第2話

文字数 3,793文字

 夕刻となり食堂の大テーブルに泊り客全員が集まった。そこでようやくオ・ウィンはすべての客の姿を確認することができた。これまで顔を合わせていなかったのは二日前から逗留していたリポルブ夫妻である。まだ若いが金を貯め新婚の記念にこちらに訪れ、明日帰る予定の公国民だ。それらの情報は終始賑やかなアンジェラ・ゴドゥが聞き出した。その際、エブリーも夫ダニエルに関する作り話を披露する羽目となった。
 和やかな食事の後は各人自室やテラス席、談話室へと散っていった。やがて、テラス席の灯も消え、そこで飲んでいたドラゴもラサトと共に部屋の戻ってきた。取引は売り込み側の画商イマギナの到着後となるが、彼らに対する見張りは既に始まっている。廊下には隠れ蓑で潜んだオ・ウィンと他二人、隣室にはエブリーと一人が待機している。山荘の外部にも人員が配置され、麓にいるイマギナも監視下に置かれている。貴重な絵画を餌に使っての大物釣りのため失敗するわけにはいかない。既に変装したファンタマが潜んでいる可能性もある。

 夜が更け、無音のざわめきしかない通信回線に遠雷のような轟が混じり込んできた。
「オ・ウィンだ。今のはなんだ。皆聞こえたか」
 全員耳にしたようだが正体は特定できない。
「城門前フォンタです。山道方面からです。詳細は不明」
「何人かで見に行ってもらえないか」とオ・ウィン。
「フォンタ、ムラサメだ。こちらが少し移動する。そちらで確認に行ってくれないか」
「フォンタ、了解。確認に向かいます」
「気を付けてな、無理はせんように」
 まもなく鋭い緊張が伝わってきた。
「ムラサメです。移動中に不審な人影を発見。山道を降りています」
「オ・ウィンだ。ムラサメ、後を追ってくれ」
「ムラサメ、了解」
 フォンタからの連絡が入った。木々を巻き込んだ土砂崩れが起き山道が封鎖されているとの報告だった。
「何が起こってる?つまらんコソ泥なら問題ないが」
 ほどなく、ムラサメが不審者に追いついた。ムラサメが身分を告げ、不審者に投降を促している声が頭蓋内に響いて来る。やり取りの中でそれとは別の声、帝国民ではない別の言語が流れてくる。トリキア語か?なぜ?
 それについて考える前にオ・ウィンの視覚の隅で何かが動いた。右手階段の傍、そこには誰も隠れていないはずである。彼は天井付近の隠れ場所から迅速に抜け出し階段傍へと接近する。廊下の壁紙の文様に僅かな歪み、オ・ウィンは床から飛び上がりそれに向かい拳を打ち込んだ。打撃音が廊下に響き、壁紙はくすんだ銀色のぼろ布に変わった。そして、その下から鎖帷子を身に着けた中背の男が姿を見せた。胸の補強板に花の紋章、意匠化された百合の花だ、その意味は一瞬で理解できたが、なぜ男がここにいるのかはわからない。
 オ・ウィンの体がまだ宙にあるうちに強い気配と斬撃が彼の左手から迫った。斬撃は瞬時に召喚されたユウナギが受け止めた。しかし、宙には留まれない。オ・ウィンは毬のように飛ばされながらも、ユウナギを床に突き立て衝撃を吸収し着地した。衝撃は床が受け止めたが、相応の音は出た。
 オ・ウィンは着地後、ユウナギの切っ先をすぐさま襲撃者に向けたが、そこにいたのは幅広の片手剣を構えたビーンズ卿だった。彼もオ・ウィンの姿に面喰っているようだ。
「オ・ウィン殿、ムラサメです。先ほどの不審者ですが、大トリキア公国の公安機関を名乗っております。どうしましょうか」ムラサメの声が響いた。
 そう、さっきの言葉はトリキア語である。花の意匠は大トリキア公国の国章。わからないのはなぜ彼らがここにいるのか
「その大太刀と小柄な体躯……」ビーンズ卿が呟いた。「なるほど……あなたは、帝都の英雄フィル・オ・ウィン。オキシデンの警備隊も動いていると聞いたが、あなたまで出向いて来たとは」
 ビーンズ卿は壁の男を自分の背後に回らせた。
「こちらはまるで話が見えないが」 とオ・ウィン。
「申し訳ない」ビーンズ卿の手元から片手剣が消えた。右手を宙に上げ敵意がないことを示し、左手で懐から探り出した物を床に滑らせオ・ウィンの傍に寄こした。
「こちらが本物の身分証です。俺はアバロン侯爵の長男ではなく公安六課所属のビーンズ・ブラスト。今あなた達が外で拘束しているのは俺の仲間です。開放願えませんか」
 彼もオ・ウィン達と同様の通信手段を持っているようだ。コバヤシは通信石を相手かまわず販売しているわけではないが、販売規制を掛けているわけもない。現にごろつき連中も便利使いしている品物だ。市場に回れば隣国の機関が手に入れるのもたやすい。
