第4話
文字数 5,686文字
「我らの出番は終わりだ」
お父さんの言葉の元、ビビアンは有無を言わせず馬車に乗せられ家まで帰された。お父さんは少し休憩を取った後また外へ出て行った。お父さんは陽が出ているうちは村の中を駆けまわっている。それは今も変わっていないのだ。
ビビアンはお父さんから「暇なのはわかるが、法要までじっとしていなさい」と言い渡された。さっき、ベイリーが茶と砂糖壺を置いていった。冷めないうちにカップに一杯注いだ。美味しいがこればかり飲んではいられない。
今日はもう外に出ることはできない。鞄から持ってきた紙とインクを取り出し、気になったことを書き出していく。洞窟についてはもう手出しは出来ない。
立身出世の物語にしても存命中の生き証人がまだ何人もおり嘘はないだろう。村中で集まり口裏を合わしてきたというなら別だが、仲の良い者ばかりではない。そんな中で彼らまでが口裏を合わすわけもない。全員が顔見知りのような関係の中で隠された事実などあるわけもない。
「それなら何があるのか」紙に大きめに書いてみる。これで散歩や家事の手伝いをすれば不意に何か浮かんでくるかもしれないが、それは自分で封じてしまった。しかたなく寝台に寝転ぶ。そして、眼を閉じる。
眠りに落ちる寸前に誰かに呼びかけられた。思わず、体を起こす。正体はわかっている。頭の中にいる自分の相棒のような存在だ。相棒は彼女の作品の不備を指摘し助言を与える。
彼女―女だろうと思っている―の許可なしに作品は進まない。
今回はシルヴァン・クアンベルを何者だと思っているかと問いかけてきた。祖父でありクアンベル家を曾祖父の代以上に盛り上げた人物だ。その答えは拒否された。その後に思いついた答えも拒否された。では、一体者なのか。まったくわからない。
それが正解のようだった。飢えのために体調を崩し倒れた素性不明の少年。シルヴァンという名しか名乗らず生涯を終えている。それ以前は誰も知らない。おじいさんの生涯はリンゴ園から始まるのだ。
それ以前は誰も知らないのか、それとも隠されているのか。診療所でいい感じに近づいていたが、歩いているうちにはなれてしまったようだ。相棒は満足したのか、静かに消えていった。
知っているとしたら誰になるか。おじいさんと夫婦だったおばあさんとその息子お父さんだ。素直にあの手紙を出して聞いてみるのが正解か。そこでもう一人いることに気が付いた。おじいさん本人だ。外から中の仕事に関わり出して以来、おじいさんは記録は欠かせていない。日記なども付けていたかもしれない。今でもそれが残っているとすればおじいさんの部屋か。
扉を開け廊下の反対側を窺う。誰もいない。ビビアンは音を立てないように素足で反対側まで駆けてゆく。部屋の鍵は開いていた。音を出さないように中に忍び込む。扉を閉めて一安心だ。
部屋を一通り眺めてみる。寝台と戸棚が置かれているだけで空き部屋といっていい状態だ。部屋を見た途端この計画が馬鹿らしくなってきた。使用人によって頻繁に掃除される部屋に物を隠し、そのまま放置することができるだろうか。
帝都で隠し戸棚の話は何度か聞いたことがある。壁や床に仕込むか、専用の家具があるらしい。他の作家が芝居に隠し戸棚を取り込んでいた。壁の一定の位置を押し込むと戸棚の蓋が開く仕組みだった。とりあえず、ビビアンもそれに倣い左から上下に一定の間隔を開けて順番に押して行った。
少し移動した先の壁に不自然な線を発見した。横に肩幅ほどの間隔が開けてある。近づいても明確な線は引かれてはいない。短い範囲で僅かに段差が付き、それが線に見えるようだ。
線の下をゆっくりと押し込んでみる。指に軽く衝撃が伝わり、指を放すと壁が手前に倒れてきた。そこが隠し戸棚となっていたようだ。戸棚の容量は大きめの猫一匹といったところか。中は空ではなく帳簿が三冊はいっていた。何が記録されているのか。所謂裏帳簿、不正の記録か。おじいさんが不正をしていたなんて考えたくもないがもし本当なら、過去などという穏やかなものではない。
