解放者駒鳥 第1話

文字数 4,400文字

 忙しい西方視察旅行も最終日を迎え、後は帰国するだけとなった。船の出港を待つ間、魔導騎士団特化隊隊長フィル・オ・ウィンと副官のエリン・エヴリーは付近に散歩に出かけることにした。
 二人はあまり遠くまでは行かないようにと助言を受けた後、船から降りることを許された。もとより、街まで戻り買い物をするほどの時間はないため、できるのは埠頭をふらふらと歩き回るだけである。
 客船用の埠頭とあって大勢の人が行きかい、馬車、荷車が走っていく。露店主や物売りの声が聞こえる。二人は人の流れに従い街の方へと歩いていった。二人とも平服姿とあって物売りや乗り合い馬車の御者たちが声を掛けてくる。しかし威圧的な雰囲気は全くない。見た目は子供のオ・ウィンに対して笑顔で手を振ってくる者もいる。地元ではない反応に二人は戸惑いを隠せない。
「女子供二人でゆったりと歩けるというのは新鮮だな……」
「ええ、帝都では難しいでしょうね」
 二人とも帝都の港湾地区にあまりいい印象を持っていない。ローズの強い影響下にある新市街はもとより、旧市街の港であっても散策に適する場所とはされていない。今のオ・ウィンとエヴリーのように見える身なりの良い親子連れならなおさらである。
 しばらく歩いていると、二人は小奇麗な広場に行きついた。街へと向かう道路の右手に現れた短い石段、その先の広場は公園として整備されているようで石造りのベンチが多数配置されている。広場中央には武器を掲げ、今にも動き出しそうな躍動感のある男の石像が設置されていた。台座の元には多数の色鮮やかな花束などが飾られており、男が地元民に親しまれている存在であることが良くわかる。
 不思議な好奇心に囚われたエヴリーは石像の前まで来てその理由を悟った。男の姿の奇妙さである。どこか帝国風のなのだ。このような場所に安置され、万全の手入れを受けていることから、男はこの国もしくはこの地方の英雄的存在なのだろうとエヴリーは考えた。
 しかし、その姿は古い帝国風の軽鎧を身に付け、東方風の直刀を掲げている。その風貌は属州からの移民を思わせる顔立ちの筋骨隆々たる男。帝国内ならともかくこの地では珍しいはずだ。
「解放者?駒鳥?」エヴリーは台座についた銘版の文字を声に出し読み上げたが今一つ意味がわからない。駒鳥と呼ばれた人物の石像なのか?それともただ単にそういう名前に芸術作品なのか。
「それは解放者駒鳥の石像です」背後から男性の声がした。「こんにちは、ご旅行の方ですか?」
 声の主は彼女たちの背後にいた。身なりの良い高齢の男性でエヴリーが石像を見入る様子を目に留め声をかけてきたようだ。
「こんにちは、二週間ほど前からこちらに来ております」エヴリーも挨拶を返す。
 オ・ウィンも元気に挨拶をし、普通の子供のふりをした。二人とも浅黒い肌に黒い髪である。男が親子連れの観光客と思うのも無理はない。
「それは解放者駒鳥と呼ばれる男の像です。彼の行動によりわたし達は王制から共和制へ移行する足掛かりをつかむことができたのです」
「昔の抵抗組織の指導者の方ですか?」帝国の隣国とあって、そして治安機関の一員として、エヴリーもこの地の歴史、内情についていろいろと知っていたが、今はこの程度で留めていることにした。
「あぁ、いえ……」男は言葉を詰まらせた。「それが実際彼が何者だったか、それはいまだにわかっていないのです。わかっているのは近東風の風貌で自らを駒鳥と称していたことだけです。今から二百年ほど前のことです。我が国は非常に荒れた状態にありました。彼は当時の反王朝を掲げる抵抗組織、ヴォルパ・ロサの前に突然現れ、彼らを率いて王宮に忍び込み、狂気王と呼ばれたハマ六世を討ちました。そして彼は王討伐の成功を街の仲間に知らせるために王宮の最上階から狼煙を上げました。それを目にした市民が蜂起し、その勢いがやがて全土に伝わり共和制樹立に繋がったのです」
「駒鳥もそれを手伝ったのですか?」それほどの活躍をしたのならエヴリーでも一度は耳にしてもよさそうだったが、彼女はそんな話は一度も聞いたことがなかった。
「駒鳥は王を討ってすぐに姿を消しました。現れた時と同様に突然に、何の痕跡も残すことはなく、そのため本当は駒鳥などという男はいなかったのではないかという者もいます。ヴォルパ・ロサのでっちあげではないかと」
「それもおかしな話ですね。自分たちの功績を居もしない男に渡すなんて……」
「謎の多い男ですが、この街の英雄であることには変わりません。ですから、解放記念日が近づくと、この石像にこうしてたくさんの花が添えられるのです」ここで男はオ・ウィンの表情に目を止めた。「おっと、君には少し難しかったかな、まぁつまりこの人は昔の偉い人で今でもみんなが大好きということだよ」
「では、これで、良い旅を」男は手を振り去っていった。
 エヴリーも軽く会釈をし、そして、ややあって「どうしたんですか?ただの話し好きのお年寄りですよ。それを不審者でも見るような顔をして……」
「すまん、話の内容に少しとまどってしまったんだ。まさかこんなことになっているとはな、昔の偉い人で今でもみんなが大好きときた、駒鳥はそんな男じゃない」
「まるでこの駒鳥を知っているような口ぶりですね」
「まぁな、知っているよ。いやなほどな……」
「まさか、駒鳥と何かあったんですか?」この国が共和制へと移行したのは大体二百年ほど前のこと、オ・ウィンなら十分に実体験している時期である。
「聞きたいか?聞きたいなら話してやる」
 オ・ウィンはすぐ傍のベンチへと歩き出した。

