第6話
文字数 3,416文字
昼下がりに二階のコープさんが玄関口にやって来た。
「バッテリさん、あんたを探している人がいるようだよ。ついさっきその使い現れた」彼はそれだけ告げると去って行った。
仕立ての良いお仕着せを着た小柄な若い女、肩までの金色の髪に碧い目している。それが彼の描写だ。
今、目の前にいる少女、いや少女の姿をした狼人がその使いだろう。隣にはその主人である吸血鬼がいる。軽く噂に聞いたことはあったが、実際に会うことになるとは思いもしなかった。
吸血鬼アクシール・ローズがクレマの部屋にやって来たのは陽が暮れてしばらくしてからの事だった。他の人客と変わらぬように玄関の扉を叩き、来訪を告げ部屋に入って来た。彼女がここを知ったのは期間限定の菓子の予約名簿に書かれた名前と住所からだという。そこにはここの住所と「クレマ・デ・ファジョーレ」の名が書かれていた。
「クレマ様……」それを聞きボロは眉を寄せた。
このしくじりのおかげで、この力ある吸血鬼と対面することとなったとは皮肉な話だ。
「我が主を見つけ出した経緯については理解できました。次はここまで足を運んだ理由をお話しいただけますか」とボロ。
若干の乾いた家鳴りの後にボロの手元に曲刀が現れた。複雑な波の文様に覆われた刀身は分厚く幅も広い。刃渡りは彼の腕のと変わらない。
「すまないが」とクレマ。「彼に理由を聞かせてやってくれないか。納得がいかないなら、彼はあなた方に刃を向けるだろう。たとえ勝てる見込みの無い相手であってもね」
クレマも物怖じすることなくローズに尋ねた。なぜ見知らぬ吸血鬼が自分を訪ねて来るか、それも興味をそそられる。
「まずは興味ですが、それは半分に過ぎません」ローズは話し始めた。
「噂の渦中にある探し人、その中でも真なるクレマ・デ・ファジョーレさんがどのような方か。一度見て見たくてここまでに参りました。わたしは興味を持つといても立ってもいられない性分でして、先方の都合もお構いなしにお住まいを訪ねすることがあります。今回もその一つです。ご勘弁ください。 クレマさんが期待通りの好人物でうれしい限りです。お供のボロさんのご覚悟にも嘘偽りはないようですね。複雑な事情が合って帝都にいらしたようですが、わたしはその解決に関してよい知り合いを紹介することが出来ると思います」
「よい知り合いとは?」
「現在巻き込まれている面倒事を解決するための専門家です。残り半分というのはそれをお知らせしたくて参上しました」
「なぜ、見ず知らずの俺にそんな酔狂な真似を……」
「あなたが散歩の途中でよく立ち寄るお菓子屋「インフレイムス」の店員さんたちから頼まれましてね。あなたが店に最近顔を見せないので心配しておられました。ここの方もあなたを気に入って何かと気にかけておられるようですね」
「それだけでか?」
「わたしにはそれだけで十分です」
次に現れたのは魔導騎士団特化隊なる特務部隊だった。騎士にしては少し派手な身なりの二人組と、この辺りでよく見かける職人風の身なりの三人組みだ。三人は部屋に入ると身分紹介もそこそこにすぐに大きく重そうな背負い鞄を降ろし、中身を取り出しクレマの住居の各所を調べ始めた。
クレマは残りの客二人を居間へと案内した。そこでこの部屋に住んで以来使うことがなかった椅子を勧めることになった。幸いその椅子もボロが毎日の掃除の際雑巾を掛けていたため埃はついてはいない。
「俺の名はクレマ・デ・ファジョーレ、こちらは共の者でボロ・バンビーノという」クレマは長い間仕舞ったままだった本物の身分証とその証拠となる紋章入りの腕輪を差し出した。
「訳合って偽りの身分で届けを出し、このリヴァ・デルメルで潜伏生活を送っていた。その仔細も話した方がいいんだろうな」
ディビット・ビンチと名乗った男は静かに頷いた。この男の身なりは地元でもよく見かける類のいで立ちだ。頻繁に砂漠を行き交う者たちが好んで身に着ける装束だ。首につけているゴルゲットには通信機能があり、ここでの会話は上官へと筒抜けになっているとの注意があった。噂に聞く通信魔器だ。クレマもその存在は知っており面白そうだと思ったが、高価なため購入は見送った。
