空中庭園 第1話

文字数 5,372文字

 地獄が実在するのならこんな場所だろうか。
 ワイド・リヴァーの身体が実体化し視覚を取り戻した時、彼は最初に眼にした光景にこう感じた。床からの燐光に照らされ、陰気なタイル張りの壁や天井には脈打つ血管が張り付き、天井からは先端に眼球が付いた触手が飛び出しており、それが彼らを探るように蠢いている。これには徒党を組み砂漠を暴れ回る彼の仲間たちも、少々面食らったようで軽い悲鳴や、うめき声が背後から多数聞こえてきた。
「全員そろったか?」ざわめきは消えないがとりあえず点呼を取る。
「お、おう」
「だ、大丈夫だ」
「問題……なし」
 ワイド・リヴァーの問いに応じて帰っていた仲間の声にいつもの威勢のよさはなかった。それでも逃げ出す者がいないのは、単に逃げ場がないからだ。
「ビビってんじゃねぇよ。そこのを見な、ここは帝国の持ちもんだよ」
 狭い部屋に響いたのは魔導師クロの声だった。彼女の声も少し緊張しうわずり気味だったが効果はあった。緊張状態の彼らの関心を他にそらすことに成功したのだ。
 クロが指差した先の壁には古びた帝国の紋章、その下にはなじみ深い文字が見とれた。薄明かりの中で、文体が古臭いため理解することに少し時間がかかったが、ここが「空中庭園」と呼ばれる施設であり、そこでの武器の取り扱いや他注意点などが箇条書きにされていることがわかった。
「まさか、あの空中庭園か?本当にあったのか!」
「おい、ここが何か知ってるのか?」
「ああ、空中庭園の名前なら聞いたことがある」答えたのはアリバだった。「昔、帝国が錬金術を駆使して作ろうとした要塞の名前だ。皇帝が死んだり、他いろいろでグダグダになってお蔵入りになったと聞いてたが……」
「作ってたんだな」
「じゃぁ、なんだ捨てられたのか?まるで化け物の腹の中だぞ」
 ワイド・リヴァーは手にした剣を警告文に叩きつけた。壁と擦れた剣が火花と耳障りな金属音を発した。それを機にとりあえずおしゃべりは止んだ。いつもの調子が戻ったと思えば騒ぎ出す面倒な連中である。ワイド・リヴァーとしてはそこが頭が痛い。
「いいか、帝国の連中が探していたのはここかもしれん。それなら、中はかなり期待ができる」
 仲間から声が上がるが、彼は再度剣を叩きつけ黙らせた。
「しかしだ。いつもの砂遊びとはちがいそうだ。気を締めてかかれ、いいな」

 ワイド・リヴァー達はここが「空中庭園」と呼ばれていたことを知ったが、それ以外は全く何も知らなかった。彼らがわかっていることといえば帝都の連中がここに対して、並々ならぬ興味を持っていたことだ。元々爆心地の地下には何かが埋まっているという噂は、昔から湧いては消えての繰り返しだった。ワイド・リヴァーはそれを本気にしてはいなかった。ガラスに下に夢を馳せるくらいなら、ガラスの海のほとりで屑になったガラスを拾っていた方がよっぽど金になると考えていた。
 そのため、地震の後の帝都の動きの速さには心底驚いた。連中は地震からいくらも経たないうちに調査団を編成し爆心地の奥へと入っていった。そして、あらかじめ知っていたかのように地下に埋もれた施設を発見した。あの噂は本当で、奴らはじっとこの時を待っていたんだとワイド・リヴァーは確信した。
 彼らは調査団が一旦引き揚げた後にすぐこの地に乗り込んできた。施された封印を解除し砂漠に浮きだした侵入口から内部へと入った。床の傾いた建造物の中は何らかの研究施設のようで、中にあったのは錬金術、魔法関連の物ばかりだった。これらは扱いが難しく買い手がつきにくい。これには一同は落胆した。
 早いが引き上げかと思った頃にクレシダが不審な壁がある通路を発見した。他の通路と変わらない無地の漆喰仕上げの壁で、そこには一定の間隔で床と天井を結ぶ線が引かれていた。壁を注意深く調べてみると隠し扉が発見された。扉の中は円形で飾り気のない部屋。床に描かれた魔法陣だけが燐光を帯びて仄かに光っていた。
 魔導師であるクロはそれを転送設備と判断し、行き先はわからないがまだ生きていると結論付けた。
 行き先がわからない。それでも彼らが転送器に乗る気になったのは調査隊が来たという事実だった。これは人が作ったものであり、それなら変な所には連れて行かれないだろうと。そして連中が入れ込む程の物がある。
