第4話

文字数 4,211文字

 アトソンは姫の助けを借り、エイシの店を囲む気配の群れを巧みにやり過ごし、その外へと出ることに成功した。特に凶悪な気配を放つ者はいなかったが、そこに投入されている人員は二小隊ほどでアトソンはエイシのことが心配になってきた。そこで物陰に隠れエイシに連絡を取ることにした。通信石を使用した装具を介して、声を出すことなく会話するその要領は警備隊で学んだ。エイシとの通話路はすぐに繋ぐことができた。
「エイシ、どんな様子だ?」
「警備隊が変な派手男といっしょに乗り込んで来た。とりあえず、うざいだけで問題はない」イラつき加減のエイシの声がアトソンの脳髄に突き刺さる。「奴らもお前の居所を探してるそうだ。けど、どうしてここがわかったんだ」
「あぁ、それは……警備隊に入る時の身元保証人にお前の名前を書いたからだろう」
「おい、そんな話は聞いてないぞ!」エイシの怒りがアトソンの頭の中で爆発する。
「あの時は急いでたから話す暇がなかったんだ。悪かった」
「まぁいい、さっさと逃げろ、警備隊が居るうちは変な奴も寄ってこねぇよ。あれを捨てたら通関所の傍の操車場に行け。オルフェって奴の隊商を探せ。連絡を付けておく。用心棒でもぐりこんで帝都を出ろ」
「わかった、わかった、そうするよ。ありがとう」
 そうは言ったもののやはり逃げることは気は進まなかった。しかし、エイシにこれ以上面倒を掛けるわけにもいかず、他に行くあてがあるわけでもなく、しかたなくアトソンは港がある南へ向かうことにした。月が見えてただ南に向かうだけなら迷うことはない。
 しばらく歩いたところで、アトソンは覚えのある気配を感じ取った。そしてそれをやり過ごすためにアトソンは近くの建物の物陰に隠れた。物陰から覗いていると現れたのは両刃の剣で武装した三人の男。男達は足早にどこかに向かっている様子である。先頭の男には心当たりがあった。目から下、口の辺りまで包帯を巻いていたが、あれは変装ではない。アトソンと戦った折に受けた傷のためにものだ。今夜最初にあった男に間違いない。アトソンは彼らの後を追ってみることにした。
 操車場に行くのはその後でもいいだろう。

「マイナナです。ジェイミー・アトソンと思われる男を発見しました。アマアイが顔を確認しました間違いないと思われます」ルルパトに展開中の部下から連絡が入った。
「ルルパトだ。今はどの辺りだ」
「八番街と七番街に境辺りを南に移動中です」
「よし、そのまま尾行を続けろ、増援を送る。建物の中などに入っても手は出すな。増援を待て。監視するのみだ。奴はかなり腕が立つ上に特殊な武器を所持している要注意人物だ。くれぐれも用心してくれ」
「了解」
 ルルパトは大きく息をついた。
「アトソンを発見しました。今は部下が尾行中です」
 ルルパトは傍にいるフィックスとバスパイネに告げた。
「彼はどこに向かっているんでしょう?」バスパイネが呟いた。
「それは本人聞くのが確実でしょう。行きましょう」
 フィックスは席を立った。スラビア料理は嫌いではない。店の雰囲気も良い。フィックスは頭の中のメモに印を入れておいた。

 イト・オ・シュヤは焦燥感を募らせていた。
 彼の魅惑的の商売は今日の日没辺りまでは何の支障もなく順風満帆と思われていた。家紋の入った船で様々な物を帝都へと持ち込んで財を築いてきた。その額は所領で爵位を持つ兄の収入を遥かに超えている。稼ぎ頭はエヴィデ香を筆頭とする数々の禁制品である。用心のため保安課の課員一人を抱き込み、捜査状況の把握に努めて来た。それがわずか半日で撤退の危機である。
 協力者からの通報によりこちらの内通者が明らかになった。付き合いの長い奴だったが始末するほかなかった。危険は排除するほかない。全て無難にこなせるはずだった。
「シュヤ様、荷物の積み込み終わりました」
「よし、船に向かうぞ。準備をしろ」
「まだ、帰ってきてない連中はどうするんです?」
「心配ない、奴らにも連絡は入れてある。船で合流できるはずだ」
 部下たちに眼に不審の色はあったが、敢えて口に出す者はいなかった。オ・シュヤも嘘は言っていない。船のことは言っていないだけだ。彼としては戻ってくる連中はここで囮として役に立ってもらうつもりでした。もし、彼らを追う者があるとすれば、それは彼らが引きつけ、その隙にオ・シュヤは船に逃れるつもりでいた。そのためには早くここを引きはらわねばならない。
 夕方までこんなことになるとは考えたこともなかった。全てはワカサの前に現れた男によって崩れていった。腕の立つ男と思っていたが、期待はずれだった。目撃者を取り逃がしすごすごと逃げ帰ってきた。そして全ては露見した。保安課に渡った分は後で何とかなるとしても、男が拾った分はすぐに取り返さなければならない、加えて男はワカサの顔も見ていたのだ。
 しかし皆、その男を狙うことに躊躇した。あのアクシール・ローズのお膝元で彼女と共にいた者の命を狙うのだ。もし、彼女の怒りを買うことになればどうなるのか、部下達の不安もわからなくはない。そして送りだした者達がまだ帰ってこないことも、彼らを浮足立たせる一因となっている。おびえた彼らの会話からメイドや天使などのが頻繁に出てくるようになっている。
 表で何やら音がした。一同が身構え、入口の扉に注目した。二枚の扉が中央から静かに開く中、男達は手にした武器を構え、オ・シュヤも連発銃の入り口に狙いを付けた。
 現れたの包帯顔のワカサと疲れた顔のハッスとケイだった。男達は緊張を解き、武器を収めた。
「お前たちだけか?」
「はい……」
「奴はどうなった」
「逃げられました。探しはしたんですが、警備隊の連中が多くて思うように動けず……」
「そうか……ここはもう捨てて、船に向かう。出発の準備を手伝え」オ・シュヤとしてはもう包帯男のつまらない言い訳は聞きたくなかった。「そこは閉めておけ、裏口から出る」
 傍にいたハッスとケイが扉を閉め、重厚な鋳鉄の閂をはめた。
「戻ってくる時につけられなかっただろうな?」
「それは問題ありません」ワカサが請け合った。
 次の瞬間、轟音と共に閂が火花と溶けた鋳鉄の飛沫を放ち、中央で砕け散った。まだ、扉の傍にいたハッスとケイはそれらを尻や脚に浴びることとなった。苦悶の叫びをあげ二人が床を転げまわる。
 扉が開き、男が一人姿を現した。赤毛で少し浅黒い肌の若い男。着古した戦闘服を身に着け、手にしているのは銀色で大振りの両刃剣。
「お前は!」ワカサが叫びを上げた。
 オ・シュヤは全てを悟った。今まで抑えていた怒りが爆発する。発砲音と共にワカサはよろけて倒れ、倒れながらも許しを乞うワカサにオ・シュヤはさらに二回引き金を引いた。そして彼は完全に動きを止めた。