「なるほど、こちらに来るまで大変な思いをされたようですね」とニッキー・フィックスと名乗った男が柔和な笑みを浮かべた。
「異国での逃亡生活とあって行動を慎まれていたのはわかりますが、今回はどうしてこちらに連絡を取る決断をされたのですか?」
「それを言われると少々言葉に詰まってしまうのだが……ある人から助言をもらったのだ。君たちなら信用が出来る。そして、今陥っている問題からも抜け出す手伝いをしてもらえるだろうと」
自分の名は明かぬようローズからは忠告を受けた。自分が絡むと彼らはあまりよい顔をしないかもしれないと。
「陥っているとは問題とは……」とビンチ。
「……今、巷を騒がせているクレマ・デ・ファジョーレを狙った殺人事件だ。この件が俺を狙っての犯行なら犯人に心当たりがある。だが、こちらは今二人きりで手の出しようがない。それでやむなく隠れ潜むことを選んでいた」
「それが妥当だったと思われます。後は俺たちのお任せください。ですが、その代わりにすべての事情をお話しください」
クレマはボロに目をやった。彼も静かに頷いた。家の恥などと考えている場合ではない。手が出しようがないとも言ったばかりだ。クレマはゆっくりと事の起こりから話し始めた。
クレマの集合住宅へ入っていくいつもの二人とそれに続く三人連れ、他にも少し離れた位置に洗濯物集配の馬車が停まった。積まれているのは衣類ではなく付近に展開するための人員だ。ローズは近くの住宅の屋上でしばらくその動きを眺めていた。
「ここは彼らに任せておいても大丈夫そうね」ローズはゆっくりと口角を上げた。
「もう終わりですか?」横にいるフレアが心配気に尋ねる。
「彼らに任せておけばクレマさんに危害が及ぶことはないわ。これでわたし達は落ち着いて犯人探しができる」
「よかった。まだ続けるんですね」
「えぇ、もちろんよ。広告主とそれと、彼がここでの伝手としている人物辺りをあたって行こうと思う」とローズ。
「彼は近東のシルバンシャーからやって来た貴族よ。それも弱小ではなく、かなりの名家の出身のようね。だから、それ相応の伝手もある。きちんとした効果がある護符を手に入れることが出来るシルバンシャーの出身者を知っている。同郷の古くからの知り合いね」
「その人がクレマさんを裏切っている?」
「そうとも限らない。でも、多くの人が絡んでいるに違いないわ。そこの使用人、国元の支持者、そちらとの連絡係、どこに潜んでいるかわからない。それも織り込み済みでお付きのボロさんは立ち回っていたようね。おかげで騒ぎが起こるまでは比較的気楽に暮らせていた」
「目立つ格好をしてお菓子屋でお買い物ですからね」
「それも彼なりの変装なのよ。外から見るとやんごとなき人のお忍びと丸わかりだとしてもね。本国でもあの調子だったようね。彼は領民と触れ合うのが好きなのよ。大切に思っている。そんな彼をいつも影でボロさんは見守っていた」
「何とかしてあげたいですね」 とフレア。
「そのつもりだけど、事が解決しても伯爵家の立て直しは彼がやることになるわ。伯爵家での争いは昔から続いていた。彼としてはその状況にうんざりしてはいたけど、周囲も先方もお構いなしで争いを続けている。先代のお爺さんがいた間は彼の目が合ったためにどうにか収まりはついていたけど、亡くなってからはそれまで封じられていた澱が一気に噴き出したような騒ぎとなったようね。双方多くの血が流れている。わたし達が手伝ってこちらでの騒ぎを収めてもそれは変わらないわ。何らかの遺恨、歪は無くならない」
ローズは深くため息をついた。
「命の危険を感じて国を出て、遥か西の都での潜伏生活でようやく理想の暮らしを始めることが出来た。でも、この騒ぎが解決すれば……」
「また、喧騒の中ですか。世の中うまくいきませんね。わたし達、大きな世話と思われていませんか」
「彼もわかっているわ。こんな生活は長くは続けてはいられないって……まぁ残りが自分一人となってしまえば覚悟を決めるしかないでしょうね」
