彼方よりこの地へ 第1話
文字数 3,153文字
ひと昔前なら大騒ぎになっていたが、今では砂漠の上空につやの無い灰色に塗られたコバヤシの航空機が飛んだところでさほど気に留める者はいない。手を振る者はいても、恐れて逃げ出す者はいなくなった。詳しい素性を知らなくとも、コバヤシと称された彼らのことは帝国内で広く知れ渡り、彼らに脅威を感じる者はもういない。
ある日、突然空の彼方から現れた雲ほどに巨大な黒い針山。砂に深く埋まり、動かなくなったその傍で暮らす奇妙ではあるが、自分たちとさほど変わらない姿の住人達。彼らの姿に高齢者は慣れ、若者たちに至っては物心つく前からある風景である。
彼らとしては帝国に欲得づくの半面があったとしても、自分たちを受け入れてくれたことには感謝している。進んだ科学技術があったとしても人は生物としては脆弱である。良好な協力関係がなければこの魔法の国で生きていくのは難しかっただろう。
ツネヨシ・ゴトーは背もたれに体を預け、前方の背面に設置されたモニターの映像を眺めていた。今画面に映っているのはもうセリフの一つ一つまで覚えてしまった古い映画ではなく、機外カメラが捉えた外界の映像だ。眼下の砂漠に時折映り込むのは小さな水場に生えた木々、点在する集落、砂に埋もれた廃墟、これらが画面上を流れていく。
今日はモニターに映る集落が少ないように思えた。航路はほぼ一定だが微妙にずれることがある。航路は機体に搭載された人工知能が決定する。操縦士はいるが彼が操縦かんを握るのは非常時のみ、それでさえ人工知能の補助が付く。通常は目的地の座標をコントロールパネルに打ち込むことだけだ。どこを通るかは所要時間や燃料、天候などを加味して機体が決める。遥か昔はすべて人がやっていた。様々な武器や乗り物を扱うことができるゴトーだが、このような機体を人工知能の補助なく人だけで制御するなど神業としか思えない。
ふいに機体が上下に揺れた。乱気流に遭遇したのだろうとゴトーは理解した。機内の同乗者から軽い悲鳴が上がった。人が空を飛び始めた頃ならこれが原因で大惨事になり得た。現在でも十分に怪我を負う可能性のある現象である。地上でも歩行機や車両でも浅い窪み脚やタイヤを取られひどく揺れることはある。
しかし、今回は違ったようだ。振動の後すぐにけたたましい警報音が鳴り響いた。
「乗員は着席の上シートベルトを締めてください」合間に落ち着いた女性の警告アナウンスが流れる。
飲み物の調達やトイレに席を立っていた二人が手近な席に座りベルトを締めた。ゴトーも外していたベルトに手を伸ばし装着する。
「乗員は着席のう、第一エンジン停止」二回目の警告に別の声がアナウンスに割り込んできた。
シートベルトで止付けつけられた身体がふんわりと座席から浮いた。また、悲鳴が上がる。ゴトーも思わず息をのむ。備品の枕やブランケットが飛び、飲み物のカップが天井にぶつかりオレンジ色の液体が飛び散る。尋常な降下速度ではない。皆事前の訓練を受けているが恐怖は避けられない。 訓練ではないのだ。そのため帰結は不明である。
「第二エンジン出力低下、機はこれより不時着シークエンスに入ります。全出力喪失の場合機体制御を失うことがあります。ご了承ください」
人工知能は通常の着陸アナウンスと変わらぬ口調で警告文を読み上げる。
「第二エンジン停止、地上接近、地上接近、着地時の衝撃に備えてください」
ゴトーと他の乗員も事前の訓練に従い座席の中で体を丸め、両手で頭を守った。
「着地時の衝撃に備えてください。着地まで十……」
頭を下げる寸前に目にした機外カメラの映像からは幸い近くに人家はないようだ。少なくとも余計な怪我人、死亡者は出ないだろう。
「七、六、五、四、三、二、一、着地します」
着地時に衝撃があり軽く跳ねたが、その後は機体は砂の上を滑らかに滑り、横転することなどもなく無事停止した。
「機は無事着陸しました。ありがとうございます」
ゴトーは頭を上げ大きな息をついた。椅子の背にどっともたれる。何人かが歓声を上げている。
「これより機は再起動に入ります。電源などは落ちますが戻るまでお待ちください」
しかし、機はいつまで経っても戻ってこなかった。
帝都の西に陽が沈み夜が訪れた。塔の最上階から陽光が排除され、ランプの灯がそれにとってかわる。
「おはよう。フレア」
今夜のローズは速やかに寝室の前に姿を現した。小ネタやいたずらなどなく着替えの準備を済ませたフレアの元へ歩く。
「おはようございます」フレアが答える。
「ゴトー様について何か連絡はあった?」フレアの様子を見れば聞くまでもないが、ローズは敢えて尋ねずにはいられなかった。
「いいえ、あれからは何もありません」
フレアがこう答えるのはこれで二回目である。
