第7話

文字数 5,971文字

 昼間の闘争が嘘のように和やかな雰囲気で懇親会が進んでいる。参加しているのはマラトーナ競技会上位入賞者と競技会関係者と帝都有力者達である。ホテル・スマグラーズの大広間を借りての宴会である。立食形式とあって所々に囲みが出来ている。疲れ気味のヴァルヤネンも静かにしておいては貰えず関係者や記者などの囲まれていた。

 ヴァルヤネンはこの場で自分の付いていた嘘を告白した。トゥレエ・カンチェーロなどではなく本名はエリヤス・ヴァルヤネンであり、コリントンの名家ロヴァニエミ伯爵家嫡男であることを告げた。さらに本国でのマラトーナで何度か優勝経験もあるも追加した。広間内はしばし驚きに包まれたがほどなく受け入れられた。ヴァルヤネン自身中々の美男であり貴族の嫡男で力もある。彼のような逸材を逃すのは惜しいとの損得感情も大きく作用していると、姿を消し眺めているホワイトは察した。

 ややあって、プロフォンドが取り巻きと共にヴァルヤネンの元にやって来た。何が始まるのかと双方を囲む者たちはやきもきとしている。プロフォンドが強い足取りで進むにつれヴァルヤネンの囲みがほぐれていく。

「カンチェーロ、いや、ヴァルヤネン殿だったな。次は基準を合わせての対決を望んでいる」プロフォンドはヴァルヤネンから近くに居合わせた競技会関係者に視線を移す。

 プロフォンドの勢いのある眼差しに彼らは一応に頭を縦に振り同意を示した。彼らとしても悪い提案ではないのだろう。

「出発点の有利でこちらが勝ったなどいわれたくないのでな。貴公はどうだ?」プロフォンドは右手をヴァルヤネンに差し出した。

「望むところだ。一年後また会おう」 ヴァルヤネンが応じる。

 しっかりと手を握り合う二人に歓声が上がる。彼らを取り囲む者たちからまたもあの白熱の競演が見られるという期待感がホワイトに伝わって来た。実現すれば次の競技会は大いに盛り上がるのは間違いない。

「ということだ。タケダク忙しくなるが頼むぞ」 ヴァルヤネンは傍に付いていた側近であるニフィコに声を掛けた。

「はい、エリヤス様。……」

 ニフィコは突然の声掛けに驚き弱い笑みを浮かべた。

 今、ニフィコを覆っているのは困惑だ。ヴァルヤネン殺害計画を知りやって来たと聞いているパーシコスの行方はつかめず、競技会に放ったアキュラ達も連絡を絶った。マラトーナは何事もなく無事に終わりエリヤスは普段通りに接してくる。ニフィコは現在自分がどのような状態に置かれているのかわからなかった。暗殺計画は既にばれて泳がされているだけなのか。アキュラ達はどこに行ったのか。自分を裏切りどこかで部下たちと共に自分を笑っているのではないか。

