う運河からの腐臭は好みではないがもう慣れてしまった。ローズの事だ、口に出さないだけでフレアのこの密かな楽しみについては既に知っているだろう。だから、フレアも長居することはない。馬車で波止場まで出て、海を眺めつつ走り抜けるだけだ。貨物船向けの埠頭なら知り合いと会うこともまずない。
 だが、今日は港を出て市街へ向かう街路の途中で名前を呼ばれた。それも「フレア」の呼び捨てである。彼女を呼び捨てにするのはローズを含めてごく少数だ。しかし、声音に聞き覚えはある。こんなところで誰かと思い馬車の勢いを緩める。耳にした声音と心当たりを頭の中で照合していく。馬車を道の端に寄せて止めて、御者席から立ち上がり身を乗り出し声が聞こえた後方を見渡す。少し離れた位置に茶髪で細身の少年が身体を折り両手を膝に付けて肩で息をしていた。フレアが乗る馬車を走って追いかけて来たと見える。
「ポンタス……さん」
 フレアは馬車を降り少年に近づいていった。
「やぁ……久しぶり、フレア」
 少年は息の乱れを堪え、片手を上げ笑みを浮かべた。
 彼はポンタス・ハンス、帝都の北西に位置する山村ブーヒュースの資産家でハンス家の次男である。ハンス家とは彼の父ヨアヒムが催した「諸聖人の夜」の祝祭にフレアが客人として招かれ、その際に知り合った。そのヨアヒムは祝祭の折に殺害された。そこに居合わせたフレアは事件に巻き込まれることになったが、ポンタスと共に彼の兄オスカーの容疑を晴らし事件を解決に導いた。彼と会うのはそれ以来のことだ。
「歩いている……時にちょうど顔を見かけてさ……だから声を掛けたんだ。元気そうで……何よりだよ」
 物言いは気軽に声を掛けた体を装っているが、上がった息はまだ収まらず、必死になって馬車を追いかけて来たのは隠しようもない。
「久しぶりですね。ポンタスさんもお元気そうで」
 フレアの浮かべた笑みにポンタスは嬉しそうに目じりを下げた。このようにフレアを同年代の女の子のように扱うポンタスを彼女は好ましく思っている。
「でも、今日はこんな所に来て、どうしたんですか」
 この周辺は人家も店もない。あるのは倉庫と港湾、貿易関係の会社の事務所だけだ。少年がうろつく場所ではない。
「こんな所って、うちの会社の手伝いをした帰りだよ。うちの会社はそこの先にあるんだよ。忘れたのかい」右後方を指差した。「これでもフレアからの言いつけは守っているんだよ」
 そういえば、ハンス家が営むハンス商会はここからさほど遠くない場所にある。そこが彼の父ヨアヒムとの最初の待ち合わせ場所だった。それならこの辺りを歩いていても何の不思議もないか。
「言いつけ?」フレアは首を傾げた。
「それも忘れたのかい。学校を卒業したらうちの会社を手伝って兄さんと共に家を支えるって話さ」
「あぁ……」
 確かに、ハンス家を去る時にポンタスを励ますためにそのようなことを言った。彼はそれをちゃんと実行に移していたのだ。
「僕はその準備を始めたんだよ。学校が休みの時は会社の手伝いをしていろいろ教えてもらってるんだ」
「まぁ、それはいい事ですね」
 会話の最中に、フレアは不審な影の存在に気が付いた。彼の背後にある交差路を左に行けばハンス商会がある。その角の向こうにいる影の主はそこから出てくることも退くこともない。ポンタスをつけているのか。彼は活発なごく普通の少年だ。理由があるとすれば資産家の子弟であることぐらいか。考えればそれは彼を狙う理由になる。用心のためにこのまま立ち去るのは避けた方がいいだろう。
「ポンタスさん、寮まで送りましょうか」フレアは周囲の動きに警戒しつつ声を掛けた。
「えぇっ!いいの?」
「構いませんよ、まだ日が暮れるまで時間もありますし」
「ありがとう」ポンタスは鉄馬に駆け寄って来た。「これってあの渡来人が作ったっていう機械の馬だよね」
「えぇ」
 ポンタスの関心は鉄馬にもあるようだ。横から足回りを眺め、前面に回り込み照明や竜を思わせる威嚇的な意匠が描かれた鼻先になどに見とれている。
