第8話

文字数 4,491文字

 日が暮れて、マクラタは自室へと戻ってきた。もうすぐ夕方の銅鑼が鳴るだろう。夕食に備えて着替えを済ませなければならない。夕食はまた一人で取ることになる。そう思うとマクラタは気が重くなってきた。寝台に座り息をつく。旅亭内のどこにいても視線を感じ、まったく落ち着くことが出来ないのだ。 視界の隅に何かを捉えその都度、目をやるが何もない、その繰り返しだ。止めておこうとしても見てしまう。

「首飾りを返して謝るしかないでしょうね。まぁ、わたしの知ったことではないですが」
 
 ハンナはそう言い残し去って行った。呪いから逃れた彼女はもう気楽な身分のようだ。

 最初は首飾りをさっさと売り飛ばし、大枚を手に入れラカワと二人で祝杯を挙げるつもりでいた。だが、危ない橋を渡って首飾りを手に入れたにも拘らず、取引は頓挫しかけた。首飾りが目立ちすぎるからだ。買いたたかれるのを覚悟の上で売り払わなければならないかと思った矢先、うまい具合に買い手が見つかった。何としても手に入れたいとのことだった。

 山奥の湖まで呼び出されラカワの指示に従って過ごしていたが、商談の動きはひどく遅い。昼にやっと買い手と会うことが出来た。どこで見ていたのか、買い手から直接ラカワに呼び出しが来たようだ。

 顔合わせは終わったようだが、実際の商談はまだ先のようだ。おかしくはないかとラカワに尋ねても物が物だけに慎重になっているのだろうと取り合ってはくれなかった。

 廊下から大きな銅鑼の音が聞こえて来た。気が重いが座ってはいられない。

「もう少しの我慢……」で済めばいいのだけど、マクラタは後半は声に出さないでおいた。現実になっては怖い。

 マクラタは渋々立ち上がり着替えが収められている収納棚に向かった。服を取り出すために扉に手を掛けた時、何かを叩く音が聞こえた。扉ではなくもっと音程の高い音だ。窓の方からか。そちらに目を向ける窓の向こうに女が立っていた。群青の夜会服に白く輝く髪、ネネだ。マクラタが使った凶器である燭台を逆手で持っている。ここは二階なのに宙に浮かんでいるのか。瞬きの後にネネの姿は消えた。

「相手は扉や窓、鍵も関係なく入ることができる連中です」ハンナの声が蘇ってきた。

 最初は目の前に現れるだけ、やがて実際危害を加えるようになり、最後には息の根を止める。今はどの段階なのか。 昨夜の出来事は夢か現実か判断がつかない。

 マクラタが夢を思い返している隙にネネは部屋の中に入っていた。窓際からマクラタに向かってゆっくりと近づいてくる。そして、燭台を振り上げ襲いかかってきた。大きく振りかぶる攻撃を一度、二度とかわし、三度目は受け止めることができた。二人で燭台を手にしての奪い合いとなったが、何とか奪い取り床に投げ捨て蹴り飛ばした。燭台は寝台の下へと滑って見えなくなった。 ネネは燭台を求め寝台へと向かう。

 ネネが燭台に気を取られている隙にマクラタは扉へと急いだ。扉さえ開ければ外に出られる。マクラタは扉に取り付き取っ手を回した。しかし、鍵が掛かっていて扉は開かない。そう、鍵は入室した時に流れで閉めておいたのだ。慌ててすぐ下にあるつまみに手を掛けて回そうとしたが回らない。回らないどころか、全く動きもしない。どうなっているのか。

こんな物にはかまってはいられない。マクラタは扉を激しく叩き始めた。

「助けて!助けてください!」

 叩きながら大声を上げ救助を求める。

「助けて!助けてくだ!」

 背後から首を掴まれ、扉に叩きつけられ強い力で押し付けられる。頭に激痛が走り、首に圧力が加わり喉が圧迫され声が出なくなる。それでもまだ手と足は動く。右手で扉を叩き、左腕を後方に振り回す。意識が薄れ朦朧とし始めた頃、不意にマクラタを拘束する力が緩んだ。それを好機として、マクラタは拘束を振りほどき扉を開き廊下へと転がり出た。