 アキュラ同様にニフィコも疑心暗鬼に陥っているようだ。無理もない。何も起こらず、ただ誰もが姿を消してゆく。事の成否に関わる報も一切もたらされない。

「どうした。体の具合でも悪いのか」

「……はい、少し頭が重いものでお暇を取らさせていただきます」ニフィコはホワイトが流し込んだ言葉を口にした。

「そうか。無理せず外で休んでおれ。馬車を呼んで先に帰ってもよいぞ」

「はい、ありがとうございます」

 ニフィコは頭を下げ去っていった。これでよい。長居されてはこれからの計画に差し障りが出る。

 ホワイトが取り巻き達に軽く促すとほどなく、囲みが解けヴァルヤネン一人となった。給仕に化けたアイリーンが近づいていく。

「エリヤス・ヴァルヤネン様ですね」銀の盆に置かれた二つ折りの紙を差し出す。

「お知り合いの方よりご伝言を承っております」

「ありがとう」アイリーンに礼を言い紙をつかみ取る。

 アイリーンが退くのを待たず、ヴァルヤネンは紙を開きすぐ眉をひそめた。彼の記憶ではパーシコス本国に残っている。

「パーシコス……」呟き、紙上を見つめる。

「三〇五号室とはどこにある」 ヴァルヤネンは踵を返したアイリーンの背に向かい声を掛けた。

「ご案内しましょうか?」 振り返りアイリーンが答える。

「……あぁ、それには及ばぬ、三階の部屋なのだろう?」

「はい」

「では、上で探すことにするよ」

 ヴァルヤネンは友人が訪ねてきた旨を主催者に告げしばらくこの場を辞することを詫び大広間を出た。ホワイトも姿を消したまま後に続く。

 指定された三〇五号室はすぐに見つけ出すことが出来た。扉を軽く数回叩くと「どうぞ、開いています」と男の声が聞こえた。耳にした声が何者か判断しかねているようだ。伝言の筆跡、声はパーシコスに間違いなさそうだが、なぜここにいるのかが判断が付かない。彼の認識ではパーシコスは本国での職務を放り出して物見遊山で旅に出る男ではないのだ。
 
 扉を開けてみると、ランプの灯りで満たされた部屋に男が一人立っていた。背筋を伸ばして立つ男はヴァルヤネンを目にすると恭しく頭を下げた。

「マルコ!」部屋の中央に立つ男を目にしてヴァルヤネンは叫びを開けた。

 ヴァルヤネンはパーシコスの顔を目にしてさっきまであった複雑な思いは吹き飛んだようだ。笑みを浮かべ歩み寄る。そして抱きしめる。

「どうしてここまで来ていたならなぜ教えてくれない」 これだけは聞いておかねばならない。

「すみません。わけあって到着時より街での潜伏を余儀なくされておりました」

 部下ではあるが友人でもある男の顔に笑みがないことにヴァルヤネンは気付いた。

「何があった」 とヴァルヤネン。

「まずはこれをお読みください」

 パーシコスはしわの入った封筒をヴァルヤネンに手渡した。封筒にはヴァルヤネンの暗殺と商談の妨害についてのあらましが書かれている。パーシコスが港で襲われた際、刺客が持ち去ろうとしていた封書だ。刺客はアイリーンに阻まれ姿を消した。

 ヴァルヤネンは封を解き書面に目を通す。次第に眼差しは険しさを増し、悲しみを帯びてきた。深くため息をつき書面をたたみ封筒へ戻した。

「これは本当なのか?」ヴァルヤネンの言葉には怒りより遥かに多くの悲しみが含まれていた。

「はい、残念ながら」とパーシコス。「タケダク……は旦那様の毛織物の販路拡大案をよく思っていなかったようです。織物取引についての業務はタケダクが一手に仕切っておりました。それにより彼は多くの利鞘を内密に懐に入れていたようなのです。販路が再編され多くの物が関わるとなればことが露見するのは確実でしょう。案を潰そうにも旦那様肝いりの計画でそれもできず、騒ぎを起こし商談をとん挫させようと考えたようです」

「そのような愚かな男だったのか。情けない事だ」

「追いつめられ本性を現したということでしょう」

「……本国のアザゲイツやマルコお前を疑うわけではない。だが、この通りなら狙われていたはずの俺はどうして無事なのだ。周辺で何も面倒が起こった様子もない」

「それはタケダクがエリヤス様をマラトーナ中に狙うという計画に救われた側面があります。ですが、わたしがよい協力者に巡り合えたというのが一番の幸運だったでしょう。おかげで計画を秘密裏に阻止することが出来ました」

「協力者?」

「はい」隣の使用人下手の扉を開ける。「この者たちの協力のおかげです」

 室内には綺麗に頭をそり上げ顔に刺青を施した屈強そうな男たちと、その足元に目隠しさるぐつわで手足を縛り上げられた男たちが転がっている。寝台には何丁もの銃が置かれている。

