第2話

文字数 6,136文字

 変な女が現れた。新市街東端の倉庫番の一人ハー・ウォフェンが泣きついてきたのはエリオットがスイサイダル・パレスに出勤して間もない時だった。朝の茶に口も付けないうちにウォフェンが通話機越しに泣きを入れてきた。エリオットが仕入れた荷物に潜んでやって来た女が、自分の実家まで案内しろと騒いでいるらしい。女の母親は有名人で皇家とも関わりがあるという。そんな身分を嵩に騒ぐ手合いはたまにいる。ウォフェンも初めてではないはずなのだ。しかし奴の言葉はどこか怯えたようで支離滅裂で聞くに堪えない。泣きごとに嫌気がさしたエリオットはそいつを連れて店まで来るように怒鳴りつけた。

 昼過ぎにやって来たウォフェン達を一階奥に通し、エリオットは用心棒のライデンと共に一階へと降りて行った。営業時間前とあって今いるのは掃除係と料理番で静かなものである。

 奥の部屋に入るとウォフェンと若い衆が一人、彼らは緊張した様子で並んで座っていた。その対面に話に出ていた例の女が座っていた。女は出されたピッチャーの水を自分でグラスに注ぎうまそうに飲んでいた。どこか古風だが着ている物はかなり上質だ。使っている赤の染料は目が飛び出そうな額になるはずだ。砂漠で名のある部族の長の娘といったところか。

 二人が立ちあがり挨拶をした後、エリオットはライデンと共に奥の席に座った。

 ウォフェンが一連の出来事の説明を始めたが、それはすでにエリオットが通話で聞いた話だった。さっさとその先を話せとキレそうになった時女の声が響いた。

「またそこからか。ここにくれば楽園への道がわかると聞いたから来たのだぞ。ふざけておるのか」

 声と共に女の右手が鉛色に変わり指が鞭のように伸びる。蛸の脚のように蠢き、一本がピッチャーに巻き付き締め付け破壊する。陶器が木端微塵に砕け、破片と水が飛び散る。

「化け物か!」エリオットはおもわず口に出してしまった。

「何だと、またそれをいうか!」

 激怒した女の指が激しく波打つ。たとえそれが適切な表現であっても化け物は禁句のようだ。

「人形と言えといっただろう。わたしは大魔導師であり天才錬金術師でもあったリズィア・ボーデンが作りし最高傑作アイリーン。断じて化け物などではない」伸びた鉛色の人差し指がエリオットの首に巻きつく。

 この失敗をしたのはエリオットが初めてではない。ウォフェンも同じ過ちを犯していた。そのため彼は怯えてエリオットに連絡を入れて来たのだ。

「あのリズィア・ボーデンなのか?」ライデンが呟いた。

「知っているのか、ライデン」エリオットが声を絞り出す

「その圧倒的な力から破壊神とまで呼ばれた女だ。錬金術、魔法を駆使した砂漠の住処は楽園と呼ばれ、そこで支持者と共に暮らしていた。皇帝とも親交があったらしい」

「知っているのではないか。大体の位置がわかればよい。楽園に着けば謝礼もだせるだろう」

 アイリーンはエリオットの拘束を解き、指は人の物に戻った。エリオットは首と喉の無事を確認するようにさすっている

「今はもう何もないかもしれない」とライデンの言葉。

「どういうことだ」

「彼女はある時、突然楽園から姿を消しそれ以来行方不明、力を失った楽園は砂漠に帰ったという話だ」

「いつの話だ」

「二百年前か、帝都混乱期の真っただ中だ」

「それならわたしは二百年近くもも砂の中で眠っていたということか?」

 アイリーンはそれっきりしばらく黙りこんでいた。また彼女の怒りが爆発するのではないかと男達は気が気ではなかった。あの鉛色の指が本気を出せば首など簡単に引きちぎられそうだからだ。

「ここはこれでも帝都だったな。誰か当時を知る者に心当たりはないか?」彼女の声は幾分か落ちついていた。

「ローズさんなら何か知っているかも……」椅子の端に座っていたリカルドがおずおずと言った。彼は騒ぎの発端を作ったため引き連れられていた。

「ローズとは?」

「吸血鬼のアクシール・ローズさんです」

「あの女まだ帝都にいたのか?」

「いたのかどころか、この新市街はあの人のシマですよ」
 それから男たちは帝都新市街の現在の状況をアイリーンに説明した。
「なるほど、面白い。ではあの女の所に連れて行ったもらおうか。行くぞ。案内をしてくれ」アイリーンは立ち上がり外へ出て行った。

 男達は全員顔を見合わせた。まだ騒ぎから解放されそうにない。彼らは立ち上がり女の後追った。


 日が沈んだ頃、男達は塔に出向いた。今まで目にしたことのないようなフレアの怪訝そうな表情に出迎えられた後、塔の応接室へと通された。フレアの何か飲み物はとの問いに、エールと正直に答えたリカルドは、ウォフェンに激しく頭をはたかれることとなった。

