間違い通話 第1話

文字数 3,166文字

 塔に肉屋が配達人フォロが訪れる時間は日没から少ししてからと決まっている。その時間ならメイドのフレアが不在でも主人のローズが出てきてくれるからだ。郵便や新聞と違い、肉を戸口に放置していくわけにもいかない彼としては彼女の対応はうれしい限りだ。出稼ぎに帝都へやって来て、あてがわれた仕事が吸血鬼の住処へ届け物だ。初めはおっかなびっくりでとんだ貧乏くじだと思ったが、取って食われる可能性がないとわかりすぐに安堵した。今では外套を着ていないローズの姿を知っていることで一目置かれている。

 そんなフォロが今夜、フレアに戸口で手渡したのは頭を外した豚の半身である。届けられる肉は豚が多いが部位は毎回違う。脚や頭の時もあれば、大盛りの内臓の詰め合わせの場合もある。基本取り置きは無く、その時間まで売れることなく残っている肉が届け物として選ばれる。何が届こうとフレアとしては不満はない。きれいに捌かれた肉が届けられるのだ。何の不満があろうか、食べる際に汚れるのが手だけとなるため都合がよい。

 フレアは狩りをすることなく食べ物が得られるようになったが、食べられる時に食べておく、その大原則は今も変わっていない。今夜のような展開は珍しくないのだから。

 ローズの着替えが終わり食事の時間となった。狩りを止めた二人は食事も人と同じようにほぼ定時に取るようになった。

 ローズのためにひと肌に温められた血液パックを三つ渡し、フレアは先ほどの豚の半身の下半身をテーブルの上に置いた。汚れないよう下に古新聞が敷いてある。胴体を爪で食べやすい大きさに切り裂き、腰の関節に爪を差し込み後ろ足を外す。力任せに引き裂かない。骨や腱も良い素材になるのだ。もう革細工をやらなくなって五十年ほどになるが、きれいな解体はまだ続けている。

 ようやく切り分けが済んだ背中の肉にかぶりついたところで、室内に通話機からけたたましい着信音が鳴り響いた。聞き心地のよい音に変えられないかコバヤシのゴトウに相談をしたことがあるが「どんな音にでも変更は可能です。ただし、どんな音でも急かされることは変わりません。ですからわたしは変更していません」との回答だった。

 音に急かされフレアは口の中の肉を呑み込み、傍に置いた鉢の水で手を素早く洗い、布巾で手を拭きつつ駆けつける。

「気を付けてください。イェンスさん、あなたは狙われています」

 受話ボタンを押しフレアが名乗る前に、切羽詰まった口調の女性の声が室内に響いた。明らかな間違い通話であるが先方は気付いていないらしい。

「脅迫状が届いていると思います。それはただの脅しではありません。奴らは本気です」

 通話先の間違いを先方に告げようフレアをローズが片手を上げ制止した。

「どなたですか、あなたは。会ってお話はできますか?」ローズが静かに尋ねる。

「……今はエリジウムにいます。もし来られるなら道中くれぐれもご用心を……」

 通話はそこで切れた。

「フレア、警備隊へ今の件を通報して、わたしたちもエリジウムへ向かいましょう」

 このように食事はいつ中断になるかわからない。



 「北方料理はエリジウム」エリジウムと聞きローズが思い出したのがこの一節だ。当然料理は口にしたことなどないが評判は聞いていた。そのためさほどの手間はかからず店を見つけ出すことができた。

 エリジウムと看板が掲げられた扉を開けると、フレアには懐かしい料理の匂いが漂ってきた。すっかり原型が崩れた帝都民のための帝国風北方料理店が多い中で、この店は北方民のための料理店のようだ。時間を掛け煮込んだソースの香りが店に充満している。フレアに馴染みのある西側の特徴が強い。

