第6話

文字数 3,630文字

 閉じた鍵は容易に開くことが出来た。扉も同じく開閉は可能だった。それに安堵したのはほんの一瞬の事だ。扉の先にあったのは同じ玄関広間だった。玄関口にいるフレア達を中心に鏡合わせとなって、前後に玄関広間とそこから奥へと廊下が続いている。
 幻影か、現実かはともかく何者かの術中に嵌ったのは確かだ。スレッティーは黙って廊下の先を見つめていた。フレアも黙り込んでいた。目の前の光景に驚き、声が出なかったというのが正しい表現かもしれない。
 背後からの足音を耳にしてそちらに目を向けるとお仕着せの若い女性だった。黒い髪は後頭部に金色の髪留めで纏められている。彼女は玄関広間から続く廊下の奥から小走りで近づいてくる。
「こんばんは、お客様……ですね」フレアとスレッティーの順で目をやり、次に背後の扉に目をやった。瞳が困惑の色を帯びている。
「少々お待ちください」彼女は二人の答えを待たず、踵を返し奥へと下がっていった。
 ほどなく、彼女は部屋着の中年男性を連れて戻って来た。細身でがっしりとした体格の男だ。背は少し高めか。黒い髪を後ろに撫でつけ流している。お仕着せの女性がフレア達を紹介すると男は頷き、前に出た。
「こんばんは、ようこそ……わが家へ」男の顔には歓迎より困惑が浮かんでいる。
「わたしはアンドレ・ランス、この家の当主だ」この男が主人のようだ。
「ここはランス家のお屋敷なのですね」スレッティーはアンドレに尋ねた。
「いかにも」アンドレは答えながらも驚いているようだ。「お嬢さん方はどうして我が家へ、道に迷いでもしたかね」
「いいえ、わたしはスレッティー・レインホルツと言います。ここがランス家のお屋敷ならオーラがいるはずです。オーラ・バトラーがいるはずです。会わせてください!」
 スレッティーの声は言葉ごとに大きくなり、アンドレとの間合いを詰めていった。フレアは慌ててスレッティーとアンドレの間に入った。スレッティーはフレアを目にして動きを止めた。
「オーラ……彼女の事か。彼女なら確かにわが家へやって来た。今は部屋の一つを使ってもらっている」
「じゃぁ、会わせてください」
「それはかまわないが」アンドレはなだめるように両手を前にかざす。「まずはあなた方にこの屋敷が置かれた状況を説明する必要がある。それは長い話になる。食堂に来てもらえないか、そこなら飲み物も出せる。夕食の残り物でよければ食事も出せる。どうだろうか」
 アンドレに案内され入った食堂は広々としていて、夜に出された料理の残り香が漂っていた。二人は勧められた席に座り、ほどなく外の廊下から足音が聞こえて来た。音の間隔から駆け足に違いない。足音は食堂の入り口前で止まり、長い髪の若い女が顔を覗かせた。くせの無い茶色い髪は胸の下まで伸びている。身に着けているのはゆったりとした生成り色の部屋着だ。
「スレッティー?」女はスレッティーの姿を目に止め困惑気味に声をかける。
「オーラ!」スレッティーは椅子から立ち上がり入り口まで駆け出した。満面の笑顔で抱きつく。
「会いたかった」スレッティーはオーラを力を込め抱きしめる。しかし、彼女の顔に笑みがない事に気づき力を緩めた。
「どうしてここにいるのスレッティー……」とオーラ。彼女の顔にあるのは恐れだ。
「どうしてってオーラ、あなたからの手紙を貰ったから……」
「わたしはそんな手紙は出してない……」
「えぇっ……」
 二人が話している間に、この屋敷の住人達が食堂に集まり始めた。アンドレを始めとするランス家の家族と使用人、他オーラのような外から来た男女といったところか。
 各人の自己紹介によるとフレアの見立て通り、ランス家の家族とその使用人と迷い込んできた客人に分かれるようだ。オーラとフレア達は客人に含まれる。この奇妙な集団は二十人近くはいるようだ。
「村ではこのお屋敷には誰も住んでいないと聞きましたが、中には手入れの行き届いたお部屋がある。ここはどうなっているんですか?」スレッティーは住人達に訊ねた。
「外と中が別の世界になってしまっているのかな。アンドレさん」
 口を開いたのはムラキという銀髪の若者で友人達と共に屋敷を探るという肝試しの最中に迷い込んだ。
「そうだろうね」
 フレアも肝試しの最中にいなくなった村の若者の話は聞いていた。彼がいなくなって騒ぎとなり、大掛かりな捜索になったことを話すと、ムラキは控えめな笑顔を浮かべた。
「そうか、探してはくれていたんだな。うれしいよ」