 普通ならば塔でローズと直に話すことはしばらく自慢話になることだろう。しかし今回は別である。事前に連絡を入れたとはいえ、人ではない魔物に等しい人形を彼女の元に連れてきてたのだ。彼女の性格は温厚と知られているが、それは彼女の気に障らなければの話である。エリオットは時折漏れ聞こえてくるローズが絡んだ騒ぎの顛末を耳にしている。騒ぎの張本人達に何が起きたか知っている身としては、ローズの反応は気が気ではなかった。

 フレアが去って無言の重苦しい空気が支配する中、アイリーンが不意に頭を上げた。何かを目で追っている様子である。エリオットもその先を見ると長い黒髪の女が後方の空間に浮かんでいた。青白い肌の女、長身で身に着けたコルセットのせいで大きな胸がひどく目立つ。エリオットは女の正体を瞬時に悟った。

「こんばんは、お邪魔しております」エリオットは素早く立ち上がり深く頭を下下げた。他の者もそれに倣い慌てて立ち上がり頭を下げる。実はエリオットはローズの素顔を直に目にしたのはこれが初めてだった。今の立場を引き継ぐ際、ローズと会見を持ったのだが、その時の彼女の姿はいつもの黒外套に黒仮面といういで立ちだった。そしてエリオット、ライデン以外の者にはローズは伝説でしかない。

「こんばんは。皆さん、どうぞお座りくださいな」ローズの言葉に皆が着席する。

「ひさしぶり、でいいのか?」アイリーンがローズに声を掛けた。

「二百年は経つはずだから、そうなるわね」ローズはアイリーンを真っ赤な瞳でめねつけた後、右手に持っていた黒眼鏡をかけた。「確かにあのアイリーンのようね。それでは、まず……」ローズはエリオット達が掛けている椅子の背後を通り奥の座席へと向かった。

「エリオットさん……」突然、名前を呼ばれエリオットは身体を硬直させた。「あなたはどうしてこの造物をわたしのところに連れてくることになったのか、説明してもらえるかしら」

「それは……」「それは事故みたいなものだ」アイリーンがエリオットの言葉を引き取った。「わたしが彼らの乗り物を利用して、帝都まで来た。その繋がりでここまでの道案内を依頼した。それは彼らにとって止む追えない事ことだ。彼らに責任はない。咎めることはやめてもらいたい」

「ふん、もうお姫様気取りなのね。いいでしょう。聞かせてもらいましょう。ふぅっと消えていなくなったあなたが、二百年経った今になって現れたことをね」

「今になったのは、最近まで砂漠の地下に閉じ込められて仕方なく眠っていたからだ。目覚めたのは激しく揺さぶられたからだ、。そして外へ道を発見し這い出してみると二百年経っていた。どうしてそうなったか、から話した方うがいいか?」

「そうね、そこから始めてもらえると助かるわ」

「ローズお前もモーテン・ブロックのことは覚えいると思うが」

「あのモーテン・ブロックか」

「知っているのか?ライデン」とエリオット。

「おおっ、稀代の錬金術師と呼ばれた男で、流れ者だったが帝国の研究機関の中枢まで上り詰めた。しかしある時突然失踪……」そこでライデンは二人の女性の視線に気がついた。「あっ、これは失礼」

「かまわん。それよりブロックまで姿を消していたというのは本当か?」

「本当よ。あなたのお母様ボーデンと同時期にブロック、ウィング・ウェイ三世、それと皇帝の影、大勢の錬金術師その他さまざまな人々が謎の失踪を遂げている」

「え?ウィング・ウェイ帝は……病死では」とライデン。

「表向きは病により崩御ってことになってるけど、実際は行方不明になったようね。しばらく病床に伏しているとされた後、崩御が発表された。その原因と推測されるのがブロックが建造を任されていたという空中庭園と呼ばれる浮遊要塞。噂ではコバヤシが乗って来た船程に巨大だったという話よ。それも今はどうなったのかわからない。」

「ライデン知っていたか?」アイリーンが尋ねた。

「いや、そこまでは」

「アイリーン、あなたもついさっきまであなたも謎の失踪者の一人だった。それが突然わたしを訪ねて来て、お母様はどこ?帝国で何があった?と言われてもね。こっちこそ何があったって気持ちよ。わかる?」

「わたしにおまえのような精霊憑きの気持ちを推し量るようなことはできんが、知っていることはすべて話そう。お母様はブロックと空中庭園に懸念を抱いていた。陛下に願い出て図面を改めているうちに要塞は完成してしまったが、お母様の懸念は当たっていた。深くは聞いていないが奴は要塞を我が物とするため図面に手を加えていた。
 それを見抜いたお母様は陛下に報告し、秘密裏にブロックの捕縛作戦が展開されることとなった。わたしは奴の逃走を未然に防ぐために、砂漠の地下に隠された奴の研究所へと派遣された。
 奴の研究所の傍まで辿り着いた時、上空に巨大な火球が現れた。わたしは火球が巻き起こした熱と爆風で身体の半分ほどを失い、やむなく地下へと逃れた。その後地上はガラスに覆われ、わたしは閉じ込められた。この度の地震によりようやく解放され、現場の状況と命令遂行に失敗したことを、お母様に報告するため帰って来てみればこの状態だ」