ビビアンは急いで壁を元に戻し帳簿を抱え自室へ戻った。二冊を寝台の下敷きの中に隠し、一冊を書き物机の上に置いた。表紙には何も書かれていない。適当の繰りながら軽く内容を確かめる。数字などの記述は当たらない。
改めて表紙を捲り最初から読んでみる。
「文章がそれなりに書けるようになってきたので、日記などつけてみようと思う」
それなりとの自己評価だが優美な文字と文体、これなら帝都でも十分に通用する。冒頭はマティアスおじいさんと当時の外の頭への謝辞に宛てられていた。その先は文字通りに日記になっていた。農産物の取引から食事まで日々の記録だ。心に残った事柄を綴っているようだ。まだ問題になりそうな記述はない。
ひたすら日記を読み進めどれぐらい経ったのか。軽く扉を叩く音が聞こえた。机の上に置いた日記を隠す暇もなく扉が開いた。扉の向こうにいたのは祖母のオーラだった。おばあさんは軽く微笑みを浮かべ、ビビアン手元を眺めた。そこには両腕では隠しきれない日記があった。部屋に入り静かに扉を閉める。
「ビビアン、どこまで読めましたか」
「おばあさまとおじいさまが結婚する辺りまでです」
もう言い訳は無用だろう。素直に答えた方がよい
「それならシルヴァンが何者だったかわかりましたね」
「……はい」
日記によるとおじいさんは当時少し東の山中を拠点に暴れていた山賊の息子だった。ある日その拠点が壊滅の危機に陥った。逃げ出し彷徨っているうちにリンゴ園に到達した。それがおじいさんの過去だった。
「そこまで読んでいれば十分ですね。日記を持ってついて来なさい」
ビビアンはオーラの後に付いて部屋を出た。案内されたのは一階の会議室で促され入ってみると父親のビョーンが上座の椅子に座っていた。
「お父さん仕事はどうしたの」
「済ませて帰って来た」とビョーン。
「もしかしてお父さんはこの日記のこと知ってたの」ビビアンは抱えていた日記ビョーンの目の前に置いた。
「わたしも知ったのはつい最近のことだよ。父さんの本当の出自を知っていたのは父さん本人と母さんと爺さんだけだったんだ。わたしでさえ無謀な家出をして死にかけたって話を真に受けていた。嘘じゃなかったけどな」
ビョーンは母親のオーラに目をやった。
「それはシルヴァン、あの人と父さん二人分の遺言だったからね。赦しておくれ」とオーラ。
「日記はずっとあそこに隠されていたんですか」
「そうだろうね」
オーラとビビアンも席に着いた。
「母さんがそういうならそうなんだろう」ビョーンがオーラに目をやる。
「一年ほど前の地震の影響で隠し戸棚が現れた。中を調べると日記があった。内容はお前も知っての通りだ。扱いに困ってね。父さんが一時は騒ぎになった山賊一味の子供だった。だが、その山賊は父さんが来た頃には壊滅していた。当時の警備隊と騎士団の手入れに遭ったようだ。それがわかったのも本人が亡くなって十年以上経ってからだ。お前はどう思う」
「いいお芝居になりそうよ。出自の扱いが見せ所ね」とビビアン。
「さすがに劇作家様のお答えね」
「でも、おじいさんが真相を話した時衝撃解かなかったの?」
「お父さんは「リンゴ園のガキ」の正体には薄々気づいていた。だから、外の仕事をやらせた。無下に追い出すわけにもいかなので適当に金を稼がせて出て行くように仕向けるつもりだった」 とオーラ。
「ひどい……」
「父さんが酷いのは誰でも知ってた。気に入れば待遇は良くなるけどね」
ビョーンが何度か頷いた。
「実際シルヴァンはかなり堪えていたようだけど、居場所が欲しい一心がんばっていたようだね。絶対に山賊に戻りたくなかった。もっともそんな頃には山賊は消え失せていたけどね。「リンゴ園のガキ」と呼んでた父さんもしばらくしたらシルヴァンと名前で呼ぶようになっていた。そこまでいけば素性なんてどうでもいい使える使用人の一人になってた」