 フレアは入り口の受付係に目を合わせ微笑み軽く頭を下げた。先方もそれに応じ軽く頭を下げる。仕立てのよいお仕着せを身に着けているフレアはこのような店に訪れて怪しまれることはない。しかし、食事客とは思われないだろう。主人の命で予約を取りに来た、それか急な伝言を伝えに来た使用人と言ったところか。

 フレアは容易に受付係に近づけると思っていたが、それは店内に既に待機していた制服警備隊士により阻止された。フレアの来店に気が付いた大柄な隊士はすぐさま彼女に駆け寄り、その進行を阻んだ。

「こんばんは、ランドールさん。速やかな通報ありがとうございます」隊士は微笑みを浮かべフレアの正面に立ちふさがった。

「それは帝都民として当然のことをしたまでです」フレアもとりあえず合わせておく。

 隊士はフレアの前から動く気はないようだ。フレアが右側をすり抜けようと動くと彼もそれに合わせ行く手をふさぐ。

「これより奥は我々に任せてください。あなたには通報の件について幾らかお聞きしたいことがあります。お時間は頂けますか?」

 フレアが好きに動くことは許されないようだ。

「えぇ、もちろんです」警備隊相手に無理はできない。この先はあきらめるしかないだろう。

「では、あちらへ」大柄な隊士は受付係の背後にある扉を手で示した。

 フレアは頷いた。ここまでだ。後は姿を消している侵入しているはずのローズに任せるほかない。フレアは警備隊士に伴われ扉の中に入っていった。



 フレアが警備隊から解放され、食事が再開されたのは真夜中の鐘が鳴る少し前の事だった。食事を摂りつつ間違い通話の件で浮かび上がってきた事実を整理する。そうはいっても得られた情報は限られている。フレアはエリジウムと店内の誰に誰にも事情を聞けないまま追い返された。ローズも実のある聞き取りは出来なかった。

「まぁ、無理もないわ。誰も他の人のことは気にしていないの。一緒に来た家族やお友達と目の前に運ばれてくるお料理しか見てない。給仕に礼を言ってもその顔は気にもしていない。きっと給仕が人気役者でも気が付かないと思う。
 店の奥に通話機を使ったのも一人や二人じゃない。お金を取っているわけじゃないから記録も付けてない。目立つ人もなし。
 店に来た客が何人か機械を使った人はいたけど、その中にわたしたちに掛けてきた人はいない。予定を間違えて来ない友人や家族を呼び出しただけ、あぁ、自分が間違えていた人もいたわね。外から機械だけを借りに来た人が男女合わせて三人かいた。その中にあの彼女が含まれているんでしょうね」

「その三人の顔覚えてなかったですか?」

 肉を剥がした豚の肋骨をかみ砕く。骨まで食べるようになったのは帝都に来てからだ。それまでは大事な工作材料だった。

「黒と金色の髪の女性。それなりに身なりのよい長身と小柄な体格。どちらかが彼女でしょうけどあの辺りじゃ特徴にも何にもならない。二人とも慌てて入って来て慌てて出て行った」

「二人ともですか?」

「わざわざ店の機械を借りに入るほどに急ぎの連絡が必要だったんでしょうよ」

「……あぁ、これって思ったほど持っている人は少ないんですよね」フレアは耳たぶのイヤリングを指差した。

「便利なのにね」とローズ。

「警備隊にしても、ここに連絡してきた彼女のことは皆目わかってなさそうね。でも、イェンスが実在することは確かだわ。イェンス・ヨ・ハンソン、彼が重要人物であること以外はまだわからないけど、狙われているのは確かでしょうね。おそらく脅迫状は彼女の言う通り届いていて、それは警備隊には届け済みでしょう。既に捜査は開始されていた中で今回の通報で事態が動いた。その通報がわたし達からもたらされたのは予想外だっただろうけど。動きが速かったのはそのためね。通報でこの店の名が出たことで隊士が駆け付けてきた。イェンス脅迫に関する事実を知る者に事情を聴くために……。わたし達が来るまでにあの展開の速さというのはよほどの事よ」
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