フレアの祝祭 第1話

文字数 3,304文字

 今、帝都は「諸聖人の夜」を迎え祝祭の雰囲気に満ちている。死者の霊がこの時期に家族の元へと戻って来ると信じられている。それに紛れて同時に有害な精霊などもやって来ると言われており、そのため人々は身を守るため仮面を被り魔よけの火を焚いていた。やがて、古くから続けられている習わしは仮装を伴うお祭りへと変化していた。週末には各所で仮装大宴会が催されることだろう。

 祝祭初日である月曜日の夜、ローズは正教会主催の慈善競売会に顔を出していた。主役は正教会と繋がりが深いフレアであり、ローズはその付き添いとしてやって来た。正教会の催しにやって来る吸血鬼と狼人。いつものことでもうこの光景を奇異に思う者など一人もいない。それどころかフレアは競売開始の際の挨拶まで依頼されている。そして、フレアの言葉は満場の拍手を持って受け入れられるだろう。

 広い会場には競売を控えた品々が並べられている。家具に宝飾品、刀剣類その他,
獣のはく製や頭の置物、さらに有名役者と楽屋で会える芝居への招待券なども混じり込んでいる。

 その中でローズの興味を引いたのがフレアの身の丈ほどある姿見だ。幅も大きくフレアの体が十分な余裕を持ってはいりそうだ。鏡本体は優美な蔓草文様の錬鉄で囲まれ頑丈な脚で支えられている。

「ローズ様……それはお買いになっても……」フレアは鏡に見入るローズに慎重に声を掛けた。

 吸血鬼が鏡に映らないのは間違いない。現に鏡の中にローズの姿はなく、映っているのは隣で鏡を覗き込んでいるフレアと、ローズの後ろで戸棚の品定めをしている若夫婦の姿だけだ。

「もちろんわかってるわ」とローズ。

 やはり、姿は映っていないのだ。ローズ本人の眼には入っているわけではないらしい。

「でも、部屋に置いても法に触れるわけではないでしょ。あなたが使うといいわ」

「そうですか、ありがとうございます」

 ローズはそれ以上何も言うことはなく鏡から離れていった。



 競売会はフレアから訪れた客たちに謝辞を述べ、祈りを捧げた後に開会が宣言された。壇上にはフレアに代わって競売人が現れセリが開始された。厳かな雰囲気は消え競争の場へと変わる。まず最初に出てきたのはお手頃価格の風景画、二人で始まったセリだが予想価格を僅か上回った辺りで一人が降りあっさりと決着がついた。それを皮切りに様々な品がセリに出されていく。

 穏やかに時には睨み合いの後に訪れた客は望みの品を手に入れる。当然ではあるが勝負に負ける者もいる。ローズの後ろにいた若夫婦は目当ての戸棚に予算が及ばず涙を飲んだが、革張りの応接椅子のセットは手に入れた。少し革がくたびれているように見えるが本人たちはかまわないようでご機嫌だ。

 話題の品となっていた揃いの剣と盾にはまずは五人が名乗りを上げた。イングウェイ帝より下げ渡され儀式用の剣の一つで、実戦に耐えられる強度はないが美術品としては申し分ない。皇帝の名で箔もついている。

 最低落札価格を楽に超えて、それでも勢いを失うことなく予想価格へと迫っていく。それを二万越えたところで二人がため息をつき番号札を降ろした。まもなく、一人が横に座っていた妻の手によって降ろされた。一時は抵抗を試みた男だったが妻の目を見て腕の力を抜いた。

 残った二人の勝負は更に一万と五千の金が投じられた後に決着がついた。落札した男は周囲に軽く手を振り着席した。手数料を合わせれば競売運営側にもいい儲けになるが、今回はその九割が正教会に流れることになっている。