「でも、家の中にまで入れたおじいさんも大胆なことを。まぁ、それでないとわたしはいなかったけど」
「それはわたしが持ち掛けたのよ」
「えぇ‼」とビビアン。
「そんな話聞いたことないぞ」ビョーンが驚き声を挙げた。
「当たり前だろ。女のわたしが前に出られるわけがない。仕切ったのは父さんさ。大人まで無事に育ったの子供はわたしだけという先の悩みと、どこかの金持ちと結婚してもそいつが使えなければわたしが家を仕切らないといけない。そんなのごめんだったからね」
「母さんときたら……」
「わたしは自由に結婚できる立場じゃなかったからね。こちらから言ったのさ。父さんがここにあの人を呼び出したけど、要件があまりに衝撃的だったようで、最初は戸惑っていたね。それで、例の出自の告白さ。父さんは彼も放したくないぐらいに気にいっていたし、わたしも子供の頃から知っている中だったし好意も持っていたし全く気にならなかった。それで出自については三人の秘密とすることになった」
「それでも父さんはこっそりと日記をつけていたのか」
「そういうことだね。関わった人たちに感謝を込めてなんて、そんな義理なんてないと思うんだけど」
「だいたい全部聞いたと思うけど、わたしが知らなければまた秘密のするつもりだったの?」
「とんでもない、しっかり読んでもらうつもりだった。そう仕向けたはずだ」ビョーンが笑った。
「えぇ、どういうこと」
「そっちに父さんの過去がどうの手紙が着いただろ」
「……えぇ」
「あれはハリーに利き手とは逆で書いてもらった手紙だ」
「なんでそんなことをしたの!すごく心配したのよ。おじいさんに何があったのかと」ビビアンは思わず立ち上がり二人を睨みつけた。
「ハリーは責めないでくれ。あれはわたしの命令でやったことだ」
「責める気はないけど、普通に三冊を渡してくれればよかったのに」
「子供の時のように放って置かれても困る。確実に読んで欲しかった。だから、その気が出るように小芝居を打たせてもらった」
「小芝居って、もしかして今日の出来事も全部仕組まれていたの」
「そうだな。ハリーにはリコリリスの花畑へ向かうように促し、カナさんとダーヴィ先生には父さんへの関心を十分に強めてもらった。思いのほか効果が出て、自分で日記を探し出すとは思いもしなかった」
「まったく、そんなに心配なら子供の頃のように後ろで監視してればよかったのに」ビビアンは首を振りため息をついた。
「いい余興になっただろ。いつもお前は帰って来ても、部屋に閉じこもりっきりが多いだろ。仕事がいそがしいといってな」
「ごめんなさい。カナさんやリッカルドが知ってるってことは、もう村では公になってるの」
「そうだ」
「反応はどうだった?わたしが会った人たちは気にしてない様子だったけど」
「それならお前は気にせず、芝居の台本でも書いていろ。明日は父さんの大事な十五周忌だ」
話はそこまでになった。おじいさんには何事もなく安心はしたが、もやもやは残り遅くまで寝付けずにいた。
翌朝、早めに起こされたビビアンは急かされ朝食を取った。起きるのが遅いビビアンが家族や使用人と一緒に朝食を取るのはめずらしいことだ。部屋へ戻されると用意された式服に手伝い付きで着替えさせられた。
「法要はお昼でしょ。そんなに急がなくても」ビビアンは軽く悲鳴を上げた。
「今回はその前の参加する行事がありまして」ベイリー背後でコルセットの紐を引く。「早めに出ていただかないといけません」
「どこに行くの?」
「それは旦那様に聞いてください」
目が覚めないまま着替えを終えて玄関前に出ると家族勢ぞろいで馬車に追って待っていた。母さんとおばあさんに支度で負けたのはよほどのことだ。兄さんたちは自宅から現地に向かうらしい。
