第4話

文字数 6,226文字

 ようやくマティアスと会う段取りがついた。ボウラーはフレアの案内により、彼との面会がようやく叶うことになり安堵した。しかし、喜んだのもつかの間フレアに緊急の連絡が入った。その結果、フレアは急用を済ませた後に現地に駆け付けることになった。待ち合わせ場所は正教徒第一病院の一階だ。この辺りでは一番の病院で、正教徒向けの病院ながらローズの影響が極めて濃い。新市街の状況を如実に表している存在でもある。街の北側で三番街と四番街の境界付近に位置している。

 病院までは大きな街路を行けば迷うことなく到着するが、それでは遠回りになるため路地を抜けていくことにした。それに付きまとう虫にはその意図を確認しておく必要がある。契約はマティアスを無事先方へと送り届けることにある。それを阻む存在が、すぐそばにいることがままあるのだ。先方の使者であっても用心に越したことはない。地元住民だけが使う路地に、地域に馴染まないよそ者が混じり込めば、派手な看板を持って歩くように目につくようになる。

 ボウラーは路地を右に左に曲がりつつ病院を目指す。虫はともかくボウラー自身も目立っていることがわかる。地元に合わない身なりに住民の視線が頻繁に刺さってくる。ここでひとまず歩を緩め後ろを確認することにした。手前に地元の男達が店先でたむろしている飲み屋が見える。とりあえずそこを目指す。店先では焼かれている酒のつまみの匂いが鼻をくすぐる。

 店先に置かれた木箱をテーブル側代わりにして、そこで酒を飲んでいた男たちはボウラーが近づくと、若干きつめの視線を投げかけてきた。

「やぁ!実は困ってるんだ。聞いてもらえないか」

 ボウラーは男達の前で頭を掻きつつ軽く頭を下げた。

「正教徒第一病院はどこだろうか。教えてもらえないか」

 大きく腕を振り回し首を回し辺りを窺う。後方で住民の視線が物陰を覗いている。虫はまだついて来ているようだ。

「近道をしようと思ってここに入ったら、すっかり迷ってしまった。次の鐘が鳴るまでにつかないと大事になってしまうんだ。助けてもらえないか」

 男達の顔が若干緩んだ。

 頭の禿げた男が無言で立ち上がりボウラーに手招きをした。そして、ふらつく足取りで歩きだした。ボウラーもそれに従い後をついていく。店を少し離れ近くの路地まで歩く。

「兄さん、あそこにでっかい屋根が見えるだろ」男は周囲の建物から飛び出すレンガ張りの建物の屋根を指差した。「あれが正教徒第一病院だ。あれを目印に歩くといい。じゃぁな」

 男はボウラーの背を軽く叩いた。

「ありがとう、助かったよ」 

 ボウラーは男に礼を言いつつ後方に目をやる。僅かな動きがあった。虫にはその先で事情を聴くことにしよう。

 別れ際に禿げ頭の男に手を振ると、彼は笑顔で手を振り応じ飲み屋に向かい去っていった。それから足早に路地へ入ると、後方で刺激を受けた虫が飛び出してきた。見覚えのある顔だ。従者のシダに間違いない。更に足を速め左に曲がる。そして、先に見えた隣り合う住居の隙間に身をひそめる。寝転んでいた猫が顔を上げ、迷惑気に一瞥した後さって言った。

「悪いね」ボウラーは声に出さず呟いた。

 住居の影から様子を伺っているとややあって、虫ことヴラマヨ・シダが姿を現した。全力で走ってきたのだろう、息を荒げ辺りをのぞき込む。そして、ボウラーと目が合った。シダは探していた探し物を見つけたにかかわらずひどく驚いているようだ。