 部屋のすぐ外にはマクラタの叫びと物音に反応して客室係と正装に着替えた宿泊客が並んでいた。他の客を目にして安堵したマクラタは足から力が抜けその場に座り込んだ。

「何があったんですか?」女の客室係が跪きマクラタに声を掛けた。

「部屋に中に人がいて襲われました」

「えっ……」

 マクラタの言葉に客たちは一歩退いた。そして退けた腰で扉が開いたままの部屋を覗き込んだ。扉から見る限りは人影はない。マクラタも覗くがネネの姿はない。

「人が隠れていたという事ですか」と客室係。

「窓から入って来たのかもしれません。寝台の下に彼女が殴ってきた燭台があるはずです」

「窓から?」

「いえ、部屋に隠れていたんだと思います」マクラタは慌てて訂正をした。「すみません。いきなり襲われて気が動転してしまって……」

「そいつはまだ部屋にいるかも知れないな。出てきた人影は見てはいない」正装の男が呟いた。

「そうね」と隣にいる女。

 客室係は立ち上がり、マクラタの部屋へと入っていった。左右に用心を払い部屋の奥へと歩いて行く。客達も扉の外からそれを眺める。寝台の横まで行くと床まで垂れ下がっている敷布を捲りあげ、屈みこんで寝台の下を覗き込む。ややあって彼女は立ち上がり首を振った。それから窓の鍵を確かめた。鍵は閉められている。他に人が隠れることが出来そうな化粧室や収納棚の内部を確かめた。だが、何も発見することはなかった。最初は心配げにマクラタを見つめていた客達の眼差しも不審の色を帯びてきた。

