大熊島の遺産 第1話

文字数 3,329文字

 トーマス・ポロパイネンは貸馬車より降り立ち笑みを浮かべた。事前に告げていた運賃を上回る数の硬貨を受け取った御者は、満面の笑みを浮かべその場から去っていった。彼は懐中時計を取り出し時間を確認する。指定の時間には十分間に合ったようだ。旅行鞄を手に指定されたマロネイア港第三桟橋へと向かう。そこに目的地である大熊島に行くための船が係留されているらしい。

 桟橋を歩き、船腹にソルダートという書かれた船を探し出すのに、大した手間はかからなかった。帆柱が中央に一本だけの沿岸部で漁によく用いられる小型の帆船だ。船には先客が男女合わせて四人いた。釣った魚の隣に座らなくてもよいのは助かるが、これは聞いていない話だ。

「おはよう、大熊島に渡るにはこの船でいいんだろうか?」
 
 ポロパイネンは船の艫側の係留柱に腰を掛けて煙草を吸っている男に声を掛けた。短い黒い髪よく陽に焼けた小柄な男だ。

「この船で合ってますよ、旦那。若い衆が戻ってきたら出ますから、乗って待っててください」

 男は座ったまた船を指差した。

「ありがとう」

 甲板には木箱が並べられ先客たちはそれに腰かけていた。残りは二つ、ポロパイネンは座面に黒い染みの無い箱を選び腰を掛けた。乗客たちには乗り込む折に軽く挨拶をしておいたが反応は薄かった。それでいい。このトーマス・ポロパイネンは人々の記憶に残らず、消え去ることが望ましい。



 トーマス・ポロパイネン、ゲレシア共和国カランバカ在住の資産家、主に貿易業、不動産にて財を成した父カレリナよりそれを受け継いだ。美術品愛好家であり収集家、そして美術品専門の窃盗犯ファンタマの顧客の一人でもある。 現在、トーマス・ポロパイネンを名乗る人物はこの世に二人いる。カランバカの私邸で寛いでいるであろう本物と漁船の甲板で木箱に腰かけている偽物である。正体は変装怪盗ファンタマである。今回は男に化けている。

 ファンタマの名は警察機関が名付け、諸国に広まった通称だが、本人はこの通称を気に入っている。彼らのおかげでファンタマが変幻自在の怪盗を指すことが周知された。これによる危険もないわけではないが、今まで必要だった面倒な説明が省くことができ、新たな仕事も入って来るようになってきた。この方が利益が大きい。

 今回の大熊島への旅はファンタマが二週間前にポロパイネンの元へ呼び出されたことが発端となっている。この時は赤毛で短髪の青年の姿で出向いた。カランバカにある邸宅に赴いたファンタマは彼の隠し部屋に通された。ポロパイネンの秘密の収蔵室である。家具は何ひとつ置かれておらず、部屋の中央に立ち、飾られた収蔵品を眺めるための部屋だ。その中にはファンタマが持ってきた絵画や彫像も含まれている。ポロパイネンはしばらく収蔵品を眺めると隣接する応接室へと出た。椅子の一つをファンタマに勧め自分はその対面の椅子に座った。

「あの部屋に飾る絵を一つ増やしたいと思っているんだ」とポロパイネン。

 背は高く少し癖のある黒い髪は長く肩まで伸びている。短い顎髭に骨ばった顔の男だ。

「ヒッポグリフの帯を知っているか?」

「ルフネ暴動の際に消えたとされるマルコ・ピエタラの真作を指しているのであれば……」贋作なら時折姿を現し消えていく。
 
 ポロパイネンが頷く。

「少し前に所在が判明したらしい。先日、付き合いのある画商からその売り込みがあった」

「本当なら素晴らしい事ですが、取引は慎重にされたほうがいいですよ。何度か同様の話を聞きつけ確かめに行きましたが、どれも贋作ばかりでひどい時は物さえなかった」

「俺もそれは承知している。そこでだ。……ここからが今回の依頼だ。俺に成り代わって先方へ赴き「ヒッポグリフの帯」の真贋を確かめてもらいたい。先方の真意をまず知りたいのだ」

 そして、そんな経緯を辿り彼がトーマス・ポロパイネンとして赴くことになったのがカランバカの東方、マロネイアの沖に位置する大熊島である。そこに今回の商談相手が住んでいるという。

