第5話

文字数 3,003文字

  何者であっても帝都に住む以上は帝都の法に従わなければならない。それはローズであっても例外ではない。

 今夜は年に一度の面倒がやってくる。それは避けようがない。帝国魔法院による定期査察である。それは民間人、公的機関を問わず魔導書、魔器、魔法遺物など魔法関連物品を所有する者は受けることを義務づけられている。

 この査察自体は制度としてはそれ程古いものではない。導入は三十年ほど前のことである。かといってそれ以前は魔導書などの扱いがおおらかだったわけでない。むしろ、厳しかっただろう。

 魔法は魔導書などを媒体に精霊を契約を結び、その力を己がものとし行使をすること。力は火起こし用の火花を飛ばす程度から、街一つを焼き払うほどの火球まで様々だが、共通点として言えることはすべて呪いの危険が伴うということである。それが激痛や火傷程度で済めばよいが、石化や身体欠損、意識喪失などの重篤な事例も多々発生する。そのため、これらの魔法関連の品は慎重な取り扱いが必要とされとされてきた。

 これらの品々に人々は怖れを抱いてきたため、過去それに触れるのはそれなりの研究や訓練を積んだ者たちだけだった。魔法の危険性を熟知していた彼らは、安全な保管庫を持ち、適切な取り扱いを熟知していた。帝都も彼らのそれを委ね、そして監視しておけばよかった。

 少しずつ流れが変わりだしたのは二百年前の混乱期に、皇位を受け継いだ新皇帝は帝都での魔法の使用規制の強化を打ち出したことが始まりだろう。帝都内での魔法使用、魔器などの携帯の規制が主だった。これにより帝都一般市民は魔法から少し遠ざかることとなる。

 しかし、遠ざかるとその脅威もわかりづらくなる。

 やがて、魔導書や魔器を毛色の変わった骨董品のように扱う好事家などの呪いを軽んじる者たちが現れ始めた。当然のように重篤な事案が起き始める。書斎で座ったまま石化してしまった者、朝身体が腐り果てて発見された者。帝都は奇怪な事件の陰に魔器などによる呪いがあることに憂慮し、その持ち込みの制限を強化し始めた。

 現在は所有者は厳重な保管施設の設置、所有物の目録の提出、定期及び特別査察の受け入れが義務付けられている。流通は厳しく制限され、こまめな啓発活動が続けられている。

 
 今夜の定期査察も啓発活動を兼ねている。旧市街では通常ひっそりと行われる査察であるが、こちらはかなり派手である。帝国魔法院は蔵書が多く、行動時間が限られているローズに対応するためという建前の元、日没後の賑わう塔の前に三台の馬車で乗り付ける。降りてくるのは白い法衣に白頭巾、そして巨大なゴーグルの査察官達、彼らは備品の入った箱を抱え、魔導機器を担ぎ、塔の玄関前に集合する。一人が呼び鈴を押すとトレードマークの黒い外套を身に付けたローズが対応に現れる。目にはコバヤシ工業から送られた樹脂製黒メガネが掛けられている。基本学者と軍人で構成されている彼らだが、この辺りは抜け目がない。

 御者を務めていた僧兵たちは集まってきた野次馬たちに魔法関連物品に関する啓発のチラシを配り始める。彼らの中には旧市街で働く者もおり、雇用主がそれと知らず物品を所有している場合もあり、啓発は無駄にはなっていない。


「皆さん、準備はいいですか」

 ローズの問いかけに白法衣の集団が頷く。

「まいりましょう」その様子を見ていた最前列の査察官が答えた。彼が監督官のようだ。

 奥の地下へと通じる扉が開かれ、ローズを先頭に一列に並んだ査察官達が階段を下りていく。踊り場で折り返し、地下一階へ金属製の重厚な扉の前へ、扉には関係者以外立ち入る禁止と大きく書かれている。この扉の開放は比較的簡単にできるが、通過の際罠魔法が発動する。ローズの解錠により扉が耳障りな音と共に開く。この音にうるさい以外の害はないが、警報の代わりになっている。

 扉の先はさらに続く下降階段と錬金術工房。ここで三人の査察官工房へ残りはローズと共に階下へと向かう。そこで現れるのは、入室による命の危険を告げる警告文が仰々しい書体で書かれた重厚な扉。

「皆さんには言うまでもないと思いますが、ここから先は大変危険です。努めて慎重に対処するようお願いします」

 ローズが解錠した扉が開いていく。こちらは音もなく静かに……。現れたのは巨大な書棚とそこに納められた大量の本。危険な魔物に等しい稀少本も数多く含まれている。

「いつ見ても壮観な眺めですな」監督官がつぶやく。それはあくまで、個人レベルの話、彼らの蔵書の数はローズと比べても桁違いである。「目録に記載漏れなどはありませんか」

「はい、それは確認済みです」

 二人の前で査察官達は速やかに目録と本棚に納められた物との照合を進めていく。

「皆さんがローズ殿のように設備を整え、査察にも協力的なら、わたし達もより魔法の研究に時間を割くことが出するのですが……」

「嫌がる人もいるんですか?」面倒に思っている者はここにもいる。

「どうにも、理解が薄く、変わった骨董品程度の意識の方がいて……ん、何だと」監督官の口元から笑みが消える。「わかった。すぐ、そちらに行く」

 彼らはローブの中に身に付けた通信用の装身具で繋がっている。イヤリング、またはゴルゲット型の物が多い。以前は高価なものだったがコバヤシの科学技術と相まって安価な物が出回るようになってきた。

「ローズ殿、工房で何かあったようです。ご足労願えますか?」

「ええ……」


 工房まで上がっていくと、見慣れた木箱が作業机の上に置かれ、そのそばに査察官が二人待機していた。木箱は博物館のバンス・ニール博士とのやり取りに使用している通用箱で怪しい物ではない。

「ご苦労様です。この中に何か目録にない物があるようです」査察官の一人が言った。手にした検知器のオーブがぼんやりと輝いている。

「それは今日の昼間に博物館からフレアが預かってきた物ですね。わたしの所に回ってくる物ですから害のない物だと思いますが……」

「まだ、封は開けてないようですね」

「ええ」

「とりあえず、中を確認しましょう」

 開封された中身はまだ砂が残る古びた文書の束。それらは机の上に敷かれた対魔性のある布の上に並べられていく。箱の中身を半分ほど開けた頃、それは現れた。茶色の革表紙にかすれた黒い文字で表題が書かれた古びた本。

「こいつですね。気配を消して普通の本を装ったか。それとも誰かを操ったか。この箱の中に紛れ込んで博物館からここまで来たようだ」監督官は腰に付けた小物入れから紙切れを取りだし、本の表紙に張り付けた。紙切れに書かれた文字がぼんやりと輝き、すぐに消えた。「今は眠らせておきましょう。ここまで何もなくてよかった。これはわたし達で預かります。運んできたのはメイドの方ですか?」

「まぁ、人間やめて三百年経つ娘ですから、すっかり鈍感になってるんでしょう……、それにしても、博物館でこのようなことが起きるとは驚きですね」

「物品の扱いには長けた方々ですが、今回は精霊の対応は甘かったようですね。まあ、そんな時のためにわたし達がいるのですが」監督官はため息をついた。

 面倒事の解決により安全が保たれる。それを知るものは少ない。
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