呪いの首飾り 第1話

文字数 3,380文字

 モルデン・アンデルセンは変装盗賊ファンタマの素性を知る数少ない友人であり、仕事仲間でもある。表の世界では優れた宝飾品を世に送り出し続ける名工として知られているが、裏に回れば寸分違わぬ偽物を作り出す贋作作家でもある。

 彼は表の工房では、数多くの弟子を抱え彼らを熱心に指導する師匠として活躍している。そのため彼自身の作品を希望するならば多くの金銭と長い待ち時間が必要となるだろう。

 裏の工房も同じ場所に位置しているのだが、そこまで行きつけるのはごく限られた者に限られる。ファンタマも最初に優れた贋作職人としてアンデルセンを紹介され会ったのは表の工房の奥でのことだ。何回か仕事を頼んでいるうちに気に入られたようだ、秘密とされている裏の工房へ通された。そこへ至る扉は表と同じく「奥の部屋」の扉だが、別の部屋へとつながっていた。窓がなく外の景色を目にすることが出来ないため、ファンタマの推測に過ぎないが裏工房があるのはこの世ではないと踏んでいる。

 今日、ファンタマが裏の工房にやって来たの、先日依頼していた首飾りを受け取るためだ。工房の職人たちが「奥の部屋」と呼ぶ扉はファンタマが開くと裏の工房と繋がり、そこには本物のモルデン・アンデルセンが片付けられた作業台の傍で背もたれの無い椅子に腰を掛けていた。ファンタマは軽く微笑み右手を上げた。後ろ手で扉を閉める。これで「この世」との接続は切れることになる。元通り繋げることが出来るのはアンデルセンのみだ。現在、表の工房では彼の使い魔が化けたアンデルセンが留守番として煙草をくゆられているだろう。アンデルセンもよく言う同類なのだ。

「調子はどうだい?」アンデルセンが声を掛けた。

「残念なことになったよ」 ファンタマは肩を落とし答える。

 ファンタマの今日の姿は肩まである艶やかな黒髪の男だ。瞳はハシバミ色で髪と同じく艶やかな黒のウェストコートを身に着けている。ヘーゼル・マンセルと名乗る宝石商、それがアンデルセンの工房へ訪れる時のファンタマの姿だ。

「これのせいか?」

 アンデルセンは作業台の上に置いてあった新聞を彼の傍へと滑らせた。

「その通り、よりによって何の芸もない強盗に先を越されたよ」ファンタマは顔をしかめ言葉を吐き出した。

 工房の職人たちは穏やかな紳士であるマンセル氏がこのような表情を浮かべるとは思いもしないだろう。新聞には先日トロヤンの名家であるノギロン家で起きた悲劇が報じられている。ノギロン家の長女ネネが身に着けていた首飾り「湖水の輝き」が奪われ、その犯行の際にネネも暴行を受け大怪我を負ったという。

 奪われた首飾りは遠縁の親戚から結婚祝いとして贈られた品だった。「湖水の輝き」は長い間所在が不明だったが、ネネが結婚式に身に着け現れたことで再び脚光を浴びることとなった。深い群青色の珠がふんだんに使われた逸品である。

「まぁ、座ってくれ」とアンデルセン。

 ファンタマは勧められ彼の隣の腰掛に座った。

「これはどうする。使わないならこちらで処分しておくが……」

 アンデルセンは右脇に置いてある飾り気のない黒塗りの木箱を指差した。

「それには及ばんよ。こちらで買い取る、それでかまわない」とファンタマ。

「いいのか?本当にそれで……」

「かまわないよ、本当に」ファンタマは自分の元に木箱を引き寄せた。

 蓋を開け中を確かめる。暗く落ち着いた赤の内張りが施された箱の中に「湖水の輝き」の模造品が収められている。

「偽物にしておくのがもったいない出来栄えだな。惜しいが使い道が出て来るまで取っておくことにするよ」

 ファンタマはこれと本物をすり替えノギロン家から持ち去るつもりでいた。そのために屋敷に何度も忍び込み、首飾りの在処を特定しておいたのだ。それがつまらない強盗風情に先を越された。憤懣やるかたないが、ここでそれをぶちまけるわけにも行かない。この思いを晴らすなら首飾りを奪い去って行った犯人に対してだろう 。