満席の馬車でやって来たのは村の教会だった。何が始まるのか、教会の前の広場は村の人達で一杯だ。教会そばでは布に包まれた石像らしきものが置かれている。そしてその横に村長さんや司祭様、他に村の偉いさんが並んでいる。大事な除幕式なのは確からしい。
馬車を降り兄さんと合流する。父さんは像の方へと向かった。
「何が始まるの?」
「まぁ、見てなよ」
「そうよ。見てなさい。これが村の人達の反応よ」
兄さんやおばあさんは答えてはくれない。
「反応……?」
村長さんが列の中から一人前に出た。
「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます」
村長さんの言葉により除幕式が始まった。お父さんを含め何人かの挨拶が続いた。祝福の雰囲気で一杯だがなぜ今なのかがわからない。
いよいよ、除幕となった。担当は司祭様とお父さんだ。取り付けられた紐を引っ張り布は剥がれ銅像が現れた。現れたのはおじいさんだった。ビビアンがよく知っている頃の姿と生き写しだ。集まった村の人達が歓声を上げ、拍手で満たされた。ビビアンはその光景を呆然と眺めていた。
「村の人達は改めてお父さんを受け入れてくださったの」お母さんの声が聞こえた。
「石像を作ることになった時のいきさつをお前に伝えられなかった。だから、一芝居うったのさ、面倒だったかもしれないけどな」と兄さん。
「ありがとう、一芝居できそうよ」
眼は零れ落ちる涙でよく見えなくなったが、ビビアンは真っすぐ石像の元へ向かった。
「それからはお祭り騒ぎで法要に流れ込んだそうよ。たくさんのお菓子が配られて賑やかな法要になったそうね」
闇に浮かぶ塔大きくなってきた、
「いいお話ですね」
「ビビアンはおじいさんからいいお話をもらった。後は脚本に仕上げるだけ彼女は言っていたわ」
「そんなお話聞くと、また見に行きたくなりますね」とフレア。
「あら珍しい。さすがに記念公演の演目になるだけはあるわ」
お父さんの言葉の元、ビビアンは有無を言わせず馬車に乗せられ家まで帰された。お父さんは少し休憩を取った後また外へ出て行った。お父さんは陽が出ているうちは村の中を駆けまわっている。それは今も変わっていないのだ。
ビビアンはお父さんから「暇なのはわかるが、法要までじっとしていなさい」と言い渡された。さっき、ベイリーが茶と砂糖壺を置いていった。冷めないうちにカップに一杯注いだ。美味しいがこればかり飲んではいられない。
今日はもう外に出ることはできない。鞄から持ってきた紙とインクを取り出し、気になったことを書き出していく。洞窟についてはもう手出しは出来ない。
立身出世の物語にしても存命中の生き証人がまだ何人もおり嘘はないだろう。村中で集まり口裏を合わしてきたというなら別だが、仲の良い者ばかりではない。そんな中で彼らまでが口裏を合わすわけもない。全員が顔見知りのような関係の中で隠された事実などあるわけもない。
「それなら何があるのか」紙に大きめに書いてみる。これで散歩や家事の手伝いをすれば不意に何か浮かんでくるかもしれないが、それは自分で封じてしまった。しかたなく寝台に寝転ぶ。そして、眼を閉じる。
眠りに落ちる寸前に誰かに呼びかけられた。思わず、体を起こす。正体はわかっている。頭の中にいる自分の相棒のような存在だ。相棒は彼女の作品の不備を指摘し助言を与える。
彼女―女だろうと思っている―の許可なしに作品は進まない。
今回はシルヴァン・クアンベルを何者だと思っているかと問いかけてきた。祖父でありクアンベル家を曾祖父の代以上に盛り上げた人物だ。その答えは拒否された。その後に思いついた答えも拒否された。では、一体者なのか。まったくわからない。
それが正解のようだった。飢えのために体調を崩し倒れた素性不明の少年。シルヴァンという名しか名乗らず生涯を終えている。それ以前は誰も知らない。おじいさんの生涯はリンゴ園から始まるのだ。
