第2話

文字数 3,687文字

 集金を済ませ帰路についたことで、フレアの気持ちはいくらか落ち着いた。今日は問題なくうまくいった。どこも一回の照合で済ませることができた。日によっては銅貨一枚に悩まされることもある。口裏を合わせてごまかしたい時もあるが相手はローズであり、それは不可能といえる。嘘をつかず誠実でいることが最善であると狼人やごろつきに思わせる、そんな存在がローズである。
 金が詰まった鞄の重さは大した苦にはならないのだが、鞄への負担を避けるため両手で抱え人並みに動く必要がある。帝都に来て間もない頃、一度派手に中身をぶちまけたことがあり、それ以来帰りはしっかりと胸に抱くか肩に担ぐことにしている。
 酒屋の前にたむろする近所の住人と挨拶を交わしつつ歩いているうちに、何かの気配を感じた。気配といっても、彼女が感じるのは主に人の可聴域の外にある音や淡い匂いである。経験上害や利益にならないものは感覚から排除され後に残ったもの、それを彼女は気配と呼んでいる。
 立ち止まり感覚を澄ませる。鞄を下に置き地面に右手のひらを押し付けてみた。腕を伝わり耳慣れない物音が伝わって来る。何かが地を掻く音、一つや二つではなくおびただしい数の音が混ざり合って腕を上って来る。 動いているのは人ではなさそうだ。
「お姉さん、何してるの」
 膝をついたまま声に声に顔を向けると若い男が片手を軽く上げ微笑みかけていた。いつも同じ建物の戸口の脇で、古びた樽を椅子とテーブル代わりにカードゲームをしている坊主頭の三人組の一人である。おそらく近くの建物への出入りの監視を任されているのだろうとフレアは察している。
 フレアが立ち上がると男達の表情が変わった。近くの店の嬢に声をかけたつもりが勘違いしていたのだ。慌てて立ち上がり深く頭を下げた。
「あなた達、この地下がどうなってるか知ってる?」
 三人は視線を泳がせ、お互いを見やった。事情は知っているが隠すのは下手なようだ。
「噂じゃ、誰かが昔作った地下通路がそのままになってるそうです。それ以上は……」最初に声をかけてきた男が答えたが、それ以上は聞かないでほしいらしくフレアから視線を外した。
 フレアはもう一度膝をつき手のひらを地面に当てた。やはり、地下で何かがうごめいている物音が伝わって来る。握りこぶしほどありそうな何かが這い回っているのが想像される。
「もし、その誰かがまだ地下を使っているなら、しばらく扉をしっかり閉めて地下に降りないように伝えて欲しいの」
「どうしてです?」
「何かわからないのがたくさん地下にいる。心当たりはある」
 三人はお互いに無言で顔を見合わせ、やがて首を横に振った。
「無いですね」
「そうなの。下手に降りて何かに体中食いつかれるなんて嫌でしょ。用心に越したことはないわ」
「マジですか?」
「もちろん、嘘はないわ。もし、騒ぎが起こったら警備隊が飛んでくることになるわよ」
 三人組が顔を見合わせる。
「その前にその誰かに教えてあげればあなた達の手柄になるわ。わたしの名前も出しなさい。その方が言いやすいでしょ」