 次に一人になったらきっと殺される。また夢だと思われたら後がないとマクラタは感じた。

「本当なんです。信じてください」

「襲ってきた犯人の顔を見ましたか」客室係が問いかける。

「はい」

「知っている顔でしたか?」

「……」

「知らない方ですか?」

「それは……」それはどう言っていいのかわからない。

 客室係は顔をマクラタの耳元まで近づけてきた。そして、囁きかける。

「いっそのことその方に謝ってみてはどうですか。預かっている物があればすぐ返すことにして」 聞こえて来たのはハンナの声だった。

「えぇ!」驚き顔を上げる。目の前にいるのは優し気に微笑む客室係で周囲のハンナの姿はない。

「どうかしましたか」

「もう、後はないと思いますよ」再び声が聞こえた。「死にたくなければ首飾りを返すことです」

 立ち上がり周囲を窺う。誰かに襟足を捕まれ締め付けられる。振り向くが誰もいない。今度は喉元が苦しくなる。肩に強い力を感じ、両手が下へと引っ張られる。

「誰か他にいる。助けて、追い払って」

 一人でもがき苦しむマクラタに客たちは怯える。彼女は前にいた男に手を伸ばすが、彼は慌てて後ずさった。一緒に居た女も彼の後ろに隠れる。

「返すわよ!返せばいいんでしょ!」

 不意に身体中を覆っていた重圧が解け、動きが自由になった。マクラタは前方へと走り出した。



「ハンナ達はいい芝居をするね、他の連中もだ。惚れ惚れするよ」ファンタマは廊下での一幕を天井に同化して貼りつきながら眺めていた。

「いい子達でしょ」とアボットの声。

「さぁ、いよいよ最後だな」

 天井に貼りついていたファンタマは床に降りマクラタの後を追った。

 部屋の前に集まっていた客たちが呆気にとられるのをよそにマクラタはラカワの部屋の扉を力任せに叩いた。

「ラカワ開けてお願い、ラカワ!」

 扉が小さく開き、着替え中のラカワが顔を出した。

「何だ、ここへやって来るのはまだ控えてくれと言ってただろう」ラカワは抱き寄せたマクラタに声を潜め言い聞かせた。

「お願いラカワ、もう後がないの」

 マクラタはラカワの抱擁を解き室内へと駆け込む。後ろ手で扉を閉め、真っすぐ寝台へと走る。

「何のことだ」意味が分からないラカワはマクラタの背中を追いかける。

「婆さんとの取引は明日なんだよ、明日まで待ってくれ。そうすれば予定通りの金が入る。食うに困らない金が入るんだ」

「それじゃだめなのよ。あの首飾りはもう返しましょう」

 マクラタは寝台の下から旅行鞄を引きずり出し、敷布の上に乗せる。慌てた手つきで鞄を開き、中のラカワの私物を寝台の上にぶちまける。下着にもつれて連発銃が転がり出る。

「落ち着いてくれ。あと少しなんだよ。我慢してくれ」

 ラカワはマクラタの突然の暴挙に戸惑い、なだめることしか出来ない。

「それじゃだめなのよ、手遅れになってしまう!」マクラタは絶叫する。

 お互いの状況認識がまったく違って、会話が成り立たない。

 マクラタは隠された間仕切りを乱暴にこじ開け、「湖水の輝き」が収められた箱まを見つけた。顔に病的な笑みが浮かぶ。

「あぁ、これがあれば、これさえあれば」

だが、箱を開け収められた首飾りを目にして瞬時にそれは絶望へと変わった。

「違う……これじゃない。こんなの……」青ざめたマクラタの口から切れ切れの言葉が漏れ出してくる。

「おい、何を言ってるんだ」

 ラカワも鞄の傍に駆け寄りマクラタが視線を注ぐ先に目をやる。そこにある多くの青緑の珠をあしらった首飾りに目をやった。彼の表情も一瞬にして曇った。明らかに「湖水の輝き」ではない似て非なるまったく別の首飾りであることに気付いた。

「どういうことだ……」

「本物をどこへやったの?すぐここに出して!」叫ぶマクラタの手には連発銃が握られていた。その銃口はしっかりとラカワに向けられその距離は拳一つ分もない。

「知らない!俺じゃない!」

 ラカワはその場から飛びのいた。逃げ回るが銃口は彼を追い回す。

「信じてくれ、俺じゃないんだ!助けてくれ!」

 両手を顔の前に上げ命乞いをするラカワの背後にネネが姿を現した。

 今度は殺される。迷わずマクラタは引き金を引いた。連続する轟音に我に返ったマクラタの目の前にラカワが倒れていた。彼は胸から血を流し、頭部が弾け飛んだ無残な遺体となって横たわっていた。自分が手にした連発銃からは細い白煙が上がっている。状況を悟ったマクラタは絶叫の後、銃口を胸に押し付けた。そして、また轟音が一つ。

「全部終わったよ」ファンタマはアボットに報告を入れた。

「ご苦労様」

 アボットの声が頭蓋に響いた。


 廊下で銃声を耳にした宿泊客はすぐさま旅亭の客室係に通報をした。不思議なことについさっきまで一緒に居たはずの客室係は姿を消していたのだ。知らせを受け部屋に入った彼らが目にしたのは銃撃により死亡した惨たらしい男女の遺体だった。

 何らかの原因で不安を訴えていた女性が別の泊り客の男性を殺害し、自分も自殺した。廊下へと漏れ聞こえていた会話から二人は知り合いであろうことまではわかったため、女の手による心中事件と判断されたがそれ以外の詳細は以後も全くわからずじまいとなっている。

 ウセロはその数日後に旅亭周辺の森で発見された。彼によると目覚めると着の身着のままで山中にいた。偶然歩き回っている最中に発見した川を下流へと歩いていると湖の畔に出ることが出来たと周辺の住民に話している。なお、彼はそれ以外の被害は何も訴えてはいない。 
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