第5話

文字数 3,981文字

 最初の出番が終わりファルコンが楽屋へ戻っていく。ローズも姿を消したまま後についていった。尋ねたいことはまだある。彼の中から奇矯な侯爵家の嫡男は出て行き、今は気のいい青年である。道中ですれ違う役者仲間と挨拶を交わし、舞台関係者を労い去っていく。楽屋へ入り居合わせた仲間と軽く挨拶を交わし、自分の席へと向かう。鏡台の前に置かれた小さな花束といくつかの封筒に笑みを浮かべた。

 席に着き真っ赤なかつらを外し、上着の前を緩め息をつく。送られた手紙の宛名と送り主を確認していく。ファルコンは最後の封筒で嫌悪感を湧き立たせ、表情を曇らせた。舞台へ出た直後に現れた感情と同様だ。

 背面に書かれた差出人の名はコウ・サキサとなっている。傍に潜んでいるローズがファルコンに開封を頼むと、彼は乱暴に封を剥がし中の手紙を取り出した。内容はまだ公式発表されていないエイハヴ役への賛辞と激励である。クセのある文字に見覚えがある。
 何者か心当たりがあるか聞いてみると、新聞屋の評論家だと答えた。今夜も最前列にいた。人気役者にしてやろうとしつこく付きまとってきていたが余計な世話だ。目障りで仕方ないが仕事上無碍な扱いもできず困っている。

 このサキサなる評論家は顔だけでも確認しておくのがよいか。ファルコンに容姿などを尋ねてみる。居場所は一階最前列に向かって左から五番目の席、金髪頭の男、黒のウェストコートに赤と金のクラバット、ファルコンから答えと同時に嫌悪と怒りが飛び込んできた。これ以上彼の気分を害し芝居に差し障りが出ては問題だ。質問はこれぐらいにしておこう。

 最後にファルコンへその手紙を貰っていいかと聞くと、彼は持っていくといいと鏡台の端へ滑らせた。 ローズは手紙を受け取ると楽屋を出て観客席へと戻った。ファルコンの言葉通りの席に、説明通りの容姿の男が座っていた。さっきの脚本家の右手前少し先に当たる。脚本家もコウ・サキサを知っていた。好ましい人物とは思っていないが、彼との付き合いは仕事上止む終えずと割り切っているようだ。ローズは脚本家の隣に再び腰を下ろしサキサの意識を覗いてみた。

 見えてきたの彼の歪んだ独占欲と承認欲求だ。ファルコンに狙いを付けたサキサはファルコンにしつこく付きまとっていた。自分の力で承伏しようとしていたようだ。それでも彼は屈しない。
 そんな折に事前に流れてきた「冴える夕闇」の再演企画、ファルコンがエイハヴ役に名乗りを上げたのを知り、ファルコンを推すも通らず、マルコも降りない。そこで無理にでも邪魔になるマルコを排除しようと企んだのだ。
 
 この一連の出来事の真相が表ざたになればファルコンにまで累が及びかねない。もし真相をサキサ自身がファルコンに告げるようなことになれば、それもまた面倒だ。ここで止めておく必要がある。


「終ったわ」
 フレアが気が付くとローズが隣に座っていた。
「お芝居が終わったら、これを正教会に届けてちょうだい」
 フレアの目の前に大きく膨らんだ封筒が置かれていた。
「わたしたちのお手伝いは今回はここまで、後はあの方たちにお任せしましょう」
「はい」
 フレアは質問は控えておくことにした。真相ならまた後で聞く機会があるだろう。それより舞台だ。
 舞台には再びファルコンが現れた。見せ場の長セリフに劇場が静まり期待が盛り上がる。彼が引き起こす混乱を皆が待ち望んでいる。



 朝が訪れた時、コウ・サキサはひどい目ざめに苦しんでいた。まるで頭の中を乱暴に掻き回され、今だに夢の中にいるようだ。家で寝転んでいたいところだが、何件も書かなければならない評や記事がある。だるい頭で昨夜、枕元に立っていたのは誰だったのか考える。靄に包まれた黒い影、赤黒い二つの輝き、あれが悪魔か死神という存在か。考えを巡らせているうちに馬車が止まった。新聞社の社屋に入ろうとしたら御者に呼び止められた。運賃は既に払っているはずと振り向くと、鞄が席に放置されていた。

 サキサは自分の席がある二階に上がる前に喫茶室に入った。苦く刺激のある飲み物を口にすれば頭の中に漂う靄も少しは晴れるだろうと考えたためだ。

「どうにも調子が悪くてたまらんよ」 とサキサ。

「何かあったか?」

「妙な夢を見たぐらいかな」

「悪夢か?」

「わからん、よく覚えてない」

 珈琲の香りと苦みは良い刺激となったが、靄が晴れることはない。同僚が出て行くのを見送ってから自分も二階へと上がった。

 部屋に入り席に到着すると書き物机の上に封筒が一枚置かれていた。優美な文字でコウ・サキサ様へと宛名が書かれている。上質な紙が使用された封筒は封蝋で閉じられている。上品な見た目ではあるが、同封された手紙の内容は罵詈雑言で溢れている場合がある為、読むまで安心はできない。