それ以前は誰も知らないのか、それとも隠されているのか。診療所でいい感じに近づいていたが、歩いているうちにはなれてしまったようだ。相棒は満足したのか、静かに消えていった。
知っているとしたら誰になるか。おじいさんと夫婦だったおばあさんとその息子お父さんだ。素直にあの手紙を出して聞いてみるのが正解か。そこでもう一人いることに気が付いた。おじいさん本人だ。外から中の仕事に関わり出して以来、おじいさんは記録は欠かせていない。日記なども付けていたかもしれない。今でもそれが残っているとすればおじいさんの部屋か。
扉を開け廊下の反対側を窺う。誰もいない。ビビアンは音を立てないように素足で反対側まで駆けてゆく。部屋の鍵は開いていた。音を出さないように中に忍び込む。扉を閉めて一安心だ。
部屋を一通り眺めてみる。寝台と戸棚が置かれているだけで空き部屋といっていい状態だ。部屋を見た途端この計画が馬鹿らしくなってきた。使用人によって頻繁に掃除される部屋に物を隠し、そのまま放置することができるだろうか。
帝都で隠し戸棚の話は何度か聞いたことがある。壁や床に仕込むか、専用の家具があるらしい。他の作家が芝居に隠し戸棚を取り込んでいた。壁の一定の位置を押し込むと戸棚の蓋が開く仕組みだった。とりあえず、ビビアンもそれに倣い左から上下に一定の間隔を開けて順番に押して行った。
少し移動した先の壁に不自然な線を発見した。横に肩幅ほどの間隔が開けてある。近づいても明確な線は引かれてはいない。短い範囲で僅かに段差が付き、それが線に見えるようだ。
線の下をゆっくりと押し込んでみる。指に軽く衝撃が伝わり、指を放すと壁が手前に倒れてきた。そこが隠し戸棚となっていたようだ。戸棚の容量は大きめの猫一匹といったところか。中は空ではなく帳簿が三冊はいっていた。何が記録されているのか。所謂裏帳簿、不正の記録か。おじいさんが不正をしていたなんて考えたくもないがもし本当なら、過去などという穏やかなものではない。
ビビアンは急いで壁を元に戻し帳簿を抱え自室へ戻った。二冊を寝台の下敷きの中に隠し、一冊を書き物机の上に置いた。表紙には何も書かれていない。適当の繰りながら軽く内容を確かめる。数字などの記述は当たらない。
改めて表紙を捲り最初から読んでみる。
「文章がそれなりに書けるようになってきたので、日記などつけてみようと思う」
それなりとの自己評価だが優美な文字と文体、これなら帝都でも十分に通用する。冒頭はマティアスおじいさんと当時の外の頭への謝辞に宛てられていた。その先は文字通りに日記になっていた。農産物の取引から食事まで日々の記録だ。心に残った事柄を綴っているようだ。まだ問題になりそうな記述はない。
ひたすら日記を読み進めどれぐらい経ったのか。軽く扉を叩く音が聞こえた。机の上に置いた日記を隠す暇もなく扉が開いた。扉の向こうにいたのは祖母のオーラだった。おばあさんは軽く微笑みを浮かべ、ビビアン手元を眺めた。そこには両腕では隠しきれない日記があった。部屋に入り静かに扉を閉める。
「ビビアン、どこまで読めましたか」
「おばあさまとおじいさまが結婚する辺りまでです」
もう言い訳は無用だろう。素直に答えた方がよい
「それならシルヴァンが何者だったかわかりましたね」
「……はい」
日記によるとおじいさんは当時少し東の山中を拠点に暴れていた山賊の息子だった。ある日その拠点が壊滅の危機に陥った。逃げ出し彷徨っているうちにリンゴ園に到達した。それがおじいさんの過去だった。
「そこまで読んでいれば十分ですね。日記を持ってついて来なさい」
ビビアンはオーラの後に付いて部屋を出た。案内されたのは一階の会議室で促され入ってみると父親のビョーンが上座の椅子に座っていた。
「お父さん仕事はどうしたの」
「済ませて帰って来た」とビョーン。