 客人と呼ばれている男女は肝試しや雨宿り、体調を崩しての救援を求め屋敷に立ち入り、二度と出られなくなったようだ。
「出られないって……」
「君たちも見ただろう」とアンドレ。「玄関扉の向こう側はまた玄関広間なんだ。この屋敷は一度はいると出られないようになってしまっている。裏口も窓も外に面する開口部はすべて鏡に映したように同じ部屋と繋がっているんだよ」
「どうしてそんなことに……」フレアの口から言葉が漏れた。
「俺の妻でアンドレの母親でもあるジャニスの切ない夢の効果だよ」
 口を開いたのはフレア達の向かい側の椅子に座っている初老の男、前当主のヨアキムだ。アンドレとよく似ているが一回り小柄だ。以前は黒かったであろう髪は白くなって禿げあがり薄くなっている。
「昔、アクシェヒルの村が酷い流行り病に襲われた時があったんだ。その際にアンドレの兄マーカスとその息子クリストフがそれに罹って亡くなった。俺は何とか治ったが身体の障りは未だに残ったままでこのなりだ。だが、一番堪えたのはジャニスだった。自分が皆に病をうつしてしまったとひどく悔やんでいた」
 ヨアキムの話に当時の記憶が蘇ったのだろう。家族と使用人から咽び泣く声が聞こえて来た。
「奥様には何の落ち度もないのでは……」とフレア。
「わかっている」とヨアキム。
「わかっているが本人は納得できなかったのだ。そんな彼女の気持ちを落ち着かせるために俺は二人で何度も司祭様の元へ何度も出向いた。あの方も親身に取り合ってくださり、この屋敷にも来てくださった。そうしているうちにジャニスは二度とこのような悲劇が訪れないようにと願うようになった。そんな帰結は当然の流れだろう。だが、彼女はそれを魔法を使って実現しようとした」
「誰もそれを止めなかったんですか」
「止めれるもんか」横に首を振るヨアキムからは悲しみがにじみ出ていた。
「久しぶりだったんだよ。計画を語るジャニスには笑顔が浮かんでいた……だから、止められなかった。それに正直誰も本気にしていなかったんだ。『屋敷に住む皆が健やかに仲良くいつまでも暮らして行ける世界』という話は……。おれもジャニスが呼んだ魔導師がやるのは彼女に幸せだったころの夢を見せるぐらいの事だろうと思っていた」
 そこまで話すとヨアキムは息をつき項垂れ、椅子にもたれ掛かった。
「わたしがここに来るようになったのはその頃なのかな」とアンドレ。
「兄貴が亡くなって父さんはこの調子だ。いろいろと手が回らなくなって手伝いのために行き来をしていた。わたしも母さんと魔導師の計画は聞いてはいたが、他が忙しくて気が回らなかった。魔導師の力は思いのほか確かだった。母さんの求めに応じて依頼を見事に成し遂げた。『屋敷に住む皆が健やかに仲良くいつまでも暮らして行ける世界』を作り上げたんだ。ここでなら皆、歳も取らず健やかにいつまでも暮らしていける。但し、屋敷からは一切出ることはできなくなった」
「それじゃ、あなた方は当時からまったく歳を取っていない?」
「そうだね。あれから二十年は経つというのに父さんはまだ万全とはいえないが元気に暮らしている。変化があったのはそこのマイケルぐらいか」
 アンドレの声に反応し、アンドレと同じ黒い髪の青年が片手を軽く上げた。こちらは少し癖のある髪をしている。歳としてはフレアより少し上だ。
「当時はクリストフより年下だったが、今ではいい青年だ」
「二十年……どうしてそれを知っているんですか。ずっと数えているんですか」とスレッティー。
「それはね、どういうわけか、新聞が届くんだ。金も払っていないのに、それを言うなら毎日の食事もか。毎朝どこからともなく届いている。恐らく屋敷がわたし達が必要な物、望む物を整えているのだろう」
「外から来たムラキさん達もですか」
「彼らがどうして屋敷に取り込まれたのかは見当はつかないが、あなた方については申し訳ないが、わたし達を巻き込んでしまった可能性がある」アンドレは声を落とした。
「どういうことですか?」
「わたしも本気で言った訳ではないんだが、食事の後などに何度か「マイケルもそろそろ結婚を考えてもいい年ごろだな」と話したことがあるんだ」
「それで屋敷が気を回したという事ですか」
「かもしれない」
「それじゃあなたはわたしが巻き込んだのかもしれない」オーラが呟いた。
「それでもわたしは後悔しない」
 スレッティーはオーラの手を握りしめた。
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