「わかったよ。持っていくといい」とアンデルセン。「それならせめて……」

 彼は立ち上がると背後の棚へと向かった。両開き扉の右側を開き緑色のガラス瓶を取り出しファンタマに向かいかざした。

「いい酒が入った。飲んでいけ」

「ありがとう、頂くよ」


 幾杯かの酒を酌み交わした後、ファンタマはマンセルとしてアンデルセンに見送られ工房を出た。工房は賑やかな街路に面しており、まだ陽も高いこともあって人通りも多い。人の流れに合わせて歩を進めていると嫌な気配を感じた。つけられているか。彼を包み加護するアラサラウスが過剰反応している場合もあるが、手にした大型の革鞄には例の木箱が入っている。慢心は禁物だ。

 ファンタマは歩を緩め、最寄りのカフェに入り様子を見ることにした。アンデルセンの工房を出るところを目に止めた者がいるのかもしれない。工房の見た目は地味で目立つことはない。しかし、中で何が扱われているかを知っていれば、ファンタマが持っている頑丈そうな革鞄の中身に察しが付くだろう。

 実際に察しのいい輩に工房から後を追われたことがある。そいつは狭い路地に誘い込むと何の疑いもなくついて来た。中背の赤毛の男だったと記憶している。男を引き連れ、歩いている最中にアラサラウスの裾が伸びる感触が伝わって来た。振り返ると赤毛の男が短剣を握りしめたままうつ伏せで倒れていた。男が短剣を取り出した際の強い殺意をアラサラウスが感じたのだろう。ファンタマを加護する立場にあるアラサラウスとしては捨て置くことは出来ない。ファンタマは止めるとこも避けることもできたが放置した。見ず知らずの者を躊躇なく手に掛けようとする輩に掛ける情けなどファンタマは持ち合わせてはいない。

 カフェで出された少し煮詰まり気味の珈琲を時間を掛けて飲み干し外へと出た。面倒なことに気配は強くなっていた。増援を集める隙を与えてしまったか。

「仕方ないな」ファンタマはため息交じりに呟いた。

 隠れ家は目前なのだが、追手達を隠れ家に案内するわけにはいかない。とりあえず、邪魔が入らない人気のない場所への移動が必要だ。

「あそこに案内するか」

 ファンタマは進行方向を変えず歩き出した。向かうのは隠れ家ではなく最寄りの火事現場だ。おそらくまだ片付けられてはいないだろう。街路を渡り右側へそれから少し歩いた後、角を右に曲がり路地へと入る。そのまま直進すると茶色い煉瓦塀に行き当たった。高さはファンタマの一倍半ほどか。人気がないことを確かめ袖口を伸ばしてよじ登り、煉瓦塀の内側へと飛び込む。予想通りまだ片付けは済んでいないようだ。

 ここはプロフディフでも有名な資産家の邸宅だったが、二週間ほど前に火災により焼け落ちた。幸い家人や使用人に犠牲者は無く、彼らは夏用の別邸で暮らしている。厨房の焼け方が酷かったためパン窯やかまどの火の不始末ではないかと言われている。

 ファンタマは倒れた庭具や彫像を跨ぎ越え、開いたままになっている大窓から屋敷内へと入った。この部屋は比較的損害は小さそうだが、天井や家具は真っ黒に煤けそのまま使えそうにない。

「俺に用があるなら姿を見せてくれ。言っておくが鞄の中身は模造品だ。惚れ惚れする作りだが価値はない。できるのは見て楽しむのがせいぜいだ」

 姿は見えず無反応だがアラサラウスはしっかりと追手の気配を感じ取っている。ファンタマが侵入した窓の外に二つ、部屋への扉の向こう側に三つ待機している。殺意はないが興味津々でファンタマと手合わせしたくて堪らないといったところのようだ。

「なるほど、答えてはもらえないのか。それなら……」

 ファンタマは両手を広げ肩の高さまで上げた。上げた袖先が細かく分かれ細剣となって気配へと向かって飛んでいく。右側は窓に向かい直進し二組に分かれた後、双方上下左右に目標を取り囲む。 左側は一列に並び壁に穴を穿ち廊下へと飛び出した。全弾手ごたえはあったが効いてはいない。アラサラウスから伝わる感触は生き物のそれではなく、まるで土塊を貫いたようだった。だが、姿を隠し人を追いかける土塊などあるはずもない。

 思いのほか面倒な相手に絡まれてしまったようだ。ファンタマは思わず顔をしかめた。
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