「やぁ、また会ったね」不意に若い男の声が聞こえた。

 ボウラーが物陰から出て行くとシダの背後に若い男が立っていた。彼がさっきの声の主か。茶色の髪で服装から見て職人と言ったところか。

「この人ですよ。マティアスを階段から突き落としたのは」 男はボウラーに語りかける。

「どうして……お前がここにいる。どうしてここにいられるんだ。お前らグルだったのか」シダの声が上ずりまるで悲鳴のようだ。

 シダはボウラーと若い男の間を何度も視線を彷徨わせた。踵を返し逃げようとしたが目の前にフレアが現れた。フレアはシダに声を掛けることなく顎を拳で殴りつけた。殴られtシダは吊り下げられた糸が切れたようにその場で尻もちをついた後仰向けに寝転んだ。

「あんたは誰だ」

「わたしのこと?この男」フレアがシダを指差す。「それとも……」

 ボウラーが疑問を口にした時、若い男は姿を消していた。

「あんたは塔のメイドでフレア・ランドール、こいつはハルミタ家の使者ハクブンの従者でヴラマヨ・シダ、俺が聞きたいのはついさっきまでここにいた男だ」

「さっきの彼はマティアスと同じ姿をした誰か。また逃げられたけど……」フレアは残念そうに頭を振った。

「どういうことだ。何者だ」

「わからないの。たぶんわたしが歌劇場から後を付けたマティアスと同じだと思う。本物はまだ病院で過ごしているはずだから」

「歌劇場から?そんな話は聞いてないぞ。まさかあんたまだ何か隠してないか」

 フレアは昨夜の出来事をかいつまんでボウラーに話して聞かせた。

「なるほど、マティアスとそっくりな奴がもう一人いるわけか。そいつがさっきの……本当に正体は知らないんだな」

「えぇ……」

「俺もまだ信用されていなかったようだな。こっそりつけていたな」

「まぁ、あなたを餌に何か釣れないかと後はつけてたけど」フレアは僅かにばつの悪さを隠すため笑顔を浮かべた。「あのマティアスが現れるのは想定外よ。それは信じて、わたしは知らなかった」

「今度こそマティアスの元に連れて行ってもらうぞ」

「わかってる。でもその前にこいつを片付けさせて」

 フレアは道に転がっていたシダを肩に担ぎ上げた。 




 シダは薄闇の中で目を覚ました。頭を起こした時に何かで頭を打ち、弾みでそれは倒れて大きな音を立てた。痛む頭をさすりながら周りを見ると、傍に無骨な作りの腰掛が倒れていた。立ち上がると居酒屋の一室であることがわかった。大きなテーブルと腰掛が並べられ、壁にはお品書きが張り付けられている。

だが、なぜこんなところにいるのかそれはわからなかった。探偵のボウラーの後をつけているうちに奴が走り出し見失いそうになった。幸いボウラーは再び見つけ出すことは出来た。それからどうなった。わからない。そこから記憶がない。

「お待たせ、マティアスに会いにいきましょう」

 女の声が聞こえる。マティアスと言ったか。聞こえたのはそこの扉の向こう側からだ。急いで近づき耳を当てる。

「助かるよ、これでやっとビゾーノからの言葉を伝えられるよ」

 男の声だ。ボウラーに間違いない。

「彼からはハクブン抜きで二人きりで会って伝えてくれと強い言われていたからな」

 ハクブンさん抜きどういうことだ?あの人だけがビゾーノさんからマティアス探しを任されていたはずだ。誰か他にも動いていたというのか。

「マティアスはどこにいるんだ」

「正教徒第一病院の二階で二〇五室にいるわ。もう目も覚めてるはずよ」

「ありがたい、さっさと行こう。案内してくれ」

「えぇ」

 扉の向こう側で起こった足音はすぐに遠ざかり消えた。音が聞こえなくなってから二十数えてからシダはゆっくりと扉の取っ手を回した。鍵は掛かってはいない。そもそも扉に鍵などついていない。どうやら閉じ込めるなどの意図はなさそうだ。ここに連れて来たのはボウラーなのだろうか、何のつもりなのが。明るい廊下に出た。見張りなどはいないようだ。奥から賑やかな歌が聞こえてきた。はやり歌かもしれないがシダに聞き覚えはなかった。帝都の流行り歌なのだろう。

