第5話

文字数 3,665文字

 カーが生まれ育ったのはスラビアの最北部に位置するルスダビという村だった。四方を山に囲まれた盆地で、他の村や町とは遠く隔てられてはいたが、幸い土地は肥沃で農作物には困らなかった。狩りでも容易く獲物を得ることが出来た。
「それもこれも俺を引き取ってくれた寺院に祀られていた宝典のおかげと言われていた。俺の両親は俺がまだ小さい頃に亡くなって、身寄りがなくなった。そんな俺を僧侶のコロー様が引き取ってくれた。それ以来俺は寺の手伝いとかをしながら暮らしていた。寺にいたのはコロー様とシュウさん、俺と同じく引き取られたエンキと合わせて四人だった。暮らしはつらくはなかった。村の人が何かとお供えを持ってきてくれたから困らなかった。お祭りになればお堂で派手な衣装を着た人たちが一日中踊りまくっていたよ」
 カーは一度息をつき舌で唇を舐め、少しの沈黙の後に言葉を続けた。
「あの事件が起こった時、俺はちょうど使いに出ていたんだ。コロー様に頼まれてメレルさんの家に手紙を届ける用事だった。用事を済ませると寺の周りで人だかりが出来ていた。でも、いつものように賑やかで明るい雰囲気はなかった。それでよくないことがあったと俺でもわかったよ。コロー様とエンキが賊に襲われて切り殺されって聞いた。寺の中が荒らされお祀りしていた宝典も無くなったとのことだった。発見したのは所用でコロー様を訪ねてきたナリタケさんとそのお供の四人だった」
「そのナリタケさんというのは」とフレア。
「村のお金持ちです。庄家っていうのか、持っている農地を村の人たちに貸し出している大地主です」
「なるほど」とエリオット。
「彼らは戸口で声を掛けても誰も現れないことを不審に思って中に入った。そこで倒れているコロー様とエンキを見つけたんだ。宝典がないことに気が付いたのは駆けつけた地元の守備隊です。シュウさんも姿を消していて行方知れずになっていました。すぐに村を上げて賊とシュウさんの捜索が始まったのですが、成果は上がりませんでした。
 そのうちどこからかシュウさんが賊の手引きをして宝典を持ち逃げしたんじゃないかという噂が立ち始めて、俺はもうそれを聞くのが耐えられなくなって村を飛び出したんです。それから帝都に流れ着いたわけですが、まさかその帝都でシュウさんまた会うことになるとは……」
「具体的にその宝典にはどんな力があるか聞いたことはある」とフレア。
「豊穣の力、農地の作物を実りや木々の生育、命を育む力を司る精霊が宿っているとか、そう確かコロー様はいつもそう言ってました」
「よくある類のお守りって感じだな。だがそれは本物だったか」とエリオット。「そのためにコロー様とお前のダチは殺された?逃げたシュウは今もそれを持っていて一人占めしている。それでもめて奴は追われる身となった……」
 エリオットは思いつきを言葉に出してはみたもののしっくりとこないようだ、腕組みをし眉に皺を寄せる。
「それについてはここで議論しても始まらないと思う」とフレア。
「本人に会って聞くしかないですか」
「そうね」
 これはいつもの帰着なのだが、それが簡単にできれば苦労はない。

 今回の件についてローズはフレアに任せきりにしているが無関心なわけではない。もっぱら彼らの関心はシュウ・ジュンハツにあるようだが、ローズの関心は彼を追う泥使いの魔導師にあった。魔導師はフレアの動きを容易に阻み、事も無げに逃げおおせた。中々の力の持ち主と見える。それに彼がシュウの居場所をどのように嗅ぎつけたのかも興味がある。魔導師がシュウについて知っているのは大まかな特徴だけのはずだ。それならば彼がつけていたのはフレアとカーということになる。人であるエリオットの手下ならともかく、フレアに気づかれることなくつけまわすとなると簡単には事は運べない。魔導師が使った手法を確かめてみたい。
 ローズはシュウが務める店まで飛び、屋根の傍まで降りてみた。弱い気配を幾つも感じる。微弱ではあるがこちらを監視している。気配の一つに近づいてみるが、何者かが潜んでいるわけではない。だが気配は感じる。そこでローズが見つけたのは泥だった。壁に貼りつく泥汚れに見えるが、じっと目を凝らすと薄いながらも術式紋様が浮かんできた。他に見つけた二つにも同様の仕掛けが施されていた。
 思わぬものを見つけ出しローズは吹き出しそうになった。これは興味深い。それから一刻程時間を掛け新市街の東部を飛び回り、泥汚れによる術式の有無を探ってみた。発見された術式は三十を越え、地域にまんべんなく配置されていた。その一つ一つが魔導師と接続されているのだろう。魔導師はこれを使いエリオットの追手を観察していたに違いない。これが彼らを煽った理由だろう。彼らを焚きつけ、シュウとその先にいる自分を探すように仕向ける。魔導師はその成り行きを泥の感覚器を使って動きを追う。すべては魔導師に筒抜けになっていた。うまいやり方だ、一人で足を使うより遥かに効率的だろう。今日はフレアとカーの所在も捉えていたに違いない。そのためすぐさま現場へと駆けつけることが出来た。
 ただ一つ不思議なのは魔導師にはユアンがシュウであると目星がついて数日経っていたはずだ。その間魔導師は何をしていたのか、疑問が残る。なぜ、シュウを泳がせていたのか。