 オ・ウィンは身分証をユウナギですくい取り上げた。表紙を捲り内側を眺める。紙面に散りばめられた紋章は魔法により発光している。これは簡単な技術ではないが本物を証明するわけではない。
「昼にうちに見せた身分証は何なんだね」
「アバロン侯爵なる人物はいませんが、身分証としては本物です。国家発行の書類ですので」
「ふん」
 同様のことはオ・ウィンもたまにやる。
「公国の連中はこっちに連れてきてくれ。話がしたい」オ・ウィンはムラサメに告げた。
「了解」
「無断で帝国内に進入したことは謝らないといけませんが、俺たちも盗賊ファンタマがここにやって来るとが聞き駆けつけたのです。奴の捕縛に俺たちも参加させてもらえませんか」とブラスト。
 隠密裏に進められていたはずのファンタマ捕縛作戦は思わぬほど広範囲に漏れていたようだ。オキシデン及び帝都に戻り次第関係者に小一時間の説教が必要だ。
 オ・ウィンがブラストの要請に答えを出す前に階下から物音がした。階段室を覗くとランタンを手に数人が登って来る。他全員に待機を命じ、彼らはランタンの主をやり過ごすべく展望室への階段を上った。やってきたのはランタンを手にしたレオナルドを先頭に後に続くガウン姿のテンキョーホ夫妻、三人は階段室を出て三階の廊下へとはいった。ブラストが後を追い、オ・ウィンも放ってはおけず後に続く。
 使用人と夫妻はドラゴの部屋の前で立っていた。背後からの物音にヤンボが振り向くがブラストとオ・ウィンの姿を目にしてもさほど驚いていないようだ。
「あぁ、君たちも起きて来たのか。すごい音だったからな」
 二人とも上着を脱ぎ、クラバットを外しただけの服装だが夫妻は特に気に留めていないようだ。
「わたしたちの部屋はこの下なんだけど、さっき天井からすごい音がしてね。心配になって見に来たのよ」 とマーヤ。
 夫妻が聞いたのはオ・ウィンが立てた音のようだ。ブラストに次いでテンキョーホ夫妻という珍客襲来、オ・ウィンはこの事態を静かに見守るしかない。この事態にやきもきする警備隊士達の意識がイヤリング越しに伝わって来る。作戦は始まる前から破綻に陥ることになるか。
「ドラゴさん、どうかなさいましたか。心配になって皆で見に来たんだが……」ヤンボはドアを叩き始めた。
 扉が開き、ラサト辺りが顔をしかめ姿を現すかと思っていたが何の反応もない。あの音で目覚めないはずもない。外の様子を窺いながらやり過ごすつもりなのか。
 微かではあるが何かが打ち付けられる音が聞こえた。
「おや、開いているようですね」ブラストが軽い口調でドアノブを回した。
 とぼけてはいるが開錠したのはブラスト自身である。どれほどかは知らないが魔法は使えるようだ。オ・ウィンはともかく、夫妻はブラストの言葉を信用しているようだ。
「ドラゴさん、お邪魔します」
 ここまでくればなるようになれだ。夫妻の心配を理由に室内に入り軽く見分することは可能か。
 最初に拳一つほどの幅を開き、そこでブラストはいったん止めた。まだ反応はない。ブラストがオ・ウィンに目をやる。彼は目立たない程度に頷いた。何かあれば夫妻を安全な位置まで飛ばし、隠れている者たちが彼らを保護をする。
 ブラストが扉を押し開くと強い風が流れ出してきた。一瞬警戒を強めたが何のことはない窓が開け放たれているだけだった。窓に掛けられたカーテンが激しく揺れている。男が二人泊まっているはずなのだがその姿はない。騒ぎを耳にして逃げられたか。
まず、手前にある寝台に目をやる無人で使った形跡すらない。ブラストが先頭を行きテンキョーホ夫妻も付いて来ている。特に危険はなさそうだが、今発見できないのなら相当の手練れだ。
 ドラゴは窓際でテーブルに添えられた椅子に座っていた。ただし、すでに息はなかった。白いシャツの胸元は赤黒く染まり、護身用の仕込み杖は床に転がっていた。ラサトの姿はない。気の毒なドラゴの姿を目の当たりにしたマーヤは声を上げる暇もなく気を失いその場に倒れた。糸が切れた操り人形のように崩れるマーヤを素早くブラストが支える。
「人を呼びましょう」
 ブラストはマーヤをレオナルドに任せ部屋を飛び出していった。ヤンボも心配そうに倒れた妻に寄り添っている。
「ブラストについて人を呼びに行け、監視は解除する。それどころじゃない」 オ・ウィンは待機中の人員に告げた。
「どういうことです?」とエブリー。
「ドラゴが殺られた。そしてラサトが姿を消した」
 ドラゴが殺されては作戦の失敗は決定的だ。オ・ウィンは爪が食い込むほどに拳を握りしめた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み