 ファンタマも自身でその島について調べてみた。最初の所有者は大トリキア公国のアネット・オリゾンという宮廷魔導士だった。彼は美術品の収集家でもあり、引退の後こちらに移り住んでいた。その収集品の中に、「ヒッポグリフの帯」が含まれている可能性はある。魔導士は既に故人であるため、今の所有者が彼の収集品の中から「ヒッポグリフの帯」を発見したことになる。ポロパイネンがこの取引を捨て置けないのは魔導士が持つ他の絵画にも興味があるからだ。

 「ヒッポグリフの帯」はクサンチ大聖堂の求めにより、マルコ・ピエタラが製作した宗教画である。ヒッポグリフの帯と呼ばれる草原で起きた奇跡が描かれている。長らくクサンチ大聖堂の壁に飾られていたのだが、暴動により侵入した暴徒に持ち去られたとされている。以来、その姿を見た者はいない。

 所在が失せて久しい「ヒッポグリフの帯」だが、時折詐欺のネタとして姿を現す。今回はファンタマの前に現れたわけだ。

 現在、大熊島にあるアネット・オリゾンが建てた屋敷に住むのは、サミ・ビスケスという資産家である。彼か彼女かは不明だが商談相手となるはずだ。ファンタマはポロパイネンとして件の絵画の真贋を確かめ、密かにビスケスと商談を進めるつもりだった。しかし、先方は食事会でも催すつもりなのか多数の客を招待しているようだ。面倒の予兆は既に見えている。

 船長が言っていた若い衆が船に戻り出航の準備を始めた頃、傍に急停止した馬車から男が船に飛び乗ってきた。細身ではあるがひ弱な雰囲気はない。長く茶色い髪を後ろで纏めている。男は甲板で一度息をつくと、ポロパイネンの正面に座っていた山高帽を被った小太りの男の襟元にいきなり掴みかかった。

「お前はさっきの割り込み野郎!」掴んだ喉元を締めあげる。

 あわや船上で取っ組み合いの喧嘩かと思われたが、二人は屈強な体つきの若い衆二人に引きはがされ船長の前に座らされた。

「お客さん喧嘩なら外でやってもらえますか」

 船長の低く抑えた声と肩にかかる腕の圧力に、二人ともその場は大人しく引き下がり船はそのまま港を出た。

 男二人の諍いの原因は茶髪の男が止めた馬車を小太りの男が横取りしたのが発端だった。そのせいで彼は再度馬車を探し駆け回ることになった。確かにやっとのことで到着した目的地で騒ぎの張本人を目にすれば、襟元を締めあげたくなるのは無理もない気はする。

 これを二人の男から嬉々として事情を聞き出したのはターナ・トゥルネンと名乗る唯一の女性客だ。細身で長い金髪を結い上げ簪で止めている。使用人紹介所を経由してサミ・ビスケスに秘書として雇われたという。彼女のとりなしで小太りの男は帽子を取り謝罪し、茶髪はそれを受け入れた。

 それからも彼女のおしゃべりは止まらず同乗した男たちは全員自己紹介をする羽目になった。小太りの男の名はケナカ・ヘイゾル、地元マロネイアの建設業者でビスケスに屋敷の増築に関する相談で島に呼ばれた。茶髪の男はポール・ヤンセンといい、新聞社などへ記事を流している。彼への依頼はビスケスが出す手記の執筆代行と出版に関する手伝いである。残る一人は足元に置かれた鞄で予想はついた。予想通り医者でジンク・ラモリと名乗った。依頼は何の捻りもなくの医療相談だ。

 ファンタマはポロパイネンとして貿易商と答えておいた。彼の名にヤンセンが僅かに反応したように見えた。

「それじゃぁ、あなたも何かの商談に?」

「こちらには貿易商ではなく美術愛好家として来た。ビスケス氏も同じ趣味を持っているようだ。どこで聞きつけたのか、俺に見せたいものがあると手紙がきた。興味をそそられる内容で仕事は他の者に任せて来てみたんだが、来客の多さに戸惑っている。皆さんはどうお考えかな?」

「確かに……だが、急いでも仕方ない。ゆっくりとやらせてもらう」とヘイゾル。

「今さら、泳いで帰るわけにもいかないしな」ヤンセンが笑った。

 水平線の向こうで芥子粒と変わらなかった島が今は緑の形まで見て取れる。大熊島への到着はまもなくだろう。
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