「ってぇことはそのブロックが先手を打ったってことか?」エリオットが口をはさんだ。

「それはおかしいでしょ。ブロックの企みが成功し、空中庭園が彼の手に落ちたなら、それは帝国のみならず周辺諸国に対してかなりの脅威となったはず、そんな物を手にしてブロックが使わないはずがない。帝国が彼の捕縛を秘密裏に成功していても同じこと。しかし、事実はブロックや皇帝どころか建造されたはずの空中庭園まで行方が分からない。何かの事情で帝国がそれを隠しているとも思えない」

 この後もしばらくこの会談は続いたがそこで分かったことは、皮肉なことにアイリーンがもっとも事情に通じているということだった。その頃はローズのまだ正体はばれず、裕福な魔導師を装っていた頃である。その時知り得たのは噂のレベルにすぎない。何か大がかりな建造計画があり、多くの錬金術師がそれに誘われているのを耳にしていた程度だ。現在最年長格のオ・ウィンはその時は別の任務で他国にいた。要塞の存在は知っているとしても帰還したのは皇帝が消えた後のこと。何が起こっていたのかは知らないだろう。
 
「何があったか知るにはお母様に聞くのが一番速そうだな」

 アイリーンの放ったこの言葉が結論となった。



 極度の緊張を伴った会合を終えた男達が、東部のダンスホールまで戻ったのは夜中前のことだった。朝に食事を取ったきりで疲れ果てた男達にはエリオットから厨房のまかない料理が振舞われた。まかないといっても、ここは貴族もお忍びでやってくるダンスホール「スイサイダル・パレス」である。食材は上質で調理師の腕も一流とあって、倉庫の二人人組は出された料理を瞬く間に平らげていった。

「アイリーン、あんたお袋さんの居場所に心当たりはないか?他に立ち回り先とかだ」

 エリオットは東方の酒をちびちびとやっていた。彼の事務室では他は誰もしゃべる者はいない。いつも通り階下から打楽器の重低音が忍び込んでいる。

「わからん。ローズとも話したが、お母様とは楽園で暮らしていた。この帝都にも出入りをし、陛下とも交流があった。ほかにもお母様と付き合いのある者はたくさんおったが、二百年とは長いのだな。もうすっかり変わってしまっているようだ」

「人には二百年は長いな。呪われて、あんたの言い方だと精霊憑きでもそこまでこの世にいるのは少数だ。普通はだいたい五、六十年でいなくなる」

「それでは当時を知らぬものばかりで当然か。わたしはこれからどうすればいいのだ」

「とりあえず、予定通り楽園にいっちゃどうです」エールを片手にソーセージを齧っているリカルドが口をはさんだ。

「もう廃墟になって何も残ってないって話じゃ……」とウォフェン。

「ふぅ、今のところそれしかなさそうだな」とエリオット

 彼に男達の視線が集中する。

「とんずらした奴を探す時にまず当たるのはそいつのやさだろ。この場合は楽園だな。後は立ち回り先、こっちはもう望みはない。俺達が皇宮や特化に行ってお恐れながらと泣きつくことなんてできたもんじゃねぇ。アイリーンのことももう誰も知らないだろう」

「陛下もいないとなれば、そうだろう。わたしはお母様の傍についていただけだからな」

「そうなると、俺たちにできるのは砂に埋もれた楽園を掘り返すことだけだ。お袋さんやその側近、それにあんたぐらいしかはいれない隠し部屋とかはあったか?」

「地下のほとんどが案内なしでは通れない区画だ。陛下やその使い、何度か訪れたローズにも見せたことがない部屋がいくつもある」

「そこまでいくことができたら、お袋さんに何があったかつかめるかもしれん」

「もう……泥棒どもに暴かれてるってぇことは?」ウォフェンが懸念を口にした。砂漠の連中と付き合いのある彼はそういった話をよく耳にしている。

「その心配はない。入り口にはお母様が作った罠が仕掛けてある。下手に扱う者は食われることになる」

「食われるって?」リカルドが訝しげに呟いた。

「罠に巣くう精霊に食われるのだ。ちょうど、お前がその腸詰めを食うようにな」

「うひぃ!」アイリーンの言葉にリカルドはソーセージを握る手を思わず開いてしまった。慌てて掴もうとしても滑って拳から飛び出す。格闘しているうちに椅子から転げ落ちた。

「おいおい、バカやってないでさっさと食え、それから寝ろ明日もまた長いぞ」

「ええぇ!」倉庫の二人が声を上げる。

「ウォフェン、お前は仕事に戻れ、リカルドだったな?おまえは手伝ってもらう。俺も楽園とかいうのが見たくなってきた。そんなに遠くないんだろ」

「北の郊外、砂漠が始まる辺りだな」とライデンの声。

「それなら馬を用意すれば陽のあるうちに着けるな。アイリーン、中の案内は頼めるな?礼は期待してるぞ」

「わかっている。楽園にさえ行けば十分な謝礼を用意できるだろう」
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