「彼はジョニー・エリオットといい帝都の有力者の一人です」紹介されエリオットは軽く頭を下げた。

「そして部下の者たち」脇に待機する男たちも頭を下げた。

「彼らが調査にあたり襲撃者を探し出し、騒ぎを未然に防いでくれました」

 床に転がっている者たちに指で示す。

「エリヤス様もこの男は御存じでしょう」

 パーシコスは転がる男の頭の傍に膝を着いた。目隠しを解き顔を顕わにする。

「スターニョス・アキュラ……」

 パーシコスが頬を何度か平手で打つとアキュラが目を覚ました。傍にヴァルヤネン、他多数の男たちに囲まれていることに驚き打ち、陸に上げられた魚のように抵抗し跳ねまわる。

「ここでは手は下さん。国元での沙汰をゆっくりと待っておれ」ヴァルヤネンは怒りを顕わに噴出させる。これは意識を読むまでもない。

 アキュラは男たちに抑えられ再び目隠しを付けられた。そこであきらめたようにおとなしくなった。



「実行犯は捕まえたがタケダクが素直に認めるかどうか。骨が折れるかも知れんぞ」使用人部屋を出たヴァルヤネンは感じている懸念を口に出した。

「それは策があります。おまかせを」

 パーシコスは懐よりイヤリングを二個探り出してきた。最初にアイリーンが襲撃者から取り上げておいた物だ。手のひらに置きヴァルヤネン見せる。

「エリヤス様もこの国に異世界から来た渡来人がいることは御存じでしょう。これは彼らの協力の元に作り出された通信用の魔器にございます」

「知っているが、それをどうするというのだ?」とヴァルヤネン。

「これはタケダクとあの者たちが連絡用に身に着けていた耳飾りです。まだ、タケダクと繋がりを持っています。これを使い奴をおびき出してみようと思います。ヴァルヤネン様もお付けください」一つを取り上げヴァルヤネンに差し出す。

「……おぉ」ヴァルヤネンはイヤリングの一つを受け取った。

 一通りの説明が終わりいよいよ作戦が実行に移される。

「ニフィコ様。聞こえますでしょうか」 パーシコスはアキュラの声音を真似て喋り出した。

「何者だ……」

 ヴァルヤネンは突然耳元に飛び込んできたニフィコの声に息を飲んだ。そして周囲を見回す。パーシコスから説明を聞いていなければ危うく声を上げるところだった。

「アキュラにございます。長い間返信できずご迷惑を掛けました」

「アキュラ、どうした声が変だぞ」

 パーシコスが口の中に布を含み真似ているだけなのだから当然だ。

「……エリヤス様に抵抗され、頭を打たれた際に耳飾りが壊れたしまったのかもしれません」 とパースコス。

「何があった?」

「長い間お待たせしてすみません。宴会場よりエリヤス様をおびき出すことに成功しました。いろいろと面倒はありましたが事は収まりました。あの方はもうお亡くなりになっております」

「お亡くなり……でかしたぞ」ニフィコの強い安堵が流れてきた。ヴァルヤネンは思わず顔をしかめる。

「ご足労かとは思いますが、念のためお顔の確認をしていただけませんか?」

「……わかった。そちらに行く」とニフィコ。

 彼に付いていたアイリーンによれば、一階で過ごしていたニフィコは何の疑いもなく席を立ち階段を上っている。ホワイトも念のためそちらに向かった。意識を覗いて見るとアイリーンの言葉の通りだ。更に策を取らなくともニフィコは偽りのアキュラの声に騙されている。むしろ、それにすがり付いているといった方が適切か。ホワイトが促すことなくこちらに向かっている。

 ややあって、三〇五号室の扉を叩く音がした。

「開いています。明かりはつけていないので足元に気を付けてください」 肉声では怪しいのためホワイトは少し補助を入れた。ニフィコには何の疑いもなくアキュラの声に聞こえているだろう。