 今のところその考えに間違えはないようだった。最初に着いた部屋こそ不気味だったか外へ出てみると普通の城塞とさほど変わらなかった。転送器は空中庭園のバックヤードに繋がっていた。そのためまず行き当たったのは武器庫、食料倉庫、ワインセラーなどだった。武器に大したものはなく重さでいくらかが関の山の錆びたがらくたばかり、食料は朽ち果てていたがワインなどの酒類はまだ残っていた。照明が天井からの薄明かりとランタンの灯だけとあって詳細は不明だが、これらが火球が降りてくる前からあったとしたら、二百年は経っているはずである。これらは物好き達にいい値で売れるに違いない。上の階層の厨房では細工の凝った銀器や陶器が発見された。これもいい値うち物だ。
「盗った物は置いていけ、後で全部回収する」ワイド・リヴァーは見ていたわけではないがやることの予想は簡単につく。案の定何人かが懐の物を静かに戻した。
 ここまでは打ち捨てられた長く経つ廃墟といった雰囲気で皆慣れたもので穏やかでいられた。時折に眼にする生体組織や幾らか転がっていた骸骨やミイラなどもやりすごすこともできたが、一階層上に上がると様相は一変した。
 鎧を身に着け武器を手にしたまま倒れている骸骨が多数発見された。積もった埃を払うと下からは近衛隊の紋章が現れた。他に転がっている骨が身に着けている物はどれも上質な装備ばかりである。
「近衛隊といえば皇帝の兵隊だよな。なんでこんなところにいるんだ」誰かが呟いた。
「皇帝がいたってことか?何があった?」
 戦闘があったのは誰の目にも明らかだったが、気になるのはその相手である。皇帝に何の敬意の欠片も抱いていない彼らであっても、皇帝に喧嘩を売ることがどういうことはわかっている。その先どうなるかもである。
「知らねぇが、ただごとじゃねぇな」
 彼らは注意深く前進しつついろいろと探ってみたが、金目の物は見つからなかった。誰も錆びた鎧や虫が食ったローブなど欲しがらない。集めれば重さで引き取る業者もいるが下には何倍も価値がある物が彼らを待っているのだ。こちらにかまっている暇はない。
「こっち来てみな、妙な物がある」
 それは腕の骨に見えたが指には鋭い鉤爪が付いていた。少し離れた場所にその本体と思われる骨が転がっていた。身体は人っぽいのだが頭蓋骨は別物だった。大きな犬歯を持ち額と頭頂部に大きな突起があった。さらに進むと翼や尻尾がある者や明らかに手足長さのバランスが不自然な者、果てには人ではなく蝙蝠や蛇のようなものまで現れた。
「安心しな。もう生きてるやつはいないよ」クロがにやりと笑った。「ここを誰かが強引に突破していったようだね。どいつもこいつも真っ二つに叩っ切られてるよ。元の世界に戻る暇もなかっただろうね。生き残った奴もここがこの状態だ。いつまでも留まる義理もない。とっくに自分の世界に帰ってるよ」
 荒れ果てた墓場のと変わらない階層を抜けワイド・リヴァー達が最後に行き着いたのは、奇妙なほどに整然とした場所だった。長い廊下の端でそこには剣を携えた全身鎧が左右両側に並べられている。その奥には豪奢な両開きの扉が控えている。そこだけ今までと違い骨はおろかゴミ一つ落ちていない。そこだけを片づける雑役婦がおれば別だがそれまずない。それならば答えは一つである。
 ワイド・リヴァーは少し戻り、鉤爪が付いた骸骨を一つ引きずって来た。仲間達が身構える中、彼は骸骨を何もない廊下の中央へと投げ込んだ。かろうじて繋がっていた関節が床に落ちたことで弾けて化け物の骨はバラバラになりそして四方八方へ転がった。
 並べられていた鎧達は、獲物を見つけた犬のように飛びかかり各自手にした剣で、転がって来た骨を粉砕した。そこでワイド・リヴァー達の存在に気付いたようで全鎧が彼らの方を向いた。
「見たな」
「生かしちゃおけねぇ」
 誰かが鎧の代弁をした。
「来るぞ」
 威勢良くやって襲い掛かって鎧達だったがワイド・リヴァー達の一撃で床に崩れた。経年劣化により身体の部位同士をつないでいた革素材が簡単にちぎれてしまったのだ。鎧はばらばらになり男達の足元に転がったがそれで終わりではなかった。外れた部位が個々に動き攻撃をしてきた。脚はやみくもに蹴りを繰り出し、剣を持ったままの腕は床で剣を振り回す。もう片方の腕は床を指で這いまわり、そこに居合わせたものに取りつく。胴や頭も何もしないわけではない。それらも転がり体当たりを掛けてくる。