 害のない普通の居酒屋なのだろうか。いまだに、ここにいる理由はわからない。下行の階段が明かりに照らされている。下の階から賑わいが聞こえる。半分ほど降りると一階にいた店員が声を掛けた来た。

「お客さん、もう大丈夫ですか?」

 店員はこちらにしっかりを目を向けている。自分に向けての言葉だろう。

「ありがとう。もう良くなったよ」

 シダは店員に口を合わせておくことにした。今はハクブンの元へ駆けつけることが先決だ。

「帰ってゆっくり休むことにするよ」

「そうですか。お気をつけて」

 店からは造作なく出ることができた。店の戸口や看板を見れば何のことはない。昼にボウラーが入っていた店だった。俺が気を失い倒れたため介抱のためここまで引き返した。それだけのことだったのか。 いや、そんな単純な問題ではない。体の奥底から声が聞こえる。

 しかし、それに対して別の声が言う。それは後で考えればいい。今は知らせを待つハクブンさんの元へ急ぐの先だ。シダはそちらの声に従うことにした。

 

 馬車を急がせたシダはホテル・スマグラーズに駆け込んだ。彼は最初こそハクブンに怒鳴りつけられはしたが、やがて事態の深刻さに気づいたのか、黙り込みシダの言葉に聞き入るようになった。

「お前が手に掛けたはずのマティアスは無事で病院に収容されてた。ボウラーはそれを知らなかった。われらの他に動いている者がいる。そいつがマティアスを助け、ボウラーと接触を持った」

「そのようです」

 ハクブンは椅子の肘あてで指でせわしなく叩いた。

「……われらは元よりビゾーノ様の動いてはおらん。次兄のシモト様の命で動いている。それを悟られているということか」とハクブン。 「見つけ出したマティアスには事故死してもらい、それをボウラーに発見させる段取りだった。それですべてを御破算に持ち込むつもりだったが……」

「申し訳ありません」

「仕方ない。明確に手に掛けた証拠を残すわけにいかなかったからな。いらん悪運の持ち主よ」

 虫のように動いていた指が落ち着き握りしめられた。

「まだ策はある。若くとも容態が急変することはある」

 シダが息をのむ。

「心配するな。今度はわたしも一緒に出向く。ゆっくりとしてはおれぬ。出かけることにしよう」

「俺たちの他に誰が動いてボウラーに指示をいるのでしょうか?」

「ビゾーノ様、いやそんなことができるお体ではないか。それなら奥様か、あの方もなかなかの切れ者だからな。……誰でも構わんマティアスさえいなくなればシモト様の天下よ」


 旧市街から飛ばしてきた馬車が止まったのは、地域には似合わないほどに規模の大きな病院だった。正教徒の冠が付いててもアンタルヤではせいぜい半分の規模だろうとハクブンは感じた。

 開いている正面入り口から入り、人気のない一階を抜け二〇五号室まで人目に付くことなく到着することができた。扉の左側に二つ札掛けがあり、片側にマティアス・ピアイネンの名札が掛けられている。片側は何もない。二人部屋を一人で使っているということかとハクブンは理解した。

 室内に入ると寝台が二つ並べられていた。向かって右側はきれいに片づけられ、左側は上掛けに人型の盛り上がりがみられる。左側の寝台に近づき眠っている患者の顔を確認する。上掛けを胸元まで剥ぎ、顔をシダによく見せた。シダは無言で静かに頷いた。

 ハクブンは隣の寝台に置いたあった枕をシダに手渡した。枕を手にしたシダは僅かに身震いた。それを使って眠っているマティアスの息を止めるのだ。シダだけにやらせるつもりはない。確実を期してハクブンも寝台に乗り、マティアスの暴れる体を押さえつけるつもりだ。