「もしかしてお父さんはこの日記のこと知ってたの」ビビアンは抱えていた日記ビョーンの目の前に置いた。
「わたしも知ったのはつい最近のことだよ。父さんの本当の出自を知っていたのは父さん本人と母さんと爺さんだけだったんだ。わたしでさえ無謀な家出をして死にかけたって話を真に受けていた。嘘じゃなかったけどな」
ビョーンは母親のオーラに目をやった。
「それはシルヴァン、あの人と父さん二人分の遺言だったからね。赦しておくれ」とオーラ。
「日記はずっとあそこに隠されていたんですか」
「そうだろうね」
オーラとビビアンも席に着いた。
「母さんがそういうならそうなんだろう」ビョーンがオーラに目をやる。
「一年ほど前の地震の影響で隠し戸棚が現れた。中を調べると日記があった。内容はお前も知っての通りだ。扱いに困ってね。父さんが一時は騒ぎになった山賊一味の子供だった。だが、その山賊は父さんが来た頃には壊滅していた。当時の警備隊と騎士団の手入れに遭ったようだ。それがわかったのも本人が亡くなって十年以上経ってからだ。お前はどう思う」
「いいお芝居になりそうよ。出自の扱いが見せ所ね」とビビアン。
「さすがに劇作家様のお答えね」
「でも、おじいさんが真相を話した時衝撃解かなかったの?」
「お父さんは「リンゴ園のガキ」の正体には薄々気づいていた。だから、外の仕事をやらせた。無下に追い出すわけにもいかなので適当に金を稼がせて出て行くように仕向けるつもりだった」 とオーラ。
「ひどい……」
「父さんが酷いのは誰でも知ってた。気に入れば待遇は良くなるけどね」
ビョーンが何度か頷いた。
「実際シルヴァンはかなり堪えていたようだけど、居場所が欲しい一心がんばっていたようだね。絶対に山賊に戻りたくなかった。もっともそんな頃には山賊は消え失せていたけどね。「リンゴ園のガキ」と呼んでた父さんもしばらくしたらシルヴァンと名前で呼ぶようになっていた。そこまでいけば素性なんてどうでもいい使える使用人の一人になってた」
「でも、家の中にまで入れたおじいさんも大胆なことを。まぁ、それでないとわたしはいなかったけど」
「それはわたしが持ち掛けたのよ」
「えぇ‼」とビビアン。
「そんな話聞いたことないぞ」ビョーンが驚き声を挙げた。
「当たり前だろ。女のわたしが前に出られるわけがない。仕切ったのは父さんさ。大人まで無事に育ったの子供はわたしだけという先の悩みと、どこかの金持ちと結婚してもそいつが使えなければわたしが家を仕切らないといけない。そんなのごめんだったからね」
「母さんときたら……」
「わたしは自由に結婚できる立場じゃなかったからね。こちらから言ったのさ。父さんがここにあの人を呼び出したけど、要件があまりに衝撃的だったようで、最初は戸惑っていたね。それで、例の出自の告白さ。父さんは彼も放したくないぐらいに気にいっていたし、わたしも子供の頃から知っている中だったし好意も持っていたし全く気にならなかった。それで出自については三人の秘密とすることになった」
「それでも父さんはこっそりと日記をつけていたのか」
「そういうことだね。関わった人たちに感謝を込めてなんて、そんな義理なんてないと思うんだけど」
「だいたい全部聞いたと思うけど、わたしが知らなければまた秘密のするつもりだったの?」
「とんでもない、しっかり読んでもらうつもりだった。そう仕向けたはずだ」ビョーンが笑った。
「えぇ、どういうこと」
「そっちに父さんの過去がどうの手紙が着いただろ」
「……えぇ」
「あれはハリーに利き手とは逆で書いてもらった手紙だ」
「なんでそんなことをしたの!すごく心配したのよ。おじいさんに何があったのかと」ビビアンは思わず立ち上がり二人を睨みつけた。
「ハリーは責めないでくれ。あれはわたしの命令でやったことだ」
「責める気はないけど、普通に三冊を渡してくれればよかったのに」