「バッテリさん、あんたを探している人がいるようだよ。ついさっきその使い現れた」彼はそれだけ告げると去って行った。
仕立ての良いお仕着せを着た小柄な若い女、肩までの金色の髪に碧い目している。それが彼の描写だ。
今、目の前にいる少女、いや少女の姿をした狼人がその使いだろう。隣にはその主人である吸血鬼がいる。軽く噂に聞いたことはあったが、実際に会うことになるとは思いもしなかった。
吸血鬼アクシール・ローズがクレマの部屋にやって来たのは陽が暮れてしばらくしてからの事だった。他の人客と変わらぬように玄関の扉を叩き、来訪を告げ部屋に入って来た。彼女がここを知ったのは期間限定の菓子の予約名簿に書かれた名前と住所からだという。そこにはここの住所と「クレマ・デ・ファジョーレ」の名が書かれていた。
「クレマ様……」それを聞きボロは眉を寄せた。
このしくじりのおかげで、この力ある吸血鬼と対面することとなったとは皮肉な話だ。
「我が主を見つけ出した経緯については理解できました。次はここまで足を運んだ理由をお話しいただけますか」とボロ。
若干の乾いた家鳴りの後にボロの手元に曲刀が現れた。複雑な波の文様に覆われた刀身は分厚く幅も広い。刃渡りは彼の腕のと変わらない。
「すまないが」とクレマ。「彼に理由を聞かせてやってくれないか。納得がいかないなら、彼はあなた方に刃を向けるだろう。たとえ勝てる見込みの無い相手であってもね」
クレマも物怖じすることなくローズに尋ねた。なぜ見知らぬ吸血鬼が自分を訪ねて来るか、それも興味をそそられる。
「まずは興味ですが、それは半分に過ぎません」ローズは話し始めた。
「噂の渦中にある探し人、その中でも真なるクレマ・デ・ファジョーレさんがどのような方か。一度見て見たくてここまでに参りました。わたしは興味を持つといても立ってもいられない性分でして、先方の都合もお構いなしにお住まいを訪ねすることがあります。今回もその一つです。ご勘弁ください。 クレマさんが期待通りの好人物でうれしい限りです。お供のボロさんのご覚悟にも嘘偽りはないようですね。複雑な事情が合って帝都にいらしたようですが、わたしはその解決に関してよい知り合いを紹介することが出来ると思います」
「よい知り合いとは?」
「現在巻き込まれている面倒事を解決するための専門家です。残り半分というのはそれをお知らせしたくて参上しました」
「なぜ、見ず知らずの俺にそんな酔狂な真似を……」
「あなたが散歩の途中でよく立ち寄るお菓子屋「インフレイムス」の店員さんたちから頼まれましてね。あなたが店に最近顔を見せないので心配しておられました。ここの方もあなたを気に入って何かと気にかけておられるようですね」
「それだけでか?」
「わたしにはそれだけで十分です」
次に現れたのは魔導騎士団特化隊なる特務部隊だった。騎士にしては少し派手な身なりの二人組と、この辺りでよく見かける職人風の身なりの三人組みだ。三人は部屋に入ると身分紹介もそこそこにすぐに大きく重そうな背負い鞄を降ろし、中身を取り出しクレマの住居の各所を調べ始めた。
クレマは残りの客二人を居間へと案内した。そこでこの部屋に住んで以来使うことがなかった椅子を勧めることになった。幸いその椅子もボロが毎日の掃除の際雑巾を掛けていたため埃はついてはいない。
「俺の名はクレマ・デ・ファジョーレ、こちらは共の者でボロ・バンビーノという」クレマは長い間仕舞ったままだった本物の身分証とその証拠となる紋章入りの腕輪を差し出した。
「訳合って偽りの身分で届けを出し、このリヴァ・デルメルで潜伏生活を送っていた。その仔細も話した方がいいんだろうな」
ディビット・ビンチと名乗った男は静かに頷いた。この男の身なりは地元でもよく見かける類のいで立ちだ。頻繁に砂漠を行き交う者たちが好んで身に着ける装束だ。首につけているゴルゲットには通信機能があり、ここでの会話は上官へと筒抜けになっているとの注意があった。噂に聞く通信魔器だ。クレマもその存在は知っており面白そうだと思ったが、高価なため購入は見送った。