ローズと付き合いのあるコバヤシの渉外担当者ゴトーが一昨日前から行方不明となっている。ローズは彼が塔へやってくる聞いていたのだが、その夜は姿を現すことはなく、代わりに居留地の方から彼の所在を訪ねる連絡が入ってきた。帝都へと向かう空船、航空機が砂漠で姿を消し乗員も行方不明となっているという。
帝都内であれば誰であろうと持てる力を尽くして探し出すのだが、砂漠となればこちらの力は及ばない。コバヤシの捜索隊の成果を待つほかない。
ゴトーとの付き合いは三十年以上になる。その間姿は変わらない。禿げた頭で丸い眼鏡をかけた中年男のままだ。初期組と呼ばれ元いた世界を知る者の一人で砂漠への硬着陸を切り抜けた一人でもある。彼らとしては調査船の砂漠への突入は本意ではなかった。当初は遥か上空でこっそりと地上を観察し、誰とも関わることなく帰るつもりでいた。遥か空の彼方からそっと地上を眺めているつもりだったが、予測しえない展開により空から落ちてしまい二度と帰れなくなってしまったそれが彼らなのだ。
後に、あの騒ぎは帝国ばかりではなくこの星ごと巻き込む大惨事になり得た可能性もあったと聞き驚いたことを覚えている。 西の砂漠の爆心地で出来事の何千、何万倍の惨事になり得たというのだ。
ローズの着替えが終わるのを待っていたように玄関の呼鈴が鳴った。同時に壁の通話機も呼び出し音と光の明滅を始めた。
「わたしが下に降りるわ。あなたは通話に出ておいて」
「はい、でもいいんですか」
「まかせなさい」いつもなら多少客を待たせることになってもフレアに両方とも任せるのだが、今夜はその気にならなかった。
手は触れず部屋の扉を開け、ローズは室外へと出ていく。フレアとは違い塔の内壁を這う螺旋階段は使用せず、塔の吹き抜けに飛び出し一階の床に飛び降りれば時間はかからない。
玄関扉前に着いた時に二度目の呼鈴が鳴った。扉を開けるとそこにはゴトーの姿があった。ローズの姿をめにして少し驚いているようだ。皆玄関口に現れるのはフレアであり部屋着姿のローズが現れることを予想していないのだ。彼女が現れるのを考慮に入れているのは近所の肉屋か酒屋の配達人ぐらいだろう。
「ローズ様、ゴトー様の無事が確認されてこちらに向かっているそうです」フレアからの声が頭蓋内に響いて来た。
「そのようね」 面前にいる男に向かい微笑みかけつつ声を返す。
ローズはゴトーに向かい軽く頭を下げた。
「いらっしゃいませ、ゴトー様」
「遅れてしまって申し訳ない」 ゴトーは申し訳なさそうに笑顔を浮かべた。
「いいえ、ご無事で何よりです」
ある日、突然空の彼方から現れた雲ほどに巨大な黒い針山。砂に深く埋まり、動かなくなったその傍で暮らす奇妙ではあるが、自分たちとさほど変わらない姿の住人達。彼らの姿に高齢者は慣れ、若者たちに至っては物心つく前からある風景である。
彼らとしては帝国に欲得づくの半面があったとしても、自分たちを受け入れてくれたことには感謝している。進んだ科学技術があったとしても人は生物としては脆弱である。良好な協力関係がなければこの魔法の国で生きていくのは難しかっただろう。
ツネヨシ・ゴトーは背もたれに体を預け、前方の背面に設置されたモニターの映像を眺めていた。今画面に映っているのはもうセリフの一つ一つまで覚えてしまった古い映画ではなく、機外カメラが捉えた外界の映像だ。眼下の砂漠に時折映り込むのは小さな水場に生えた木々、点在する集落、砂に埋もれた廃墟、これらが画面上を流れていく。
今日はモニターに映る集落が少ないように思えた。航路はほぼ一定だが微妙にずれることがある。航路は機体に搭載された人工知能が決定する。操縦士はいるが彼が操縦かんを握るのは非常時のみ、それでさえ人工知能の補助が付く。通常は目的地の座標をコントロールパネルに打ち込むことだけだ。どこを通るかは所要時間や燃料、天候などを加味して機体が決める。遥か昔はすべて人がやっていた。様々な武器や乗り物を扱うことができるゴトーだが、このような機体を人工知能の補助なく人だけで制御するなど神業としか思えない。
ふいに機体が上下に揺れた。乱気流に遭遇したのだろうとゴトーは理解した。機内の同乗者から軽い悲鳴が上がった。人が空を飛び始めた頃ならこれが原因で大惨事になり得た。現在でも十分に怪我を負う可能性のある現象である。地上でも歩行機や車両でも浅い窪み脚やタイヤを取られひどく揺れることはある。
しかし、今回は違ったようだ。振動の後すぐにけたたましい警報音が鳴り響いた。
「乗員は着席の上シートベルトを締めてください」合間に落ち着いた女性の警告アナウンスが流れる。
飲み物の調達やトイレに席を立っていた二人が手近な席に座りベルトを締めた。ゴトーも外していたベルトに手を伸ばし装着する。