 扉の向こうは小奇麗な居酒屋だった。面積はエイシの店の倍程度、酒が並べられたカウンターの隣にはステージが設けられている。磨き上げられた床に男達が転がっていなければ、船員相手のいい店になるだろう。店内には六発装弾の連発銃を手にした身なりの良い男、その周囲に両刃剣の男達五人が取り巻いている。他の気配は感じられない。店外を取り巻く多数の気配は感じられるが、姫はそれを敵視はしていない。
 銃男はアストンの顔を見るなり、アストンではなく傍にいた包帯男を銃で撃ち殺した。雰囲気からして男が首謀者のようだが、仲間を撃ち殺すなどかなりの混乱状態にあるようだ。
「預かっていた物を届けにきたよ」アトソンは自分を騒ぎに巻き込んだ紙包みを床に投げ出した。包みは転がり銃の男足元に到着した。
「俺はこれで帰らせてもらうよ」
 アトソンが入口へと向かおうとした時、二人の男が彼に襲いかかってきた。アトソンは彼らの剣を速やかに姫で払いのけた。剣は姫の力に耐えきれず火花とともに砕けた。危険な鋼の欠片は一人の男の喉元ともう一人の顔を切り裂いた後床に落ちた。
 その光景を見ていた残りの三人は半ば戦意を喪失し剣を構えながらも後ずさりを始めた。しかし、銃男は怯まず続けざまにアトソンに向かい二発発砲した。姫はそれらを剣身で受け止めた。それはアトソンにとっては今までにない衝撃となった。しかし弾丸も姫により剣の破片同様火花と共に弾き飛ばされ、一つは男の右頬をえぐり、残り一つは銃を握る右手を撃ち砕いた。それでもなお、銃男は血だらけの手で銃を握りアトソンに銃口を向け続けていた。
「もう、それぐらいにしてやってくれないか。それ以上やられると病院が満杯になってしまう」アトソンの背後から声が聞こえた。姫が敵意を持っていない者からである。
 アトソンは振り上げた剣を降ろし、姫はターバンへと変化した。
 声の主は銃男の傍に行き、血だらけになっている連発銃を壊れた拳からむしり取った。派手な装いで長身の男である。その後に黒の外套の女と小男を筆頭とした警備隊の一団が入ってきた。妙な取り合わせの集団である。店の前は見る間に馬車で一杯になり、店内の男達は速やかに連行され、店内の捜索が開始された。
「俺の素性を知れば後悔することになるぞ」両脇を抱えられ連行される銃男は消え入りそうな声で呪いの言葉を吐いた。
「それについては課の方で十分話していただきます。そして今まで摘発を逃れていた経緯についてもお伺いします」外套女が事務的に告げた。
「こちらも今夜の一連の事件については十分時間を取らせてもらいます」警備隊の小男が冷めた口調で言った。
「あんたは危ない女神様に喧嘩を売った時に破滅が確定してたんだよ。何もかも捨ててさっさと逃げるべきだったな」
 引きずられるように連行される男に最後に言葉を投げかけたのは派手男だった。
 外套女が派手男をたしなめた。アトソンは前で展開するやり取りを見ていて、緊張が解け急に眠気が催してきた。すぐにでも座り込みたい気分である。
「災難だったな。アトソン隊曹」派手男が笑いかけてきた。「これが帝都なんだ。酷いもんだよ。だが、君のおかげでほんの少しだけましになった。俺はニッキー・フィックス同類だ。歓迎するよ」
「ふん」
 アトソンの意思はともかく、姫は派手男フィックスに興味があるようだった。しばらく帝都のいることになりそうだ。
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