 シダが枕をマティアスの顔に当て力を込める。

「そこまでにしてくれないか」

 寝台に乗る準備をしていたハクブンの背後で男の声が聞こえた。振り向くと扉の前に警備隊の制服隊士が立っていた。手に砂色の布、この部屋に隠れ潜んでいたわけか。

「殺人未遂で済んでいるんだ。これ以上罪を重ねるのはやめておけ」

 他にも四人の隊士が現れ、二人がシダを取り押さえ枕を奪った。残りの二人がハクブンの両手を後ろに回し手鎖で拘束した。眠っていたマティアスが体を起こした。いやそれはマティアスではなく茶色のかつらを被った探偵のボウラーだった結局この部屋にマティアスはいいなかったのだ。すべては罠だった。 奥様か、何者かにしてやられた。ハクブンは肩を落とした。

「連れて行け」

 ハクブンは抵抗する気も失せ引きずられるように病室から出て行った。

「よくやってくれた。ボウラーありがとう」

 寝台から起き上がったボウラーに制服隊士が声を掛けた。

「行きがかり上です。礼には及びませんよ」

「また戻って来てもいいんだぞ。じゃぁな」

 年嵩の隊士は後ろ手で手を振りつつ病室から出て行った。足音が遠のくとローズとフレアが姿を現した。こちらは純然たる魔法で姿を消していた。

「これで一件落着ですか」とボウラー。 ここでローズ本人と出くわすとは思っていかった。

「えぇ、あの二人が証言すれば、黒幕にも捕縛の手が回るでしょう。マティアスもこれで安心して眠ることができます」

「あぁ、まだ、彼の偽物について何もわかってませんよ」とフレア。

「あぁ、それはね」

 ローズは窓際に目をやった。

「あなた、そろそろ姿を見せてもいいでしょ」

 ローズの声に応じてマティアスが姿を現した。作業着ではなく、外出用の上着を身に着けている。

「えっ、彼は別の部屋で寝ているはずじゃ」

「あなたまで見た目で誤魔化されるなんて、匂いはどう?」

「あっ、あれ……」

「あなた、自分で説明してもらっていいかしら」

「いいよ」マティアスの姿をした者は頷いた。「僕は人が言う精霊だよ。まだ身体があった時は猫でネロって呼ばれてた。言葉は喋れなくてもいろいろと覚えたよ。身体が無くなったからもマティアスとは一緒に居たんだ。彼と一緒なのはわかってもらえなかったけど」

「シダが忍び込んだのもわかったんだけど、マティアスに伝えられなくて、彼を守るのが精いっぱいだった」とローズ。

「でも、マティアスには化けられたんでしょ」

「最近やっとね。でも、怪我したマティアス助けるにはどうしたらいいかわからない。で、とりあえず出かける予定だった。歌劇場へ出かけたんだ。わけもわからず動いているうちにその人に会ったんだ」

 ネロはローズを指差した。

「すごく目立ってたわ。猫の精霊が人に化けてお菓子を食べながら助けてくれと騒いでいるんだから驚いた」

「説明してくれればよかったのに」

「階段から落ちた人が床で転がっていたのよ。そんな暇なかったわ。」

 ローズはボウラーに視線を向けた。

「ボウラーさんあなたに会えたことも幸運だった。あなたのおかげで事件の全容」

「それはこちらからも礼を言うよ。何も知らずにあいつらのいうことを聞いていたら、次第によってはマティアスを助けることは出来ず事故として処理されるところだったよ。ありがとう。……俺も今日はこれで引き上げさせてもらうよ」

 ボウラーも後ろ手に手を振り去っていった。

 しばらくして怪我の癒えたマティアスの元にハルミタ家の使者がやって来たとの知らせがネロからもたらされた。ネロからの要請でローズも姿を消して同席をした。その席でマティアスは使者にハルミタ家への帰還を正式に拒否をした。

 長兄の死去、次兄の逮捕が相次ぎ、家督はその末の妹の家が受け継ぐことになったが、それらの騒ぎがその頃には長引いた争いにより持っていた会社の幾つかを失っていた。 
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