「なるほど、こちらに来るまで大変な思いをされたようですね」とニッキー・フィックスと名乗った男が柔和な笑みを浮かべた。
「異国での逃亡生活とあって行動を慎まれていたのはわかりますが、今回はどうしてこちらに連絡を取る決断をされたのですか?」
「それを言われると少々言葉に詰まってしまうのだが……ある人から助言をもらったのだ。君たちなら信用が出来る。そして、今陥っている問題からも抜け出す手伝いをしてもらえるだろうと」
自分の名は明かぬようローズからは忠告を受けた。自分が絡むと彼らはあまりよい顔をしないかもしれないと。
「陥っているとは問題とは……」とビンチ。
「……今、巷を騒がせているクレマ・デ・ファジョーレを狙った殺人事件だ。この件が俺を狙っての犯行なら犯人に心当たりがある。だが、こちらは今二人きりで手の出しようがない。それでやむなく隠れ潜むことを選んでいた」
「それが妥当だったと思われます。後は俺たちのお任せください。ですが、その代わりにすべての事情をお話しください」
クレマはボロに目をやった。彼も静かに頷いた。家の恥などと考えている場合ではない。手が出しようがないとも言ったばかりだ。クレマはゆっくりと事の起こりから話し始めた。
クレマの集合住宅へ入っていくいつもの二人とそれに続く三人連れ、他にも少し離れた位置に洗濯物集配の馬車が停まった。積まれているのは衣類ではなく付近に展開するための人員だ。ローズは近くの住宅の屋上でしばらくその動きを眺めていた。
「ここは彼らに任せておいても大丈夫そうね」ローズはゆっくりと口角を上げた。
「もう終わりですか?」横にいるフレアが心配気に尋ねる。
「彼らに任せておけばクレマさんに危害が及ぶことはないわ。これでわたし達は落ち着いて犯人探しができる」
「よかった。まだ続けるんですね」
「えぇ、もちろんよ。広告主とそれと、彼がここでの伝手としている人物辺りをあたって行こうと思う」とローズ。
「彼は近東のシルバンシャーからやって来た貴族よ。それも弱小ではなく、かなりの名家の出身のようね。だから、それ相応の伝手もある。きちんとした効果がある護符を手に入れることが出来るシルバンシャーの出身者を知っている。同郷の古くからの知り合いね」
「その人がクレマさんを裏切っている?」
「そうとも限らない。でも、多くの人が絡んでいるに違いないわ。そこの使用人、国元の支持者、そちらとの連絡係、どこに潜んでいるかわからない。それも織り込み済みでお付きのボロさんは立ち回っていたようね。おかげで騒ぎが起こるまでは比較的気楽に暮らせていた」
「目立つ格好をしてお菓子屋でお買い物ですからね」
「それも彼なりの変装なのよ。外から見るとやんごとなき人のお忍びと丸わかりだとしてもね。本国でもあの調子だったようね。彼は領民と触れ合うのが好きなのよ。大切に思っている。そんな彼をいつも影でボロさんは見守っていた」
「何とかしてあげたいですね」 とフレア。
「そのつもりだけど、事が解決しても伯爵家の立て直しは彼がやることになるわ。伯爵家での争いは昔から続いていた。彼としてはその状況にうんざりしてはいたけど、周囲も先方もお構いなしで争いを続けている。先代のお爺さんがいた間は彼の目が合ったためにどうにか収まりはついていたけど、亡くなってからはそれまで封じられていた澱が一気に噴き出したような騒ぎとなったようね。双方多くの血が流れている。わたし達が手伝ってこちらでの騒ぎを収めてもそれは変わらないわ。何らかの遺恨、歪は無くならない」
ローズは深くため息をついた。
「命の危険を感じて国を出て、遥か西の都での潜伏生活でようやく理想の暮らしを始めることが出来た。でも、この騒ぎが解決すれば……」
「また、喧騒の中ですか。世の中うまくいきませんね。わたし達、大きな世話と思われていませんか」
「彼もわかっているわ。こんな生活は長くは続けてはいられないって……まぁ残りが自分一人となってしまえば覚悟を決めるしかないでしょうね」