「寮の傍でもたまに見かかるんだけど、どれも仰々しい紋章がついてるから近づきづらくってさ」
 確かにあの手の紋章には威嚇的な意味も込められているだろう。この馬車に描かれている幻竜も同様だ。
「さぁ、後ろに乗ってください」
 フレアは御者席に、ポンタスは客車に乗り込む。
「操作は難しいの?」
 始動準備のためにフレアが操作盤を指で触る様子をポンタスは後ろから身を乗り出し眺めている。ハンス家も自家用馬車を所有しているため珍しくもないはずだが鉄馬車となると話は別なのだろう。
「生きてる馬より簡単だと思いますよ」
「高いの?」
「素の状態なら普通の馬車より少し高いぐらいですね。でも、塗装や飾りなどの追加で天井知らずになります」
「やっぱりそうなんだ……」
「じゃぁ、行きますよ。座ってください」
 フレアの声に従いポンタスは座席に戻り深々と腰を掛けた。
「いいよ、出して」
 ポンタスの声にフレアは鉄馬を前に出した。
 フレアは背後の気配を手早く引き離すために港を出るまで早足加減で進ませ、市街地に入るまでそれを維持した。ポンタスの指示で到着したのは官庁街にほど近い場所に位置する全寮制の男子校だった。目の前の重厚な門扉の脇には「聖リムレーン学院」という看板が掛けられている。その名はフレアも耳にしたことがある。名門校であると同時に学費もかなり高くつくはずだ。
「ここでいいよ」とのポンタスの声でフレアは馬車を門柱の少し過ぎた街路の端に寄せて止めた。
 馬車を止めるとポンタスは客車から素早く飛び降りた。
「ポンタスさん、ここの生徒だったんですか」
「そうだよ」とポンタス。
「誰でも通える学校じゃないですよね」
「あぁ、僕はね、学費はほとんど無料にしてもらっているから心配いらないよ」
 つまり、お金を積んで入ったわけではない本物の優等生だったわけだ。
「じゃぁ、帰るよ。ここまでありがとう」
「いえいえ、お安い御用ですよ」
 言葉を交わしながら御者席から降りる。
 ポンタスと話しながらフレアは周囲を探ってみた。とりあえず、怪しい気配は感じられない。
「ねぇ、フレアまた会えないかな」ポンタスはフレアとの間合いを詰めた。そして、手を握ろうとしたが慌ててひっこめた。
「そうですね。忙しくない時に少しならいいですけど……」返答に迷い、適当にはずらかしておこうかと思った時、街路の反対側に止まっていた洗濯業者の馬車に違和感を覚えた。少しの間でも様子を見ておいた方がよいか。
「連絡先を教えておきますね。何か急ぎの要件がある時はこれを使ってください」フレアはお仕着せの物入れから紙とペンを取り、塔への通話番号を書きつけた。そして、ポンタスに手渡しそっと手を握る。
「でも、この番号は絶対に他の人には教えないで下さい。乱用も禁止です。ローズ様の目がありますからね」
「う、うん。わかった」ポンタスは慌てて上衣の内側に隠した。
「ありがとう。じゃぁ、またね」改めてフレアに向き直ったポンタスは手を振り走り去っていった。
「はい、また」フレアも手を振り返した。
 門扉の向こうから何人かがこちらを覗いていたが、あちらに害意はなさそうだとフレアは判断した。

 ポンタスはフレアの「忙しくない時に少しならいい」という答えを噛みしめ、どのようにすれば彼女とまた会うことが出来るか考えた。彼女の気分を害するようなことがあれば二度と顔を合わせてももらえないだろう。そちらに意識が傾き過ぎ、寮の門を上の空で通り過ぎたため、前方に立ちはだかっていた三人組に気が付くのに遅れぶつかりそうになった。
 集団はポンタスを取り囲み門扉の影へと引き込んだ。全員がお揃いの茶色く丈が少し短めのウエストコートと赤いクラバットを付けている。ポンタスが活動を共にしている部活動の仲間たちだ。
「おい、さっきの女の子はどこの子なんだよ」代表格のゼレンが真っ先に声を上げた。
「女の子って」
「さっきお前がそこで話しをしていた子だよ」隣にいたジョンが続く。