 三人組をうまく丸め込み自分の名前を使い指示をしておいたおかげで、フレアが塔に集金を置き戻ってきたころには地下の封鎖はおおむね完了していた。元々人の立ち入ることが少ないこともあって組織内で連絡を回せば事足りる。スラビア移民地区で競合相手であるカッピネンにもとりあえず連絡は入れておいた。
 三人組の上にいるコンテペルトも突然の要請に困惑していたが、過去に地下からあふれ出したネズミによりもたらされた伝染病により、狩場が大混乱となった経験を持つフレアとしては放置できる事態ではない。
 フレアは改めて地下の様子を探った。思い違いではなく何かがいる。周辺をこまめに探査しそれが最も密集しているであろう地点を特定した。荒れた路面で何度も膝をつき手を当てるフレアと、その後を坊主頭の男―ラサトと名乗っていた―が追う。事情を知らない者たちにはさぞ奇妙に見えたに違いない。
「この地下ね」 
 フレアが戸口の前で示したのは古びた商店。半ばはげ落ちた看板からとりあえず道具、および雑貨屋であることはわかる。
「あなた、この下に降りられる場所に心当たりはある」フレアはラサトに問いかけた。
 ラサトは僅かな間ためらった後、目の前の店を指差した。
「あそこです」
フレア相手に隠し事をしている余裕はない。
「ありがとう」
 フレアがまず店に入りその後にラサトがついて来る。
「こんにちは」
扉を開けた店内は埃っぽいが特に気になる匂いは漂ってはこない。薪や炭などの必需品と港での作業におすすめの作業服と道具などが並べられている。
 扉のきしむ音にカウンターの中でだるそうに椅子に座り壁にもたれていた店主が顔を上げた。目を見張り、一瞬表情を固まらせた後勢いをつけ立ち上がった。
「いらっしゃ、いませ」
 フレアが近づいていく間も店主は不安げにフレアとラサトの間をきょろきょろと視線を動かす。気楽な店番の終焉を心配しているのかもしれない。存在は知っているが自分とは無関係だと思っていた人物が目の前に現れたのだ。
「気を楽にして、この店には地下室があるわよね。案内してもらえないかしら」
 フレアは店の床を指差した。店主は明らかに戸惑っているようだった。上から地下の封鎖を指示された直後にフレアがやって来たのだから無理もない。視線があさっての方へ向き、ややあって店主は頷いた。上着の中に隠れている装身具で問い合わせをしていたようだ。わかりやすいが適切である。
「こちらです」
 店主がカウンターの中に戻り今まで座っていた椅子を外に出す、そして床にしゃがみ込んだ。
 床が音を立て持ち上がり地下へ降りる階段が現れる。後ろにいたラサトが入り口のカギを掛け、こちらに戻る途中に売り物のランタンを一つ手に取り火をつけた。それを店主に渡す。ラサトを地上の見張りに残し、二人で地下へと降りる。
 地下は普通の倉庫に見える。危険な匂いも漂ってはいない。
「変な物は置いてません。上の在庫ばかりです」
 店主は下降階段の途中から室内に向けて光をかざした。黄色味がかった光に浮かぶのは木箱や薪などの山である。とりあえず、普通の倉庫のように見える。 不審な影も見当たらない。
 階段を降り切り、フレアは床に手を当ててみた。不気味な音を発している存在は床下にいるようだ。それは耳にも直に入ってきている。対象は近い。
「この下がまだあるわよね。入口はどこ?」
「その箱の下です」店主は目当ての箱に近寄り指差した。 今度の判断は早かった。
 側面に作業服つなぎと炭で書かれている。フレアは二段に積まれた箱を引きずり動かした。それなりの重さはあったが、彼女にとっては物の数ではない。
 もう店主に扉の位置を尋ねる必要はなかった。床の一部が何かの力を受けガタガタと小刻みに揺れている。重りとなっていた木箱がなくなった今、力を阻むのは跳ね上げ扉の丁番と簡素な止め金具だけである。
 ランタンを手にこちらに近づこうとした店主を止め、床の小さな切れ目に伸ばした爪をねじ込んだ。手を左右に動かすだけで金具ははずれ、地下に潜んでいた存在はフレアが跳ね上げ扉に手を掛けることもなく地下からあふれ出してきた。黒い塊のように見えたそれは蜘蛛の集まりだった。ランタンの光に浮かびその姿は、拳ほどの大きさで黒光りするしっぽの無いサソリにも見える。
 あふれ出した蜘蛛は傍にいたフレアにまとわりついた。そして彼女の足や手をよじ登る。所かまわず噛みつくがフレアはそれかまうことなく、まず跳ね上げ扉を力任せに閉めた。挟まれた蜘蛛の体が砕けて鈍い音を立てる。ちぎれた脚や体が床に弾け飛ぶ。脇にのけていた木箱を持ち上げ扉の上に落とす。それでまた幾らかの蜘蛛がつぶれた。体の強度は大したことはないが牙の痛みは鋭い。この数で来られては人なら持たないだろう。店主の方に目をやると彼は無事のようだった。蜘蛛は光が苦手なようで、ランタンが床に作り出す光円の中には入れないでいる。店主が振り回すランタンに後ずさりを続けている。
「そこでじっとしていて」フレアが叫ぶ。
 足元の蜘蛛は踏みつぶし、手足にまとわりつくものは剥がして床に叩きつける。傷となり出血を伴うが傷はすぐ回復する。毒の心配はあるがどのみち人の薬は使えない。自分の回復力に頼るしかない。
 自分の周りの蜘蛛を殲滅し終えたフレアは、店主の蜘蛛の囲みを蹴り潰し彼を解放した。急ぎ足で上階へ戻りカウンター中に薪や道具を積み上げる。そこでラサトと店主はようやくフレアの手足が血塗れであることに気が付いた。
「心配ないわ。傷はもう治ってるから、それより血を洗い落とす水を持ってきて、こんな血まみれじゃ外に出られないわ」
 男二人は大きく何度もうなずき店外へと飛び出していった。

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