 今でこそお互いに使節団を送り友好的に交流している両国だが、以前は緊張状態にあった時期が幾度かあった。もっとも最近の時期としてはウィングウェイ三世が在位していた二百年前のことである。当時の帝国は領土の拡張政策を推し進めており、この地の制圧も考えられていた。しかし、そちらに回す兵力の余裕は少なかった。そこで白羽の矢が立ったのが影と呼ばれていた敵対者の暗殺や皇帝の警護を担っていた特務部隊である。彼らの手により当時狂気王と呼ばれていたハマ六世を暗殺し、その混乱に乗じて勢力を伸ばし始めていたコレダー家を支援し帝国の傀儡王として利用しようという計画が立案された。
 荒唐無稽に思われた作戦計画も皇帝の鶴の一声で実行に移されることとなった。調査により王宮から市街へと続く地下道の存在が判明し、そこから小編成の隊が王宮へ突入しハマ六世を討つ作戦が立案された。地下道を模した通路で訓練を積むこと一カ月オ・ウィンを含む任務班は現地へ乗り込むこととなった。

「隊長はこの街は初めてだと言ってませんでしたか?」
「公式にはな、我々の活動がすべて公にできるものではないことはお前もわかっているだろう」
「はい」
「あの頃はまだ俺もまともな大人の身体だった。ユウナギとの契約は結んではいたがな」オ・ウィンは自分のちいさな手と眺めた。「まぁとにかく、俺たち任務班はイカれた王様から民衆を解放するという大義の元、この港までやってきた。到着したのは今回と同じく夜になってからだった。だが、迎えの馬車なんて洒落た物はなかった、全員目標の地下水道の排水口まで徒歩での移動だった」

 侵入口となっていたのは港からほど近い地下水道の排水口だった。入り口には侵入防止用の鉄格子がはめられていた。内部からは腐敗臭が漂い、鉄格子にはごみが絡みついている。
「地下水道ではなく地下下水道だな」誰かが呟いた。
「オ・ウィン」
 呼ばれたオ・ウィンは大太刀ユウナギを手に前へ、他の者は後ろへと引いた。彼は手にした長物を頑丈な鉄格子の前で巧み扱い、微かな火花と金属音と共に数本の鉄格子が断ち切られ、地下水道への進入口が確保された。
 照明は腕に装着した小型のランタンからの光のみでオ・ウィン達は仄暗い地下水道へ突入した。
 一カ月に渡る訓練により地理的な事柄は把握していた任務班だったが、現場は予想以上に酷い場所だった。地下ということで多少の匂いや湿気などは想定内だったが、王が非常時に逃走路として使用するとのふれこみにある程度の整備はなされていると思われていた。
 しかし、それは大きな間違いでここは地下水道ではなく下水道であることがわかった。それが彼らをまず滅入らせた。帝都にも地下水道網が張り巡らせてあるが、そこは魔物がすむと言われ生者が赴く場所ではないとまで言われている。ここはそれと同レベルと思われた。
 任務班は吐き気を催す猛烈な臭気と飛び交う虫を払いつつ先へと進んだ。行程の半分ほどの場所に隠し扉があり、そこから王宮に繋がる乾いた地下道となる。そこまで行けばこの汚水の流れから逃れることができる。その思いから皆の歩は早まっていた。
 まもなく隠し扉というところで足元の水の様子が変わった。足首程だった水位が脛より高くなり、粘度が強くなった。泥濘のように抵抗がある汚水の中を進むうちにオ・ウィンの後方で大きな水音がした。足元が滑りやすいために誰かが派手に滑って転んだのだろうと思った。オ・ウィンは背後にランタンの光を向けた。当然その中には汚れた水の中に尻もちをつきバツが悪そうに笑っている仲間の姿が浮かびかがるものと思っていた。しかし、そこには波打つ水面しかなく何も見当たらなかった。他に灯りも加わり水面が照らされたが。汚れた水以外何も見当たらない。何が起こっているのか、それを考える暇もなく前方の闇の中で水が跳ねる音がした。オ・ウィンの足元にも何物かの動きが感じられた。
「水の中だ、水の中に何かいるぞ」
 オ・ウィンはユウナギの切っ先を足元の澱みに突き立て水面を切り裂いた。刀身に僅かな震えが伝わり足元から粘りが消えた。それもつかの間、水は開き直ったように波打ち暴れ始めた。水の中で何かが激しく動き回る。そして任務班の男達の前に水しぶきと共に水塊が立ち上がった。ランタンの光に浮かび上がるその姿は、ぬるぬると光る肌と細く小さな腕を持った大蛇といったところだ。素材が汚水とあってごみやネズミや虫の死骸が体内に浮いてるのが見てとれてその禍々しさが倍加している。
 水蛇のすぐ傍にいた班員が素早くそれを剣で斬り伏せた。水面から断ち切られ水蛇はその力を失う前に弾け、汚水を周囲に飛散させた。当然任務班の面々はそれを頭から浴びることとなった。一太刀で破壊できる魔物ではあるが、瞬く間に復活し襲いかかってくる。汚水まみれになりながらも十体ほどの水蛇を倒したあたりで班員達がその場に倒れ始めた。皆力無くくず折れ、澱んだ水の中に沈んでいく。オ・ウィン自身も突然の眩暈と身体の痺れに襲われ気を失いその場に倒れた。
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