 皆、フレアとの別れ際の会話を見ていたようだ。彼らが可愛い使用人に送られての帰宅など興味を引かないわけがない。
「フレアだよ、フレア・ランドール。アクシール・ローズさんのメイドさんだよ」
 ポンタスは前に並ぶ四人に誇らし気に告げた。
「アクシール・ローズ……ってあの新市街の……」と茶髪のフルトンが呟いた。
「……塔の主人」
「うん」
「じゃ彼女が「塔のメイド」?」彼がフレアの有名な通り名を口にした。彼もポンタスと同じく商家の出で西からやって来た。
「あぁ、あのフレア・ランドール」とゼレン。「あんなに可愛いかったんだな」ゼレンがフレアの姿を思い起こし身震いし、柔らかな銀髪を揺らす。
「そうだな、もっとおばさんっぽい女の人かと思ってた」ジョンの言葉は至って冷静だ。
「あの子がフレア・ランドールなのはわかったけど、どうして彼女をお前が一緒に居たんだ」ゼレンの興味は尽きないようだ。
「彼女と知り合ったのはこの前の「諸聖人の祝祭」で父さんが彼女を呼んだからさ」
 この言葉だけで仲間たちは全てを察したようだ。一連の騒動の顛末は彼らにも話してある。
「あぁ……ごめん」ゼレンは謝り黙り込んだ。
「……気にしなくてもいいよ……今日は久しぶりに港からの帰り道で会ってここまで送ってもらったんだ。それよりどうしてここに集まってたんだ。僕をわざわざ出迎えに来たんじゃないだろ」
「そうだった」とジョン。艶のある黒い髪を後ろに撫でつける。彼が喋り出す際の癖のようなものだ。
「カタニナ先生との連絡が取れない。学校でもどこにいるかわからないってさ」顔をしかめ首を横に振る。
「どうするのさ。修理は先生に任せっきりだったから、誰に頼んだらいいかわからないよ」ポンタスは目の前にいるフルトン、ジョンからゼレンへと視線を移していった。
「父さんに話をするとしても高くつくかもしれないぞ、それも覚悟はしておいてくれよ」
 ゼレンの家は爵位こそ持っていないが宮廷騎士の家柄だ。そのため自然に代表を務めている。
「俺もいい工房知らないか聞いてみるか」とジョン。父親は警備隊幹部で男爵家の次男らしい。男爵は伯父さんが継いでいる。
「俺達はどうしよう」とフルトン。ポンタスに目をやる。
「地元ならともかく帝都なんて何もわからないよ」ポンタスが応じる。二人とも地元でなら頼りになる大人の知り合いもいるのだが、帝都ではただの少年だ。 
「そうだな。お前たち二人で一度先生の家を訪ねて来てくれないか」とゼレン。
「うん、僕たちで行ってみよう」とポンタス。
「やっぱりいなかったらどうする?」とフルトン。
「その時は大家さんに相談して中に入れてもらえないかな。うまくいけば何かわかるかも」
「任せたよ、うまくやってくれ。親に頭下げて来るから」
「了解」

 男が陽光が差し込む窓辺で、煙草をくゆらせつつ外を眺めていると通話器の鐘が鳴った。灰皿に煙草を置き通話機を取り上げる。
「わたしだ」
「奴が死んじまいました」吉報を期待していたが、訪れたのは訃報だった。
「殺しちゃ何もならんだろ!」男は通話器の向こうに吹き上げた怒りをぶちまける。「死体というのは口をきくことはないんだ!お前はそんなことも知らんのか!それともお前は俺に口寄せの世話までしろというのか!」
「あぁ、すみません。ですが、奴がとんでもなく強情なもんでつい……」
 通話器の向こうから返ってきたのはその場逃れで定番の言い訳だ。怒りは収まることなくますます噴き上がる。
「……もういい」大きく息をつき無理に気を静めた。
「わかった。奴の始末を付けたら、奴の部屋と仕事先を調べるんだ。何かあるはずだ。絶対にそれを見つけ出せ、できないならお前を奴の元に使いに送りだすからな!わかったな!」
「はい!」
 絶叫にに近い返答と共に通話は切れ、男は深い溜息をつき通話機を置いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み