 陽は十分な高さまで上がったが、建物の中はまだ朝の残滓が留まっている。気だるげに歩く宿泊客と片付けのために忙しく立ち回るお仕着せの従業員。
 漆黒の魔導着を身に着けたカイ・ハイトはゆったりとした足取りで奥の壁際に設置された受付へと向かう。彼の姿を目にした者は足を止め道を譲る。好奇の目で見つめる者もいるが、ハイトは特に気に留めることはない。彼が身に着けているのは巨大な牙をむき出しにした大蛇が絡みつく意匠が施された魔導着だ、興味を引かぬわけがない。
「カイ・ハイトという。ナリタケ殿は部屋におられるだろうか。三階の五号室に泊まっているはずだ」カウンターの向こうにいる男に告げる。
 ややあって、男からナリタケは部屋で待っているとの返答が返ってきた。ハイトは軽く礼を告げると三階へと向かう。
 高額の報酬に引かれ、異国まで出張っての人探しは思いのほか手間がかかった。妙な女も絡んできている。女は凝った刺繍がほどこされた魔導着を身に着けていた。同業者に違いない。
 この仕事はさっさと済ませ、この地を引き揚げることが懸命だろう。ハイトは昨夜、自分が街中に張り巡らした小枝の目前での女の振る舞いを思い返した。
 女は小枝の機能を完全に理解しているにも拘わらず、何の手も出さず去って行った。まるでそれを探すこと自体を楽しんでいるかのような様子だった。明らかに変異した容姿と豪奢な身なりから相当の術者であることは間違いない。あの女と事を構えることになれば厄介なはずだ。
 三階まで上がり端から二番目の部屋の扉を軽く数回叩き名を名乗る。
「待っていたぞ。入ってくれ」ほどなく男の声が聞こえた。
 扉を開き室内へと入ると肥満が過ぎて、血色の悪い男が革張りの椅子に座っていた。赤黒い肌はにじみ出た汗で光っている。その脇に拳闘士崩れの男達が四人立っていた。眼差しは皆威嚇的でハイトを油断なく睨みつけている。
「お前がここにやって来たということは、シュウの行方は掴めたんだな」
「目星はついた近日中にも会わせることは出来るだろう」
「会わせる?居場所を掴んだわけじゃないのか?」
「それはまだだが、おびき出すことは可能だろう」
 あのシュウという男は正に神出鬼没で、ハイトが帝都の東部に張り巡らせた監視網をもってしても居場所を特定することは出来なかった。監視網の外に転移しているようだ。だが、昨夜は騒ぎに乗じて枝を忍ばせることに成功した。街に現れれば間違いなく捕らえることが出来る。
「おびき出す?どうするつもりだ」
 いちいち面倒な男だ。少しは自分の頭で考えてどうなのだ。
「ちょっとした揺さぶりをかければいい。すぐに顔を出すだろう。後は俺が奴の元へ案内しよう」
 その手についてはまだ考えてはいないが、あの若い男女二人組をが何とかしてくれるだろう。自分はそれを追えばよい。
「いいだろう」
 不満はあるようだが、ナリタケはとりあえず納得はしたようだ。
「任せてくれ」
 だが、あのシュウという男はあの身のこなしからして、ここにいる雰囲気ばかりで一束幾らの取り巻きが敵う相手ではない。金髪の少女も同様だ。あれは人ではなさそうだ。彼女が加勢すればこの連中は五を数える間も持たないだろう。そうなったところでハイトとしては特に問題はなく心も痛まない。ハイトの役目はシュウを探し出し、その面前にナリタケ達を連れて行くことろまでだ。そこまでの契約で報酬は既に受け取っている。そのための前払いだ。
 ことによっては加勢しないでもないが、それには追加料金が発生する。その辺りは説明はしてあるはずだ。この男と取り巻き達がそれを覚えて、理解しているかは別問題となるが。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み