 ローズは何点か品定めをしていたが、まだ動くことはなく様子を眺めているだけだった。周囲の反応に合わせて手などを叩いているだけだ。

 やがて、ローズが興味を持った姿見が舞台へと上がって来た。重厚な作りだけあって係員二人が持ち上げ左右を支え蟹歩きで持ち込まれた。

「次はこちらの姿見です」

 競売人による商品の紹介が始まる。来歴などに特筆すべき点はないためそれらは省かれている。

「以前の傷などはきれいに修復されているため、新品同様となっています」

 それは言い過ぎな気もしたが状態の良さは確認している。

「では、千からいかがでしょうか。千の方はいませんか?」

 ローズの左方向から札が上がった。大きな羽根飾りが付いた帽子を被ったご婦人だ。

「では、千五百はいませんか?」

 ローズが五十三番の札を上げた。会場に軽いどよめきが広がる。皆、吸血鬼と鏡の取り合わせに驚いているようだ。ローズは軽く腰を浮かせ皆に会釈をした。次の二千にご婦人は札を上げたまま頷いた。こんなやり取りが四千まで続いた。ご婦人が降りローズが落札かと思われた時、前列の左方向にいた男が札を上げた。少し額が広くなった頭には整髪油でまとめられた黒い髪が後ろに撫でつけられている。ローズに向かい振り向き口角を上げ微笑みかけた。交戦開始の合図だ。

「四千五百はいかがでしょうか」競売人の声が聞こえた。

 ローズは頷いた。

 姿見は二人のやり取りによって予想価格を遥かに上回り七千まで上がった。しかし、男は引く様子は見せない。ローズも半ば意地になり札を上げ続けている。

「七千五百では?」

 ローズは札を左手で掲げた。だが、フレアはあの鏡にそこまでの価値は見いだせない。

「八千はいかがでしょうか」

「ローズ様……」フレアはついに思いを声に出した。

「……わかったわよ」

 競売人に応じるのは男しかいなくなった。競売人が最後の確認を連呼する。しばしの静寂が会場を包む。そして、木槌の音が鳴り響く。

「二十一番落札です。それでは次に参ります」

 男が振り返りまた同じ笑みを浮かべた。

「何か感じ悪いですね」フレアは呟いた。

 ローズは無言だ。競売続いていく。舞台に出てきたのは東方風の折り畳み式の屏風である。右端には虎が描かれ左端にはそれを綱で一本で捕えようとする少年僧が描かれている。競売人によると東方の故事による絵柄らしい。

 三人が札を上げ再び場は盛り上がり始めた。



 結局、ローズは何も買うことはなく幾らかの金を募金箱に入れ、居合わせた知り合いと挨拶を交わした後フレアと共に会場を後にした。玄関口の短い階段を降り、車止めに向かう途中で「待ってくれ!」の声に呼び止められた。振り向くと建物の玄関口から男が飛び出してきた。ローズと競り合いの末、姿見を落札した男だ。

 低い階段を一気に飛び降り、よろけながらも持ち直し二人の前に回り込んだ。競売会場から駆け下りてきたのか息がえらく上がっている。男はローズ達を呼び止めた後は体を二つに折り、両手をひざに折りしばらく声を出せないでいた。

「こんばんは、あんた、アクシール・ローズなんだろ」まだ、息が収まらないのか、緊張しているのか男は上ずった声でローズに話しかけた。上着の中をかき回し名刺入れを取り出した。

「わたしはヨアヒム・ハンスというんだ。よろしく」

 ハンスは自己紹介と共に名刺入れから取り出した一枚をローズに手渡した。ローズはそれを一瞥してからフレアに手渡した。

「さっきのセリは実に興奮した。あんたと競い合えるなんてなかなかできることじゃないからな」

 確かに一種の興奮状態に陥っているのだろう。若干の早口で一方的にローズに話しかけてくる。

「さっきの姿見だが、まだ興味があるなら譲りたいと思っている」また上着の中をかき回しもう一枚紙を取り出してきた。「明後日だ、水曜日にここまで来てもらえないか。それが条件だ。改めて話がしたい」

「それだけで姿見を譲っていただけると」とローズ。

「その通りだ」

「嘘ではないでしょうね」

「嘘はつかない。あんたに嘘は通用しないんだろ」

「よくおわかりで」

「必ず来てくれ。屋敷で待ってるよ」ハンスはそこまで話すと力を使い切ったかのようにふらふらと建物へ戻っていった。

「何だったんですか、あの人は」フレアは去っていくハンスの背中を追いながら呟いた。

「聞いての通りよ。姿見を渡す代わりに会って話がしたい」

「まさか、そのために姿見を落としたでしょうか」
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