 魔法仕掛けの虫にたかられているようなもので武器は役に立たない。振り回すと仲間に当たりかねず危険極まりない。仲間の背を這い上る甲冑の腕は手ではぎ取るしかない。奥へ蹴り飛ばしてもすぐに転がり、はいずり戻ってくる。
「一度退くぞ」
 まとわりつく鎧を剥がしつつ逃げるのは手間がかかったが、彼らに幸いだったのは鎧が所持していた武器が錆びてすっかり鈍っていたことと、罠魔法の効果範囲が限定的だったことだ。ワイド・リヴァー達はたいした怪我もなく退くことができた。彼らが廊下の反対側辺りまで退却すると、鎧はすごすごと退却していった。今は元の位置で鎧ごとに部具の山となっている。
「全員無事か?」
「おぉ!」
「脛がいてぇ」
「それぐらい我慢しろ」息は上がっている者はいたがおおむね良好のようだ。「面倒な奴らだ。後少しだろうに、なんか策はあるか?」
「魔法で焼き払っちゃどうだ?融ければもう襲ってこないだろ」
「できるが、こんなところでそんな熱を使うとあたし達だってただじゃ済まないよ。それに猛烈な爆発が起これば、巻き込まれて全員丸焦げだ。けど……」クロは少し間を置いた。「考えは間違ってない」
「どういうことだ?」とワイド・リヴァー。
「床を見てみな、帰らずに留まっている小さな部品だあるだろ。胴の前垂れの板金、指、腕の一部、あれは魔法の効果から外れて普通の金属に戻ってるって証拠だ。だとするともう少し壊すだけで鉄屑にできるはずだ」
「どうするつもりだ?」
「風を使う」
「やってみろ。だめなら、下の物だけ持って帰るだけだ」
「まかせろ。ただし、魔法発動まで全員伏せていろ。この狭い空間で空気を扱うからな。必ずあおりを食うことなる」
 クロは一人廊下を前進していった。残された者は埃まみれの床に伏せその時を待った。
 クロが位置に着き詠唱を始めると、廊下の空気が動きだしたワイド・リヴァー達の背後から風が流れ、それは次第に強くなってきた。敵意を感じ取った鎧達はクロに床を這い転がり迫ったが、詠唱完了により生じた竜巻により全て宙へと舞い上がった。竜巻の中で部材同士が激しく衝突し、形を保っていた部位も引き裂かれバラバラになった。
 風の力が解放され、最後の突風に吹き巻きあげられた埃にむせかえる男達が見たのはクロの傍に積み上げられた大量の鉄屑。何もかもひしゃげて歪んでいる。
「やったか?」
「あぁ、もう量り売りの鉄屑だ」
 胴だった歪んだ塊が山の中でうごめいた。
「気にするな。もう何もできん」
 それでも彼らは鉄屑にの山を大きく避け前に進んだ。クロの言葉は信用できるが敢えて面倒を起こすことはしたくなかった。
 その後大扉は特に何の問題もなく開き、その内部をさらした。
 そこは大広間で地獄と聖堂、そして宮殿が奇妙なバランスを持って共存していた。正面に壁、天井近くには何者なのか両手を広げた長髪痩身の男の石像飾り付けられ、それを例の内臓めいた器官や血管が取り巻いている。その前に仄かな燐光を放つ祭壇がある。天井と壁はそっけない気もするが素材は上質だ。
 つかの間大広間に圧倒されていたワイド・リヴァー達だったが、手慣れたものでほどなく散開し仕事を開始した。この部屋に転がる骸骨は身分の高いものだったらしく身に着けているのは高価な物ばかりだった。服はぼろぼろだが装飾品は当時のままだ。指輪や首飾り、ボタン、ベルトなど細工の凝った装飾品が見つかるたびに歓声が上がる。
「久しぶりの来客か」
 ワイド・リヴァーが部下達の仕事ぶりに満足していると、奇妙な男の声が聞こえた。どこか渇いた響きのある低い声だ。遠くではないすぐ傍にいる。他の者も声を耳にしたようで仕事が止まった。
「ここまで来るとはそこそこ力があるようだな」
 また、声が聞こえた。近くにいるはずなのだが、その影すら見えない。部下達も戸惑い周囲を見回している。
 ここはさっさと逃げ出した方がいい。ワイド・リヴァーの判断は早かったがそれでも間に合わなかった。何かが彼の中に入り込み、その身体の指揮権を彼から奪った。
 そして、彼はワイド・リヴァーではなく別の者になった。しかしそれは彼だけではない。他のその場にいた全て全員同様だった。
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