 封を解き手紙を取り出し広げてみる。文面は宛名同様優美な文字で綴られている。内容は短い文が添えられているだけだ。



 あなたが行った悪事は既にばれています。証拠を消すためにあの場所に向かいなさい。




 短い文面ではあるが、それは瞬時にサキサの意識をかき乱した。靄が晴れた替わりに焦燥と不安が噴き出してきた。彼は手紙を破って紙吹雪ほどになるまで細かくちぎり、宙に舞い散らせ部屋を飛び出して行った。廊下を走り階段を飛び降りる。何人かの同僚や出入り業者、来客とぶつかりそうになったが、皆サキサの形相に恐れをなし黙って見送った。

 ばれている、手遅れになると呼びかける声に押され、サキサは足を止めながらも旧市街から新市街の三番街までの道中を走りとおした。あの場所であるパシコルスキーの下宿屋の玄関口には、鍵は掛かっておらず容易に中に入ることができた。幸い人影も見当たらない。物音を立てないように目的の部屋へ向かう。部屋の鍵も幸い掛かっていなかった。これでこじ開ける必要もない。

 部屋に忍び込み、証拠探しを始める。必要なのはパシコルスキーに送った手紙と拝み屋に書かせた命令書だ。寝台の下、毛布の隙間、引き出しの中、衣類の間、探し回るが紙屑一つ見つからない。ここにはないのかもしれない、もう処分したのかもしれないと手を止める。すると、また声が聞こえてくる。ばれている、手遅れになるの声で頭の中が満たされる。

 かまどや暖炉の灰までかき回したが何も見つからない。背後の物音に振り返ると白い鎖帷子の一団が立っていた。火かき棒を手にしているサキサに向かい。白い両手棍を突きつける。さっきまでは誰もいなかったはずだ。中央に立っているのは金縁眼鏡に長身痩躯の男。白い高位聖職者向けの法服を纏っている。どうして聖職者がこのような場所へ来るのか。

「コウ・サキサだな?ここはそなたの住居ではなかろう。何をしている」

「……それは……」言葉が詰まる。嫌な汗噴き出してくる。「あなたはこそ何者です。どうしてここへ…」

 喉が渇き出てきた言葉はこれだけだ。 ささやかな抵抗はこれだけだ。

「我らは帝国正教会特別部」

 通称白服とも呼ばれている教皇庁直属の取り締まり部隊、異端者、魔法犯罪の取り締まり逮捕の権限を有している。

「我はダフ・マッケイ。そなたが犯した罪を質す為にやって来た」

「犯した罪とは……?」

「マルコ・パシコルスキーに対する呪詛の件だ。知らぬとは言わせぬぞ。そなたがここへやって来たのはこれを探すためであろう」

 マッケイの右手元に細かく裂かれた現れ、扇状に展開される。

「裂かれてはいるがお前が送った脅迫文と呪詛が込められた文書に相違ないな。文書に使われた紙とインクの特定は完了し、作成に加担した魔導師も既に取り押さえてある」

 次に左手に手紙が現れた。昨夜ファルコンに宛てた手紙だ。来るエイハヴ役への激励の手紙がどうしてここにあるのか。

「ここに綴られた文字と脅迫文の文字は同一人物により書かれたと判断されている」

「それがどうして……」

「我らの眼に止まらずとも、我らの味方となる天の使いは至る所に佇み、すべてに目を凝らしておる。それだけのことだ」

「天…使…」

 サキサの頭に街で伝説となっている言葉が弾け飛んだ。 罪人の元に現れ痕跡も残さず連れ去る存在とされている。

「同行願おうか」

 マッケイはサキサの眼前に手のひらをかざした。サキサは手にした火かき棒を取り落としその場に膝をついた。その意識はもう奥そこへと沈んでいる。



 原因不明の眠りより覚めたマルコ・パシコルスキーは若干の静養期間を経た後、舞台へ復帰した。騒ぎの元となったエイハヴ役は、パシコルスキーの体調と脚本家の提案によりパシコルスキー、ファルコンの二人一役という異例の展開となった。それが幸いしたか、二人を見比べるために劇場へと訪れる観客が続出した。しかし、ここでも二人の勝負の決着はつかず終演を迎えた。

 サキサの行方は知れていない。彼が興奮状態で新聞社を飛び出し、街を駆け抜けていく様は何人かが覚えていた。だが以降は誰も彼の姿を見ていない。最初は彼の行方を心配していた同僚や周囲の者たちも、誰かが「天使」の一語を口にしたとたん、誰もが口を閉ざすようになった。そしてサキサの行方を話題にする者はいなくなった。「天使」の伝説を誰が最初に口にしたのかは不明だが、「天使」側としてはその方便は重宝している。その一言ですべて片付くからだ。

 とりあえず、心配しなくとも彼は死んではいない。だが、辛い目に遭っていることは間違いないだろう。そして、いずれ戻っては来るだろう。だが、その時はすっかり、懲りて人変わりしているかもしれない。そんな目にあわないないためにも帝都では「魔法は用法、要領を守り適切に」「人を呪わば穴二つ」を心掛け生活することだ。この街ではどこで誰が見ていて、誰が絡んでくるかわからない。
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