「子供の時のように放って置かれても困る。確実に読んで欲しかった。だから、その気が出るように小芝居を打たせてもらった」
「小芝居って、もしかして今日の出来事も全部仕組まれていたの」
「そうだな。ハリーにはリコリリスの花畑へ向かうように促し、カナさんとダーヴィ先生には父さんへの関心を十分に強めてもらった。思いのほか効果が出て、自分で日記を探し出すとは思いもしなかった」
「まったく、そんなに心配なら子供の頃のように後ろで監視してればよかったのに」ビビアンは首を振りため息をついた。
「いい余興になっただろ。いつもお前は帰って来ても、部屋に閉じこもりっきりが多いだろ。仕事がいそがしいといってな」
「ごめんなさい。カナさんやリッカルドが知ってるってことは、もう村では公になってるの」
「そうだ」
「反応はどうだった?わたしが会った人たちは気にしてない様子だったけど」
「それならお前は気にせず、芝居の台本でも書いていろ。明日は父さんの大事な十五周忌だ」
話はそこまでになった。おじいさんには何事もなく安心はしたが、もやもやは残り遅くまで寝付けずにいた。
翌朝、早めに起こされたビビアンは急かされ朝食を取った。起きるのが遅いビビアンが家族や使用人と一緒に朝食を取るのはめずらしいことだ。部屋へ戻されると用意された式服に手伝い付きで着替えさせられた。
「法要はお昼でしょ。そんなに急がなくても」ビビアンは軽く悲鳴を上げた。
「今回はその前の参加する行事がありまして」ベイリー背後でコルセットの紐を引く。「早めに出ていただかないといけません」
「どこに行くの?」
「それは旦那様に聞いてください」
目が覚めないまま着替えを終えて玄関前に出ると家族勢ぞろいで馬車に追って待っていた。母さんとおばあさんに支度で負けたのはよほどのことだ。兄さんたちは自宅から現地に向かうらしい。
満席の馬車でやって来たのは村の教会だった。何が始まるのか、教会の前の広場は村の人達で一杯だ。教会そばでは布に包まれた石像らしきものが置かれている。そしてその横に村長さんや司祭様、他に村の偉いさんが並んでいる。大事な除幕式なのは確からしい。
馬車を降り兄さんと合流する。父さんは像の方へと向かった。
「何が始まるの?」
「まぁ、見てなよ」
「そうよ。見てなさい。これが村の人達の反応よ」
兄さんやおばあさんは答えてはくれない。
「反応……?」
村長さんが列の中から一人前に出た。
「本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます」
村長さんの言葉により除幕式が始まった。お父さんを含め何人かの挨拶が続いた。祝福の雰囲気で一杯だがなぜ今なのかがわからない。
いよいよ、除幕となった。担当は司祭様とお父さんだ。取り付けられた紐を引っ張り布は剥がれ銅像が現れた。現れたのはおじいさんだった。ビビアンがよく知っている頃の姿と生き写しだ。集まった村の人達が歓声を上げ、拍手で満たされた。ビビアンはその光景を呆然と眺めていた。
「村の人達は改めてお父さんを受け入れてくださったの」お母さんの声が聞こえた。
「石像を作ることになった時のいきさつをお前に伝えられなかった。だから、一芝居うったのさ、面倒だったかもしれないけどな」と兄さん。
「ありがとう、一芝居できそうよ」
眼は零れ落ちる涙でよく見えなくなったが、ビビアンは真っすぐ石像の元へ向かった。
「それからはお祭り騒ぎで法要に流れ込んだそうよ。たくさんのお菓子が配られて賑やかな法要になったそうね」
闇に浮かぶ塔大きくなってきた、
「いいお話ですね」
「ビビアンはおじいさんからいいお話をもらった。後は脚本に仕上げるだけ彼女は言っていたわ」
「そんなお話聞くと、また見に行きたくなりますね」とフレア。
「あら珍しい。さすがに記念公演の演目になるだけはあるわ」