 扉が静かに開きニフィコが入ってきた。差し込む月明かりだけが頼りの暗い部屋に五人の男達が立っていた。その足元にパーシコスとヴァルヤネンが力なく倒れている。ニフィコにはそう見えた。邪魔者二人が転がっている。
 
 パーシコスは行方不明、エリヤス様も祝勝会からどこかへ姿を消してしまった。他の者への説明はそれでよいだろう。 ホワイトはニフィコの心に声を感じ取った。

「アキュラ、よくやったぞ」

「誰がよくやったのだ」すぐ傍から聞きなれた声が響いて来た。ヴァルヤネンの声だ。

「えっ……」

「誰がよくやったと聞いている」 確かにヴァルヤネンの声だ。しかし、彼は床に倒れている。

「……あぁ」
 
 ニフィコは肉声と直接聴覚に訴え頭蓋に響く声との区別がつかぬほど戸惑っているようだ。ヴァルヤネンも大したものだ。ホワイトの助けがありはしたがほぼ瞬時に無言通信を体得した。

 窓を背に並ぶ者たちが後ろに一歩退き、二人が壁のランプを点した。男達の顔がはっきりと見えてきた。だが、不思議になことにその中にアキュラはいない。皆顔を知らぬ初対面の男たちだ。

 床に転がっていたヴァルヤネンとパーシコスが起き上がり立ち上がって来た。 何の細工もない。ただ寝転がっていただけなのだ。なぜそれを死んでいると思い込んだのか。ニフィコは己の愚かを呪った。

 なぜ見間違えたのか。 ホワイトは確かに手伝いをしたがそれは僅かなことだ。ニフィコは自分が見たかったものを自身で作り出したに過ぎない。もっとも見たかったもの、それは邪魔な二人の遺体だ。

「国元では既にすべてが露見している」

 ヴァルヤネンはパーシコスがもたらした件の書状を広げてニフィコの前にかざした。

「せめて、おとなしく共に国元へ帰らんか」

 ニフィコはこうなった折の覚悟は決めていたのだろう。すばやく懐に手を入れ拳銃を取り出し、銃口をヴァルヤネンに向けた。どうあっても逃げるつもりのようだ。手にしているのは強力な連発銃だ。しかし、撃鉄を絞るより早くパーシコスがニフィコに飛びついた。素早く銃を握る右手を捩じりあげ、引いた撃鉄の間に親指をねじ込み、発砲を阻止した後に銃を取り上げた。そして銃握側で渾身の力を持って殴り倒した。

 中々の力の持ち主だ。そのためニフィコは今回の旅から彼を遠ざけ、毒を使い四人がかりで倒そうとしたのだろう。



「本当に何から何まで世話になりどう礼を言えばよいのか見当もつかん」

 後日、商工会での商談も無事に終わり、旅程の間を縫ってパースコスがホワイトの倉庫へやって来た。商談に現れたのがマラトーナ競技会をにぎわせた猛者トゥレエ・カンチェーロであったことが良い方向に動き、手ごたえは上々だったという。だが、まだ商談は始まったばかりで慎重に詰めていく必要がある。

「我ら母娘はこの帝都では隠者暮らしだ。なにより目立ちとうはない。我らの事はヴァルヤネン殿には黙っておいてくれ。エリオットも欲得ずくでの行動だ気にすることはない。そちらの商売に軽く噛ませてやればそれだけで上機嫌だろう。無理ないように見張っておいてやる」

「その点はエリヤス様に進言しておこう」

「お前も無理せんようにな。もしまたこちらに来るようなら寄ってくれ。次は粥以外の物も出せるだろう」

「あれ以上の旨いものがあるか怪しいが、まぁ、楽しみにしておくよ」

 歓談はしばらく続いたが、教会の鐘と共にパーシコスは港へと去っていった。
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