「乗員は着席のう、第一エンジン停止」二回目の警告に別の声がアナウンスに割り込んできた。
シートベルトで止付けつけられた身体がふんわりと座席から浮いた。また、悲鳴が上がる。ゴトーも思わず息をのむ。備品の枕やブランケットが飛び、飲み物のカップが天井にぶつかりオレンジ色の液体が飛び散る。尋常な降下速度ではない。皆事前の訓練を受けているが恐怖は避けられない。 訓練ではないのだ。そのため帰結は不明である。
「第二エンジン出力低下、機はこれより不時着シークエンスに入ります。全出力喪失の場合機体制御を失うことがあります。ご了承ください」
人工知能は通常の着陸アナウンスと変わらぬ口調で警告文を読み上げる。
「第二エンジン停止、地上接近、地上接近、着地時の衝撃に備えてください」
ゴトーと他の乗員も事前の訓練に従い座席の中で体を丸め、両手で頭を守った。
「着地時の衝撃に備えてください。着地まで十……」
頭を下げる寸前に目にした機外カメラの映像からは幸い近くに人家はないようだ。少なくとも余計な怪我人、死亡者は出ないだろう。
「七、六、五、四、三、二、一、着地します」
着地時に衝撃があり軽く跳ねたが、その後は機体は砂の上を滑らかに滑り、横転することなどもなく無事停止した。
「機は無事着陸しました。ありがとうございます」
ゴトーは頭を上げ大きな息をついた。椅子の背にどっともたれる。何人かが歓声を上げている。
「これより機は再起動に入ります。電源などは落ちますが戻るまでお待ちください」
しかし、機はいつまで経っても戻ってこなかった。
帝都の西に陽が沈み夜が訪れた。塔の最上階から陽光が排除され、ランプの灯がそれにとってかわる。
「おはよう。フレア」
今夜のローズは速やかに寝室の前に姿を現した。小ネタやいたずらなどなく着替えの準備を済ませたフレアの元へ歩く。
「おはようございます」フレアが答える。
「ゴトー様について何か連絡はあった?」フレアの様子を見れば聞くまでもないが、ローズは敢えて尋ねずにはいられなかった。
「いいえ、あれからは何もありません」
フレアがこう答えるのはこれで二回目である。
ローズと付き合いのあるコバヤシの渉外担当者ゴトーが一昨日前から行方不明となっている。ローズは彼が塔へやってくる聞いていたのだが、その夜は姿を現すことはなく、代わりに居留地の方から彼の所在を訪ねる連絡が入ってきた。帝都へと向かう空船、航空機が砂漠で姿を消し乗員も行方不明となっているという。
帝都内であれば誰であろうと持てる力を尽くして探し出すのだが、砂漠となればこちらの力は及ばない。コバヤシの捜索隊の成果を待つほかない。
ゴトーとの付き合いは三十年以上になる。その間姿は変わらない。禿げた頭で丸い眼鏡をかけた中年男のままだ。初期組と呼ばれ元いた世界を知る者の一人で砂漠への硬着陸を切り抜けた一人でもある。彼らとしては調査船の砂漠への突入は本意ではなかった。当初は遥か上空でこっそりと地上を観察し、誰とも関わることなく帰るつもりでいた。遥か空の彼方からそっと地上を眺めているつもりだったが、予測しえない展開により空から落ちてしまい二度と帰れなくなってしまったそれが彼らなのだ。
後に、あの騒ぎは帝国ばかりではなくこの星ごと巻き込む大惨事になり得た可能性もあったと聞き驚いたことを覚えている。 西の砂漠の爆心地で出来事の何千、何万倍の惨事になり得たというのだ。
ローズの着替えが終わるのを待っていたように玄関の呼鈴が鳴った。同時に壁の通話機も呼び出し音と光の明滅を始めた。
「わたしが下に降りるわ。あなたは通話に出ておいて」
「はい、でもいいんですか」
「まかせなさい」いつもなら多少客を待たせることになってもフレアに両方とも任せるのだが、今夜はその気にならなかった。
手は触れず部屋の扉を開け、ローズは室外へと出ていく。フレアとは違い塔の内壁を這う螺旋階段は使用せず、塔の吹き抜けに飛び出し一階の床に飛び降りれば時間はかからない。
玄関扉前に着いた時に二度目の呼鈴が鳴った。扉を開けるとそこにはゴトーの姿があった。ローズの姿をめにして少し驚いているようだ。皆玄関口に現れるのはフレアであり部屋着姿のローズが現れることを予想していないのだ。彼女が現れるのを考慮に入れているのは近所の肉屋か酒屋の配達人ぐらいだろう。
「ローズ様、ゴトー様の無事が確認されてこちらに向かっているそうです」フレアからの声が頭蓋内に響いて来た。
「そのようね」 面前にいる男に向かい微笑みかけつつ声を返す。
ローズはゴトーに向かい軽く頭を下げた。
「いらっしゃいませ、ゴトー様」
「遅れてしまって申し訳ない」 ゴトーは申し訳なさそうに笑顔を浮かべた。
「いいえ、ご無事で何よりです」